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 この映画については、ネットでもあちこちで言われております。とにかく監督の山崎貴という人物の評判が悪く、『ドラえもん』に興味のない方でも、どこかで見聞されたんじゃないでしょうか。
 もっとも、ぼくも観には行ったのですが、期待値が低かったせいか特段の感想はありませんでした。が、youtuberたちが本作についていろいろと感想を述べているのを見て回り、またちょっと違った感想も沸いてきたのです。
 今回はそうした「世評」そのものを俎上に乗せて、今までも述べてきた「『ドラえもん』にまつわる危機」について語ってみたいと思います。
 さて、そうしたyoutuberたちの意見、基本は悪評だったのですが、代表はやはり宇多丸師匠ということになりましょうか*1
 驚くほどに歯に衣着せぬ、基本的には同意できる評で、なるほどと唸らされた箇所がいくつもありました。宇多丸師匠は「大人ののび太が死ぬほどだらしない」という点について盛んに、舌鋒極めて罵っているのですが、何しろのび太、結婚式の開始数分前になって臆病風に吹かれ、タイムマシンで現代(のび太が小学生の時代)にまでやってきてしまうという迷惑ぶり。しずかちゃんはのび太を信じて待ちぼうけを続け、「仮定の未来」ですが数年(半年?)経っても戻らないのび太を待ち続ける姿まで描かれています。
 つまり、この『STAND BY MEドラえもん2』(以降、「ドラ泣き」と呼称)ののび太の描かれ方があまりにも不快である点に宇多丸師匠は怒っているのであり、それついてはぼくも完全に同意します。
 ただ、結婚式間際のマリッジブルーというのは比較的よくある展開で、それを妙にリアルなCGで延々延々と引っ張るから悪いので、漫画の短編でやればどってことなかったとの感もあります。
 本作ではまず最初にのび太がおばあちゃんに会いに行き、おばあちゃんは「(立派な小学生に成長した姿を見て)欲が出た、あんたのお嫁さんも一目見たいね」と口にします。
 これは当然、漫画の名エピソード「おばあちゃんの思い出」に忠実な展開なのですが、映画ではここからのび太がおばあちゃんに結婚式を見せるため、奮戦するストーリーになるわけです。しかし原作における「お嫁さんを見たい」は最後の最後、オチのギャグにつなげるためのものであり、言わばおばあちゃんの軽口をのび太が真に受けた、的なことである、それを延々と広げて長編にするのはどうか、というのが宇多丸師匠の評で、これは大変に卓見です。
 同様にマリッジブルーもギャグとして描くのであれば……というところをこの山崎監督というのはバランスを考えず、胸やけするような長編エピソードに広げてしまったんですね。
 のび太の失態のせいで式を台なしにされながら、それを全て笑って受け容れるしずかちゃんは見ていて気の毒で、そこを糾弾する宇多丸師匠の言には、全く反論はありません(しかし、そもそも女性客を当て込んでいたろうに、女性はこれ、どう思ったんでしょうね)。

*1 宇多丸 映画評『STAND BY ME ドラえもん2』【救い難い、駄作中の駄作】

 が、問題は宇多丸師匠がどうやら、フェミニズムをプリインストールされているらしい御仁である点(そうじゃなきゃ、今時の映画なんて正気で観てられないでしょうしなあ)。
 師匠はのび太の人生の好転が「しずかちゃんとの結婚」に象徴されているのが、(原作の時点で)ご不満だったとのことです。

 特にぼくは個人的には、のび太の成長のゴールとしてヒロインというか、一番可愛くていい子とされているしずかちゃんとの結婚というのをあまりに確定的なゴールとしておくのは、あまり感じがよくない話だなということを、子供の頃から思っていて、
(中略)
 しずかちゃんとの結婚というゴールが重要視、絶対視されるようになっていく、シリーズを重ねていくあまり、だんだんそれに従ってしずかちゃんというキャラクターもどんどんどんどん現実離れしたいい子、現実離れした聖女となっていくという、これがいかにも昔の少年漫画の限界だなと以前から思っていたので、2014年に改めてこのお話を語り直す際に、意識的なアップデートを加えていないのは何だかなあ、というふうに思ったりもしたわけです。


