するとやがて、彼がモテる理由のというのが徐々に分かってきた。
彼がモテていた最大の理由は、「お母さんに愛されている」ということであった。お母さんに、無上の愛で育てられた――そのことが、モテるということと深く関係していたのだ。
「無上の愛で育てられる」というのは、一言で説明すると「母は自分のためなら死ねる」ということを深く確信することだ。子供にそういう確信を抱かせることが、無上の愛である。そういう愛され方をした子供は、モテるようになるのだ。
なぜかというと、理由は二つある。
一つは、深い自信を抱くようになることだ。
「自分は生きていていい」
「この世に居場所がある」
「自分は愛されている」
そういうことに、深い確信を持てるようになる。そのことが、生きる自信につながるのである。
だから、堂々とできる。慌てない。心にゆとりがある。懐が深くなるのだ。
そういう人物がモテるのは、もはや自明のことだろう。これは男性も女性も一緒だ。男性も女性も、堂々として、慌てず、心にゆとりがあって、懐が深い人は、とてもとてもモテるのだ。
もう一つは、年頃の男女というのは、「独占欲」とか「強奪欲」というのをこじらせる。思春期の若者は、誰かから何かを奪いたい――と本能的に望むようになる。
なぜかというと、それが自分の「存在証明」につながるからだ。言うなれば「承認欲求」が満たされるのである。「誰かから死ぬほど愛されている人に愛される」ということは、自分がこの世に存在してもいいのだという確信を、やっぱり深くもたらしてくれるのだ。
誰からも愛されていない人に愛されたからといって、「承認欲求」はあまり満たされない。承認欲求というのは、誰かから強烈に愛されている人に愛されて、初めて満たされる。
だいじなのは、その人の本質的な良し悪しではなく、「誰かがその人を愛しているかどうか」だ。だから、男性も女性も、誰かから愛されている人に愛されることに、何とも言えない快感を覚える。それは男女関係における強烈なスパイスになるのだ。
そうして、母親に強烈に愛されている子供というのは、若者の独占欲、強奪欲を刺激するのである。その人が自分を愛するようになれば、その人の母親からその人を奪い、独占することになるからだ。これには、自尊心をこの上なくくすぐられる。承認欲求が深く深く満たされるのだ。
上記の二つの理由で、母親から愛されている人はモテる。
そのことが分かってから、「では、そうした『モテる人』――言い方を変えれば『母親から無上の愛で愛されている人』というのは、世の中にどれくらいの割合でいるのか?」ということを調べ始めた。母親に愛されているがゆえに、堂々として、慌てず、心にゆとりがあって、懐が深い人は、一体どれほどの割合でいるのだろう?
すると、長年の観察の結果、だいたい1割くらいであることが分かった。意外に少なかったのだ。
そこで今度は、「なぜこれほどモテる人が少ないのか? あるいは逆に、非モテが9割もいるのか?」ということを考えてみた。
そこで一つ、分かったことがあった。
コメント
コメントを書くその通りだと思います。
母親は上手く子供を愛せないけど、子供のコトは大切だし、きちんと立派に育てたい。
愛情というより世間体なのでしょうか・・・・。
一生懸命になればなるほど支配的になって
子供の方は息苦しかったり自分に自信が無くなってゆくと思います。
例えば斎藤環さんの「母は娘の人生を支配する」や、最近「毒母」とかで言われているように
特に女性は大人になっても母からの支配で苦しんでいる人は多いような気もします。
ただ・・・・、
自分に自信が無い事や非モテの原因や母親にあると気付いたり恋愛を邪魔され壊されてきても
もはや年老いて自分より弱く見えるようになってしまった母親を責めたり、指摘するのも違うと思うし・・・。
変な自己承認欲求を人に満たしてもらおうとアピールしたりしない、とか
ありのままの自分を自分で認める、とか
ほんの些細な意識の調整くらいしか大人になってしまった自分には出来る事が見つからないな・・・と
思う今日この頃です。
>>1
実は「自分の母親は子育てが下手で自分の育て方に失敗した」ということを心から得心することができれば、事態はかなり改善されます。
失敗したと認めるというのは、その責任を母親に問うことではありません。それはもう終わったこととして、「では失敗した自分をこれからどう改善していくか?」という新たな命題に向かわせるということなのです。
自分の立ち位置が高かろうが低かろうが、今いる場所さえ分かれば、人はそこから前に進んでいけます。
前に進めない人というのは、自分が今どこにいるのか、分かってなかったり、あるいは今いる場所に納得できていない人たちなのです。
母親の子育ての失敗を認め、そこから改善してゆくというのは救われますね。
自分だけが子育ての失敗の犠牲者なのだと被害妄想でいるといつまでも苦しいですが
実は日本人の9割も同じような立場だと思うと人への接し方も変わってきますね。
やはりみんな自信がなかったり、ありのままを認めて欲しかったりする・・・。
変に自己顕示欲が強すぎる人などは本当は不安だったり寂しかったりとか。
大人になってしまった自分は
人を許したり、認めたりする心の余裕を持つようにして生きてゆきたいですね。
最近の思考の流行なのかもしれませんが、何でもかんでも母親に理由を求めるのは浅はかだと思います。
第一に、岩崎さんは第二次世界大戦まで大家族の子育てだったから母親の育児の負担が軽く、
そのために愛情深く育てることができ、戦後は核家族になり負担増になったため、
母親がちゃんと子供を愛することが出来なくなり、その結果「非モテ」(?)になったと主張されていますが、
『パラサイトシングル』という著作を書かれた家族像研究の第一人者のお話では、
そもそも、子供を愛する、愛情というものが戦後に生まれた概念であって、
それ以前は、子供は家の後継者や労働力であったと言われています。
私は、その考察のほうが正しいと思います。
「モテる」から恋愛できる、結婚できるというのも、戦後に生まれた概念だと思います。
なぜなら「自由恋愛」そしてその末の結婚というものが、わずか50年前くらいから盛んになったのであって、
それまでは、ほとんど恋愛などしたことがない、ほとんど初対面の男女が見合いで結婚するということが一般的でした。
実際、私の祖父母や叔父叔母などを見ても、それは分かります。
以上のことから、「モテる」ということ自体がここ数十年に出来た新しい概念であって、
戦後の核家族化の結果、母親が子供を愛せなくなり、その結果「非モテ」が増えた、
という岩崎さんの主張は、いささか見当違いの思考であると思います。
〉4
「自由恋愛の人が核家族化した」と「お見合いの人が大家族を維持した」と「戦後、大家族が消失する過程で(従来の子育て方式が)崩れた」は有意な水準で同時に成り立つように思われます。
>>3
そうなんです。「9割が失敗」というのがミソで、それが分かれば悩む必要はないんです。
>>4
よく読んで頂ければ、母親に理由を求めてはいません。そもそも母親は子育てが下手なんで、させてはいけないというのが、本稿のメインテーマです。子供を愛することができなくなったのではなく、そもそもちゃんと育てられないということです。