佐藤秀峰さんとの対談をついさっき終えた。今は夜の23時半である。夜も遅いが、思いがなるべく熱いうちに感想を書きたいと思ったので、今、書いている。

佐藤秀峰さんは、世間からは喧嘩っ早く、厄介な人だと思われている。ぼくも、多かれ少なかれそういうイメージを抱いていたが、実際にお会いしてみると、案に相違して非常に穏やかな方だった。そしてまた、懐の深い人だった。

考えてみると、そもそもぼくに興味を持ち、話をしてみたいと思うのがまず懐の深い証拠だった。
ぼくは、かなりエキセントリックな性格で、しかも他者とあまりコミットをしないので、懐の深い人でないと、なかなか受け入れられないところがった。
しかし逆に、そのエキセントリックさや他者とのコミットのしなさがユニークだと、面白いと思ってもらえるケースもあって、佐藤さんもそうしたタイプの人だったのである。

佐藤さんと話していて一番印象に残ったのは、佐藤さんのマンガに対するアプローチだった。
佐藤さんには、書きたいテーマが必ずしもあるわけではない――ということだった。しかし佐藤さんはマンガが好きで、マンガが描きたいという気持ちは強いのだ。

最近は、描く量は減ってしまったそうなのだが、それも、逆にマンガを大切に思うからこそ、一枚にかける時間を増やしているというのがあるのだろう。佐藤さんは、「職人気質」という言葉がぴったり当てはまる人で、面白いマンガを描くということにかけては一切の妥協はしたくないと考えているのだ。
そしてだからこそ、最近はTwitterで話題になったり、「漫画 on Web」を運営したり、「ブラックジャックによろしく」の二次利用を無料で許可したり、ブロマガ「少年 佐藤秀峰」を始めたりするなど、さまざまな新しいことにも取り組み始めているのだ。

これは、そこだけ見ると、逆にマンガから離れてしまっているように見える。見方によっては、マンガを離れて、また別の道に執心しているように見えなくもない。
しかしながら、佐藤さんのお話をお伺いして分かったのは、それらは全てマンガを描き、あるいは読んでもらうためにしているということだった。ニコ生に出るのも、そういうことをしないとマンガを読んでもらえない時代になったからだというのだ。

そして「ニコ生に出ないと読んでもらえないのなら、それでは出ましょう」というのが、佐藤さんのスタンスなのである。
ぼくは、それに、大いに賛意を覚えた。表現者というのは、読んでもらうためだったら靴さえなめるというくらいが、正しい態度だと思うのだ。作品を作ることと、それを届けることに集中する。そのために、他の全てのプライドを捨て去る――そういう表現者に、強い尊敬の念を抱く。
佐藤さんは、ブロマガを書いているのもマンガを読んでもらうためと言った。そこのところに、深く共感したのだった。

ところで、その話を聞いて思ったのは、ブロマガというのはあらためて面白いということだった。ブロマガには、今、多くの人が集まっている。そうして、新しい何かを見つけようとしているのだが、そこで共通しているのは、どれも既存の仕事のフィールドに危機感を覚え、それについて真剣に考える中で、新しいフィールドであるブロマガにチャレンジしているということだった。