閉じる
閉じる
×
※この記事は、およそ9分で読めます※
――ご無沙汰しておりました、『BEASTARS』評の時間です。
正確には匿名用アカウント氏の本作品評への感想であり、まずは本ブログ前回と前々回、前々々回、前々々々回、前々々々々回、及び匿名氏のnoteを読んでいただくことを推奨します。
さらに、そもそもの『BEASTARS』も読んでいただくのがベストなのですが、ぼく自身、単行本の最新刊、つまり二十一巻を読んだところです。
実はこれを書いている途中、最終巻の二十二巻が出たのですが、今回はそれを読まずしての中間報告になります。
・兵頭、二十一巻まで読んだってよ
さて、決戦前夜までのまとめをしておきましょう。
上に「決戦」と書いたように本作、完全にバトル漫画と化しているのですが、ようやくハルもちょっとずつ出番が増えています。
19巻では例のメロンに「私を食べていい」宣言をするエピソードが入ります(ルイの「俺たちがお前の住みやすいいい世の中にしてやる」というセリフはそれを聞いての発言です)。ハルは「草食動物は食べられてなんぼ、それが私の草食道」などと宣い、こうなるとやはり「肉食」を正当化するしかなくなり、正直何を考えているのかよくわかりません。
そのくせ20巻ではクリスマスが近づいている(この世界では「レクスマス」)、今年こそレゴシとの関係を進展させよう、などと考えており、もうメチャクチャ。男を複数使い分けることが、作者の中で「当たり前のしかるべきこと」として認識されているのかもしれません。
それより笑っちゃったのが、ハルがレゴシに身体を許そうという覚悟の下(これもいかにも急ですが)レゴシの下宿を訪れる話。それでも踏ん切りのつかないレゴシに「やらせもしないクセにエラそうに言うな」的な啖呵を切り、レゴシに「男女が逆転してるよ」と言われます。何というか、女性にとっては痛快な描写なんだろうなあと、こちらとしては半目でページをめくるばかりでございます。
その後、ふと気づくとレゴシのベッドがハルの血で汚れている。
パニクるレゴシだが、その血はトマトジュースでしたあぁ!!!(大爆笑)
いくら何でも匂いでわかるでしょうに(もちろん、「あまりにショックでそう考える暇もなかった、などと言わせてはいるんですが)。
ここでまた、レゴシが「ぼくはいつも君に甘えていたんだね」とかキモポエムを吟ずるシーンに入ります。いや、明らかにハル(を筆頭とする牝キャラ)ばかりがレゴシに甘えていると思いますが。
メロンの回想で「学校では草食と肉食がもめると決まって肉食が悪いとされた」、レゴシとメロンが対決していると警官が(肉食である以上、こっちが加害者に決まっているのだと)レゴシを捕まえようとするなど、「我が意を得たり」と言いたくなる描写もいくらもあるんですけどねえ。
とにかくこのムカつく女、絵的にも全く、驚くほど魅力がありません。
他の、例えばジェノなどは女性性を感じさせ、それなりに萌えなくもないだけに、比較すると一層、「みすぼらしい」という感想以外が湧かないキャラで、確か初期の巻でヒロイン(ハルとジェノと後誰か)がランジェリーでポーズを決めている扉絵があったのですが、申し訳ないけど笑ってしまいました。ジェノはケモナーなら喜びそうですけど、ハルで喜ぶ人っているんですかね。
作者がどう思っているのか疑問なのですが、フリートークなどで書かれるところを見ると、作者のイメージするハルは「外見はロリータだが、鋭いことをズバズバ言う」という町田ひらく的キャラ*1。或いはハルを萌えキャラと思って描いているのでは……とも思える節があるのです。
……などと書いていくとみなさん、ぼくが腹を立てて舌鋒極めてハルを罵っているとお考えかもしれませんが、むしろ今まで言うことを控えていたくらい、ハルの魅力のなさはむしろ見ていて気の毒ですらあるのです。
