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 ――さて、長らくお待たせしました。例のヤツです。
 元は匿名用アカウント氏の本作品評への感想であり、まずは本ブログの前回前々回前々々回前々々々回前々々々々回前々々々々々回、及び匿名氏のnoteを読んでいただくことを推奨します……とここまで書いただけでもう、ぐったりとしました。初見の方はまず匿名氏のnoteをご覧いただいて、そっから(お気に召したら)辿っていただくことを推奨します。
 さらに、そもそもの『BEASTARS』も読んでいただくのがベストなのですが、まあ、そこはお好みで……。
 それとおわかりでしょうが本作のファンの方、ネタバレを回避したい方はお読みになりませんよう。
 ものすごい勢いでネタバレした上、貶しますから。

・ギリギリでぶっこまれた牝キャラ、またイキるってよ

 前回記事、つまり(その6)において、本作の21巻までをご紹介しました。その時はラスト間際に投入された新女性キャラ、キューの不快さについてぐちゃぐちゃと私見を述べさせていただいたかと思います。
 先日、ようやっと最終巻である22巻を読んだのですが、念のためと思って21巻を読み返してみて、肝をつぶしました。
 21巻にも新女性キャラが投入されていたのです。裏市を取り仕切るヤクザのボスの一人である牝ギツネ、テン。いや、出て来たこと自体は覚えていたけれども、読書メモにも書かれておらず、まさかこんな不快なキャラだったとは驚きでした。
 ラストバトルにおいてレゴシとテンとの戦いが描かれるのですが(一応メロンとの最終決戦なのですが、裏市の縄張りを決めるための「裏市一武道会」のようなものです)、それがまあ、本当に「女社会のボスが男を悪し様に罵る漫画(時々言及する、半目でタバコ吸ってる女が威張ってるようなヤツです)」を切り抜いてきたようなもの。
 まずそのテン、すらりとした体躯を持ち、顔も「ケモナー」が喜ぶようなデザインを保っている、ジュノと同等の、まあ「美形」と言っていいキャラ。
 それがバトルの最中、レゴシを「童貞でしょ」と煽ってきます。彼女は「男って下品」などと言うのですが、そういうことを言う女の方が下品だと思いま~す。いや、一応レゴシがスカートをはいたまま戦うその女に欲情しているのを感じ取って、不快感を感じたということなのだと思うのですが、しかし命懸けのバトルの時に勃起なんかするかなあ。
 テンは女を武器に勝負を有利に運んでいるようにしか見えないのですが、レゴシは「やっぱり女相手に本気になれない」と感じ、その上で「これも差別と言われたらそれまでだが」などとつけ加えます。
 ここ、意味がおわかりでしょうか。
 或いは若い人ほど、このレゴシの言っている意味がわからないのではないでしょうか。ぶっちゃけ本作が「炎上」しないのって徹頭徹尾何が描かれているかわからない、男の子から見れば宇宙語で展開しているような物語であるからでは、とすら、ぼくには思えます。
 レゴシは女性は女性であるが故に守らなければならない、しかしその責務を果たすこと自体が女性を対等に見ない女性差別である、と言っているのです。
 レゴシは、正しい。
 女性差別がないことが判明し、しかし女性差別がないと「シコれない」女性たちは、男性に対して「自主的に女性に全てを差し出した上で、その行為を女性差別であると認識し、謝罪して自死すること」を要求してきました。自死するところまでがフェミニズムです。
 で、レゴシは「今まで出会った女性たちに敬意を表する」などと称し、スカートをはいて戦うのです!! 本作はとにもかくにも全体的に説明不足でよくわからないのですが、どうも相手とフェアに戦うためということのようです。テンがスカートをはいてるのは自主的な判断だと思いま~す。
 だって驚くべきことに、レゴシに「何でそんなスタイルをするのか」と問われ、テンは「スタイルよく見えるから」と答えているのですから。そう、決して男に媚びるためではなく、自分の意志でスカートをはいているけれども、スカートをはいたことによるデメリットは全て男の責任ですよね、わかります。
 このテンの返答に、レゴシは「適う気がしない」と漏らします。
 男性が読めば恐らく十人中十人は「女の自己中にはとても敵わない」という意味に取ると思いますが、もちろんそうではありません。ここは「本当に素晴らしい女性様への賛美」というシーンなんですよ、ちゃんと読み取れてますか?
 何せご丁寧に、レゴシはここで「ハルもいつもスカートで大変だったんだなあ」などとつぶやくのですから。ハルちゃんはバトルとかしてないと思いま~す。
 いえ、そのバトル中にすら、レゴシは急襲してくるメロンからテンを守ります。念のために申し上げておきますが、両者、敵同士なんですけどね。

