ハックルベリーに会いに行く
乙武洋匡さんが抱えつつある、ある一つの「危険性」について(2,788字)
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コメント
コメントを書く乙武さんハックルさんへ
シャシャシャと一筆
死ぬここと見つけたりという葉隠れをモチーフにした小説を思い出しました。
万右衛門という大猿と仲良しの侠者と遊廓?だったかな?名代の生まれてから人より強すぎて孤独だったやさしい武将が、生まれてから一度も本気で殴りあったことがないなんて悲しいなと、名代と侠者が互いに倒れるまで殴りあうシーンを思い出しました。いい小説ですよ。
すばらしい喧嘩を!(^-^)/
>>1
自分に騙される人は、最後まで気づけないんです。人は、「自分が自分を騙すはずがない」「自分は自分を一番よく分かっている」という誤解を抱えながら生きているからです。
>>2
彼の業の深さを考えると、むしろ人気者であることが、彼にとって良かったのかどうか、とすら考えてしまいますね。
>>3
ぼくは、自己肯定は自己否定と同じくらい危険だと思います。
一番いいのはフラットなことです。中庸。前のめりでも後ろ向きでもない、背筋を伸ばして立っている状態です。
「なるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せなるべくいっぱい集めよう」
と言ったのは甲本ヒロトですが、ぼくもこれが大切だと思いっています。
>>4
彼は喧嘩が強いので、できれば戦いたくないのですが……戦わなければならないとしたら、せめて楽しみたいものですね。
ハックルさんは、乙武さんに注意喚起したくて、この記事を書いたのだと感じました。
私もそうですが、お二人とも、多様性を内包できる社会を望んでいらっしゃると思います。
人は、だれでも、自己中心的にしか物事を捉えることができない。
だからこそ、他者からの見え方を知る事、その上で自分から見える景色をすこしずつ修正して行くことが大切なのではないでしょうか。あたりまえの事ですが、なかなかやろうと思ってできることではないですよね。
ゆがんだ社会を正そうと思う正義感が、彼を追い詰めている。
ハックルさんの意見は貴重です。彼に届くといいな。
>>8
なるほど・・・同感です。
>>10
多様性というのは難しいといつも感じます。
多様性をいらないという彼の意見も多様なものの一つとして認めなければならないのか?――そういうパラドックスに、いつでもはまり込んでしまうからです。
そこにおいて重要なのは、届くことではないと思うのです。それよりも、届かせようと最善を尽くすことだと思います。人事を尽くして天命を待つ。そこにおいては、届いてほしいと思う気持ちですら、時には障害ともなるのです。
難しい問題です。
乙武さんは、強くて優しい人だと思っていたので、「つまらないことをするようになったな、、、」と残念に思っています。医療従事者なのですが、慣れていない人が人間一人を抱えて階段を上がるというのは、ほぼ不可能。それが乙武さんにはわからない。乙武さんがいかに恵まれていたか、いつでも助けの手が差し伸べられていたのかを物語っていると思います。恵まれすぎて感謝を忘れてしまったのでしょうかね、、、。
>>13
ぼくも、今回の乙武さんの件は意外でした。自体が明らかになればなるほど、乙武さんの迂闊さばかりが際立つ。そんな人だったかな? というのが率直な印象です。