土曜日、ある酒宴に招かれて東京品川の武蔵小山に向かった。かつて母方の祖父母が暮らしており、子供の頃によく訪れた下町だ。
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なんだか、読みながら涙を必死で堪えてしまいました(通勤電車の中で読んでいます)
思い出の場所が変わってしまっていると、
なんとも言えない気持ちになりますよね。
そこに暮らす人にとっては、便利になったり、新しくなったりしたほうがいいのかもしれなくても。
私も祖母の実家のあるまちに20年近く行っていないですが、何回かその路線に乗り祖母の家の最寄り駅を通過したとき、工事をしている様子を見て、寂しくなりました。
祖母の家も亡くなった後建て替えられて、
今はおば一家が住んでいるのですが、
その新しい家を見たら、自分の子供の頃の思い出が壊されたように感じてしまいそうで、怖くて行くことができないままでいます。
「場所」に呼ばれたのか、そこにあるであろう、おじいさんとおばあさんの魂?に呼ばれたのか、
このタイミングで、懐かしい場所、小原さんのルーツのような場所(でいいのでしょうか?)に行けたこと、
なんだかすごく、せつなくてあたたかいなぁ、と、思いました。
私も昨年、子供の頃、夏休みの度に遊びに行っていた祖母の家が取り壊されてしまいました。
思い出の場所がなくなってしまうというのは、なんとも切ないですね。
何かの本に「人間は、魂が揺さぶられるほどの感動を、どれだけ体験したか、そして、その体験が多ければ多いほど、自分の人生は幸せだったなぁ、と感じる」というようなことが書いてありました。
ただ、幼い頃に体験した、少しだけ非日常の体験、というのも、心の片隅にいつまでも残っているものですよね。
小原さんのおじいさま、おばあさまも、ひ孫の誕生を楽しみにしていること、そして、自分たちが、この場所で生きていたことを次の世代に語り継いで欲しい…そんな思いを小原さんに届けたかったのだと感じました。
元気なお子様の誕生を心よりお祈りいたします。
おはようございます!
年を重ねていくと、だんだんと
慣れ親しんだ風景が、ひとつ、ひとつ、
なくなっていきます。
まるで、しゃぼん玉みたいに
ぱちん!と割れたような……
そして、一緒に思いでも消えちゃうような
そんな感覚。きっともう、少しずつ、いろんなこと、忘れていっているんでしょうね。
でも、小原さんみたいに
なにかのタイミングでその土地に
呼ばれることってある気がして、そのときは
いっーぱいいろんなことに思いだして、懐かしんで。
年を重ねるごとに、景色や風景をみるたびに
そう思います。
小田和正さんの「my home town」
まさにそんな、歌詞です。
>>1
貰った命が次に繋げられそうだということを報告するのをすっかり忘れていたので呼ばれたような気がしたんですよね。反省です。時間ができたら墓参りがてら報告に行かねばと思っています。
>>2
魂が揺さぶられるほどの感動、それがすなわち幸せ。分かるような気がします。でもそれって非日常よりも日常の側に転がっていることの方が僕の場合は多いような気もします。
>>3
10代を過ごした、そしてずっと出たかったHOME TOWNには今や実家もなくなってしまったので帰る理由もなくなってしまいましたが、近い将来感慨深く見つめ直す日が来るのかもしれませんね。どんな理由で足を運ぶことになるのか今はまだ想像もつきませんが。
懐かしき思い出の街の面影、今はなき昔の姿。
でもお祖父様が変わりゆく街を次の世代に繋いで欲しい、そういう思い出小原さんわお呼びになったのかもしれませんね。
>>7
どういうかたちであれ、何千年も前から受け継がれて来た土地の営みを次の世代に受け継いでいく為に必要な進化だと信じたいですね。