・イキり牝キャラ、こんなにいるってよ

 さて、まあ、何か、そんなわけで、えと、本作には以上のように綺羅星のような敬愛すべき女性たちがこれでもかと登場してくるわけですが(棒)、まあ、前巻までのも含め、扱いきれなかったキャラの総ざらえをちょっと。

 1.ニワトリ
 そもそも本作、大勢にはかかわらない閑話休題的なエピソードが時々、合間に挟まります。このキャラも三巻において、丁度裏市が扱われる手前の、そんなお話に登場するキャラ。
 ニワトリであるが故、産んだ卵(無精卵)を売るバイトをしており、その卵の美味さにプライドを持っています。仲間たちはバイトごときに熱を入れる彼女をバカにしているのですが、本人はレゴシに卵の美味さを評価されたことで、いよいよバイトに誇りを抱きます。
 終わり
 正直、特にこれといった話ではないのですが、「裏市が描かれる前に挟まれた、道徳的にも法的にも問題のない動物性タンパク摂取の話」に深い意味がないとも考えにくい……とずっと思っていたのですが、最終巻まで読んだ後では、「作者は何となく描いているだけで意味はない」が正解ではないかとw
 ただ、周知のとおり作者の自画像もニワトリで描かれており、このニワトリを敢えて雑に比喩的に表現するならば「女流エロ漫画家」なのではないでしょうか。
「聖母のように男たちに寄り添い、それを癒してやるワタシ」という自己イメージ。
 しかし実際には「安全地帯でまがいものの自己犠牲を提供したことで何とはなしに自分を崇高な存在だと思い込んでいる女」。
 美味い卵を産んでくれるニワトリは、そんな作者の歪み切った自己認識が迸り出たキャラだったのではないでしょうか。

 2.ストリッパー
 上のニワトリ同様、一話限りの一発キャラで、裏市でストリップをやっている牝ヒョウだか何だか。読まずとも想像がつくかと思いますが、ジェノ、テン同様の肉食獣のデザインが施された、つまり一応性的な肉体を与えられた、いわゆるケモナーなら萌えるであろうキャラ。
 えぇと、何か男たちに自分の肢体を見せて、優越感と自己愛に浸ってるだけで、別段どってことのない話。
 が、ニワトリが「ご飯を与えてくれるお母さん」であることを考えると、この「肉体性を与えてくれる娼婦」の位置づけは明白でしょう。作者はそうした女に与えられた役割を平成ライダーのようにモードチェンジしつつ、自在に楽しんでいるのではないでしょうか。