――では、今になってどうしてハルのデザインをdisり出したかと言いますと……。
*1 町田ひらくは「幼女がオッサンとセックスしつつ、何かずっとエラそーにのたまって精神的優位に立っている」という漫画で女性に好評価を得、メジャーになった御仁です。
「負の性欲」というワードが定着した今となっては、その「負のポルノ性」は本作と同様であること、おわかりいただけましょう。
またこれは、前回ご紹介した動画における「ちびのミイ」評とも相通じていることも、ここまでくればおわかりになるのではないでしょうか。ミイは魅力的なキャラではあるものの、(スナフキンにおいてすら描かれた)内面、裏面のないチートキャラ。女性は彼女の毒舌や攻撃性に快哉を叫ぶのだろうけれども、そこにばかり目を向けるのはどうか……というのが動画においてなされた指摘でした。
何とこの終盤になって、またも牝ウサギの新キャラが登場するのです。
18巻において、ルイと共に裏市へ赴いたレゴシが、ルイの裏市時代(食肉として捕らわれていた時代)の旧友たちと会うという話になるのですが、その一人が牝ウサギのキュー。
何つーか……このキューが、ぼくの時々言う、「女ボス」キャラ。女性向けの漫画に出て来る、「半目でタバコ吸いながら男の悪口を言っては拍手喝采される、女性グループのボスをやってる女」的なキャラなのです。
それがまたものすごいデザインで、どのような意図で描かれているのか(例えばアニメ化した時、実写化した時、どのような感じになるのか)今一わからないのですが、見た目が「口の周りに泥棒髭がボーボーで、胸毛もボーボー、ギャランドゥ(へそ毛)もボーボー、ボーボーの陰毛がパンツからはみ出している」といったデザイン。恐らく白黒のブチで、黒い毛だけを描写したがため、そのように見えるのでしょうが、作者も結果的にそのように見えることを意識せずして描いているはずがなく、何というか……。
さらに、口調も男言葉そのまま(ご丁寧にタバコも吹かす)で、女と明言されない限り、とても女には思えないのだけど、これを見てレゴシは「可愛い」と言うのです!
ここへ来てこれでは、一体作者は何を考えているのか……実写系の女性向けコンテンツでは驚くような不美人が平然とヒロインをやって、女性ファンが「可愛い」と声援を送ったりしていますが*2、これもそれなんでしょうか?
このキュー、ゴウヒン(裏社会を住処とする屈強なパンダ)が好きなのですが、彼に出す手紙に青とピンクのどちらの切手を選ぶかという選択を迫られ、即座に青を選びます。つまり、この人も(『ガガガ』の仲村さん同様)ピンクという「女性性」に対し、ナイーブな屈折を抱えているのです。こんな強くたくましい女性でも乙女な部分があって可愛いですね(白目)。
もう一つ、まあ、当ブログ的にはどうでもいいことですが、ここでこのキューは「イマジナリーキメラ」とやらいう超能力(?)を発言させます。想念の力(?)で肉食獣と化すのです。レゴシもまた、見よう見真似でそれを習得し(?)、ウサギとオオカミの雑種のような姿に。
いや、もう、動物が立って歩いているだけで充分飛躍があるんだから、いきなり異能バトルになるのは勘弁してくださいよ。
*2 先の動画で「グリッタ嬢」について述べました。が、このキューやハルもグリッタ嬢も「ブスコンテンツ」とは言えましょうが、微妙に温度差はある気がします。グリッタ嬢は明らかな「私より下」に憐憫と共に「可愛い」との声をかけるためのキャラですが、キューやハルは普通にいい女として描いているように思います。
もっとも、いずれも「ブスがモテる」ことを楽しむキャラという意味で、大きな枠では同じとは言えます。
・兵頭、またオチを捏造するってよ
一方、ルイは17巻において婚約者との初夜に失敗した後、何だかんだでシシ組に戻っています(戻んなよ! 殺されたヤツの立場どうなるんだよ!)。で、「肉食獣の雄に囲まれている方が草食獣の雌といるより落ち着く」などと言うのです。