 あ~あ、という感じですね。
 ちな、2014年というのは前作について語っているからですが(本作は『2』とある通り、かつて作られた「ドラ泣き」の続編です)、しかし「アップデートしろ」とは言いも言ったりです。
 そんなの「『ウルトラマン』は怪獣という“他者”を排除する物語でけしからんから、怪獣と“共生”する話としてアップデートせよ」と言っているようなものだし、事実、それが「現実のもの」となりつつあることは、ぼくより皆さんの方がよくご存じかと思います(師匠はのび太がケンカで、つまり暴力でしずかちゃんを守ろうとするシークエンスもアップデートせよと言っており、こうなると「さようならドラえもん」も改変待ったなしです)。
 もう、宇多丸師匠はフェミや稲田豊史師匠と共に『ドラえもん』の焚書運動でも始めるべきでしょう。
 或いは、ディズニーキャラで一生マスターベーションして、もう日本のオタクコンテンツには金輪際触れないでください、としか。そう、ディズニーは(観たことはないのですが、ちらちらと目に入るところで言わせていただければ)、近年、ポリコレに配慮して「自立したお姫さま」みたいな映画ばかり作っておいでの模様。そうしたものに洗脳された人間にとって、『ドラえもん』はさぞかし古い作品に見えていることでしょう。
 そもそも『ドラえもん』は70年代の開始と共に始まった作品(超厳密には69年だったはず)。しかし十年近く、今一ぱっとしない作品でした。ネットでよく言われる旧作アニメも、やはり人気を得られずに早期終了しています。
 何故か。
 全てを、先取りしていたからです。
 だから80年の声を聞くや再アニメ化し、メガヒット作品となったのです(これも厳密には79年に始まっているのですが)。
 80年と言えばラブコメ全盛の時代で、『うる星』もこの頃です。
 ぼくは『ドラえもん』について、幾度も「のび太の人生を好転させることを目的とした、あくまでのび太を主役とした作品、一種の私小説」といった表現をしてきました。
 が、(例えば同じ藤子Fの少々年長者向けの作品である『21エモン』などと比べても)考えればのび太が将来、どんな職業に就くかなどは劇中でほとんど描かれたことがない。「幸福な将来」はほぼ、「しずかちゃんとの結婚」に集約され、象徴されていると言っていいのです。つまり、『ドラえもん』とは一種のラブコメと言っていいのですね(『うる星』だって毎回毎回ラブコメ要素があったわけじゃなく、実は両者にそれほどの違いはありません)。
 しかし、それも当たり前のことです。
 この当時、何故ラブコメ全盛だったかと言うと、社会が豊かになり、学生運動もオワコン化し、男の子の目標が失われて好きな女の子と結婚することくらいしか目指せるものがなくなったから、なのです。だからのび太は何もしようとしない怠け者、言わばシンジ君を先取りしすぎた存在なのです。そんな大きな時代の潮流の責を、のび太個人に負わされても困るのです(これは一時期のオタク批判が「卒業しろ」という超低能なものであったことと全くパラレルであることも、ここまでくればおわかりでしょう)。
 しかしそこまで時代を先取りしていた『ドラえもん』ですが、時代はさらに先に(間違った方向へと)進み、本作に対して「結婚を美化するとはけしからん」などと意味のわからんインネンをつけるまでになってしまいました。
 もう一つは、「ジャイ子問題」(というものが、宇多丸師匠によればあるのだそう)です。本作に直接の登場はないのですが、式場の「ベルカンボード」(って、何?)にジャイ子が描いたと思しきイラストが飾られており、宇多丸師匠の批判(厳密には投書に書かれていたのですが)は「言わば捨てた女にそんなことをさせるのはどうなんだ」というもの。
 しかし、これは繰り返す通り明らかな誤読から成り立っています。少なくとも原作において、ジャイ子が漫画家を目指す少女として再登場した時点で、のび太への感情は描かれていない。つまり、歴史が既に変わったと見るべきで、こんなところにまで文句をつけるのは、ちょっとナイーブすぎるように思いました。
 また、これは『1』を評した回*2で語られたことなのですが、ここで師匠は何としたこと、「ジャイ子こそのび太が目指すべき存在だ」とか、「のび太はジャイ子と結婚すべき」とか全くもって理解することのできない、わけのわからんうわ言を口走っておいででした。師匠によれば「ブスと結婚するのは嫌だ」と考えることが、そもそもまかりならんそうです。
 じゃあ、お前がジャイ子と結婚しろ。
 本当に杉田師匠にも負けぬジャイ子萌えぶりです*3
 実はこれらの評、宇多丸師匠のみならず複数のyoutuberから聞かれ、さすがに愕然としました。もちろんそうした評そのものが師匠の評に影響を受けた可能性が高いとは思うのですが、それだってこうしたフェミニズム的な結婚や恋愛否定、男性性否定の思想がここまで「一般化」されていればこその話であり、本当の本当に『ドラえもん』が「アップデート」されてしまう未来も、そんなに遠い話ではないのかもしれません。

*2 【酷評】宇多丸「心底下品だ。」 STAND BY ME ドラえもん
*3 杉田師匠の「ジャイ子萌え」については「ドラえもん論 すぎたの新強弁」を。


 ――さて、ここまでで宇多丸師匠は稲田豊史師匠に近いスタンスを持った方だと、おわかりいただけたのではないでしょうか。
 ということで次回は、師匠の「のび太叩き」をご覧いただきましょう。