 3.メロンの母親
 はい、ここから最終エピソードにかかわるキャラの登場です。
 メロンは一応、それなりに内面について掘り下げようとした形跡の見られるキャラで、ぼくの方にセンスがあれば、それなりに読み取れるものがあったのかもしれませんが、正直、言わんとするところはあんまり伝わってはきませんでした。
 要するにメロン、肉食獣と草食獣のハーフとして生み出された出自を呪っており、言わばレゴシとハルの恋愛のアンチテーゼとして作られたキャラ。
 母親の方が肉食獣であり、愛の重さ故に父親を食い殺したと語られていました。これは食殺事件篇のリズのような立ち位置を女性に演じさせているとも言え、ここにいかなる答えを出すかは注目すべき点でしたが……肝心のクライマックス、メロンとレゴシのバトルの最中、いきなりメロンの父親が顔を出します。「あれ、うちのメロンがどうかしたんですか?」。
 そのしょぼくれたサラリーマンのような姿で描かれる父親、若い頃ふらふらと肉食獣(メロンの母)との間に子供を作り、責任を取るのが怖くなり、逃げたのだったぁぁぁぁぁ~~~~~ッッッッッ!!!!!
 何だそりゃ!?
 罪悪感を感じる様子もなく、肉食獣の愛の重さに辟易としたと語り、メロンと再会するでもなく、(会いたいとも考えておらず)そのまま父親は劇中からフェードアウトします。
 このドラマツルギーの無視はいっそすがすがしいほどで、要するに女を悪者にした作劇などそんな難儀なことできないと考え、「やっぱり男が悪者ですた」と大慌てで宣言し、放り投げたのでしょう。
 いや、連載スケジュールの都合で考えていた展開を描けなかったとか、裏事情はあるのかもしれませんが、しかし見る限りは当初予定していたドラマ(女の愛の重さを肉食に準えること)を、それもものすごいぶん投げ方で放棄したようにしか、見えません。

 4.レゴシの祖母
 後半のストーリーについてあまり語ってないので、理解しにくいかもしれませんが、レゴシにはゴーシャというドクトカゲの祖父がいます。いくら何でもトカゲとオオカミが子供を作ったってのはどうなんだって感じなのですが、とにかくそういう設定なのです。
 ゴーシャは毒を持っているため、妻とキスをした後も消毒薬でキスの跡を拭き取らなければならなかった存在として描かれます。まさに「男性は悪そのものだ」との作者の強固な信念を端的に表現したキャラと言えましょう。
 上のメロンの父親の無責任さにブチ切れたゴーシャは妻との生活を説明する長い回想シーンに入り、

夢のような毎日だった
心優しくて美しい種族とされる
オオカミの彼女が
怪物扱いされるコモドオオトカゲの私と共に家庭を作ってくれて


 などと言い出します。
 ところが妻はその消毒薬の中身をだんだん希釈していました。
 そして毒にやられて笑って死んでいきます。
 正直、よくわかりません(とにかく最終回近くってページがないのか全てにおいて説明不足で何とはなしに進んでいきます)。
 敢えて言えば「愛する人に殺される歓び」を描いているのだと思います。と同時に当然、「男は女に対して罪悪感を持って接しよ」との作者の道徳律をも。
 女性がレイプ物のBLやレディースコミックが大好きなのは要するにそういうことで、自分は一切の責任を取らないまま、男が全てのお膳立てをした上で快楽を与えてくれ、罪悪感をも引き受けてくれるからです。
 ただ、本作のあらゆる牝キャラが「殺されてもいないのに殺されたとわめく」行為を繰り返している(例えば自分でスカートをはいて男を詰るテンも広い意味でそうでしょう)のに比べ、実は生命を投げ出すという意味では、唯一責任を取った女性ではあります。
 しかしここにはある意味、女性のジレンマが描かれてもいるわけです。つまり「男に食われる」ことは「快楽」である。しかし自分の性的価値を際限なく上げていけばいくほど(「快楽」は強まるが)実現に至るまでのコストが高くなる。
「たかだか男にやらせるくらいのことを、死というメタファーで描くことで、ハイグレードなオナニーを実現することができたが、そのせいで実際に男とやるハードルは無茶に上がった」という、どこかの星で起こっている事態と同じことが、ここでも起きています。
 ルイが「肉食獣は肉食をすべき」と演説したのは「男に掘られる快感に目覚めた」からでした。腐女子がエグいBLを描くように、男のルイにだから「食べられたい」との本音を言わせることができたからでした。
 しかし少年誌でそれを描くと(男に罪悪感を抱かせるため、また快感を大きくするため、「殺人」に準えたはいいが、その上で「やらせる」とすると)エグいものになりすぎる。
 その自縄自縛のまま、どうにもならなくなっている女性たちの現状を、本作は描いたと言えるのです。

 ――とまあ、今回はこんなところで。
 次回、いよいよ最終回です。
 まあ、何と言うか驚き(呆れ果てる)のクライマックスがあなたを待っておりますので、乞う、ご期待!!