いえ、初夜に失敗したこととそれとに因果関係はないようなのですが、流れで見ると、まるでルイが女よりも男に目覚めていたというか、何かBLに見えちゃうんですね。
で、20巻においてルイと(義理の)父親との別れが描かれます。ルイが家に帰ると、父親がいきなり事故に遭って死にそうと知らされるという超展開。スマホとかある世界観なんですけどね。
今際の際の父親は「今、お前との関係を脳内計算機で計算している。ピピ、error」みたいなことを言うんですが……何なんでしょう。おそらくは昔の漫画で敵の博士が「しゅ……主人公の正義のパワーはコンピュータでは測定不能です!」みたいなことを言う、ああいうのをやりたかったんだろうな、と思われます。即ち、感情というものを解さない理屈屋が感情というものの力を目の当たりにしてパニクる、冷静な父が息子を愛していたことに気づき戸惑っている、というシーンなのでしょうが、何か唐突過ぎて不自然です。
あ、いや、ここは特に本筋に関わってくるところではないのですが、レゴシがメロンを迂闊に逃がしてしまうシークエンスしかり、どうも本作、ここへ来て作品としての綻びが目立ち始めたように思います。
とにかく父の死と共に、ルイは彼の会社を引き継ぎ、21巻では(クライマックスであるレゴシとメロンの裏市でのバトルに並行して)ルイの就任挨拶がテレビで行われるのです。この折にルイは「肉食獣は肉食をすべき」と演説し、大騒ぎになる……というところで21巻は終わっています。
しかし先のハルの件も含め、普通に考えれば、ここから導き出されるのは「草食獣は肉食獣に守ってもらう代わりに、その肉体を食物として捧げるべき」との、『ミノタウロスの皿』で語られたような道徳律であるはずです。
しかし……「草食獣が自らを食べられる側の存在として受け容れる」というのであれば、それは(既に近代的な文明を備えていながら)社会の構成員の生命というものをそれほど重要視しない、異常な社会を現出させることになるわけで、もしそんなオチになるとしたら、かなりグロテスクです。
が、もしこのまま進むとしたら、オチはどのようなものになるか。
最終回予測をもう一度、やってみましょう。
この「肉食」には、それが「性欲」のメタファとして扱われていることからもわかるように、またレゴシの言動を見れば自明であるように、常に「罪悪感」が伴います。
「肉食はとてつもない罪悪感を持って草食を食せ」というオチがもしつくとしたら、これはある意味、女性心理としては理解しやすいものになります。性にまつわる事象は全て「男が自分を求めたから、仕方なく、ないし嫌がっているのを強制的に供物とされる」というものなのだ、というのが女性の論理だからです。
でもそれならば、既にレゴシの心情としてしつこく描写されている以上、やっぱり既に行われていることの反復、といった感が拭えない。
それでも予想するならば先のルイとのお話のように、「肉食は草食の肉体の一部を食らい、そしてその埋めあわせに一生、その草食の面倒を見る奴隷と化せ」というオチが一番、穏当な気がします。
既に書いているように、ルイは「BLの受けキャラ」であり、「女の喜びを受け容れた(食べられる性であることを肯定する)女」ともいうべきキャラだと言えます。
最終回、その図式が男女関係へも反映される(BLの壁を破る)という展開も、考えられましょう。もっとも、肉食は一度すれば満足できるものではないでしょうから(食べた足がまた生えてこない以上、そう何度も食べるわけにはいかないのですから)、「若いうちの、一瞬の快楽で一生が縛られる」のはいかにも難儀ではありますが、ある意味、今の男女の性役割の忠実な再現とはなっているとも言えます。
……というわけで長らく続けて参りました『BEASTARS』評、次回(と言っても、来週には間にあわないでしょうが……)が最終回です。