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「春隣(はるどなり)」
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「春隣(はるどなり)」

2017-02-01 07:00
  • 8

 海辺の小径を散歩していて梅の蕾や小さな花々を目にする機会が増えた。藍より青くなった海上や岩場ではワカメ採りに勤しむ漁師さんも見掛けるようになった。

 
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おはようございます!

新ワカメ、しゃぶしゃぶで、もう食したんですね♪いいなー。先週わかめとりにいったけれどまだ流れ着いてなくてーー残念。

旬のものを採りたてでいただける環境は、都会にはなくて、すごい贅沢で。働いていると数字、結果、業績と日々進歩し続けなくちゃいけなくて、そうしなきゃ幸せになれない気がして。

でも自然を意識すると何てちっぽけなことなんだろうって気づかせてくれます。
人生これでいんじゃないかとおもう、ほんとそうですね。海の色も山の色もほほを撫でる風も
なんとなく春の気配ですね。

No.1 94ヶ月前

大切な人の成長を安心して見守っていられるということ、今年もまた、去年のように年中行事ができるということ。「小さいけれど、確かな幸せ」なのですね。

No.2 94ヶ月前

福山雅治さんの「美しき花」が
聞こえてくる気がします。
あの祈りにも似た歌詞が
ふとよぎりました。
娘さんとの幸せそうなひととき。
羨ましいなぁ、なんて思いつつ。
春隣。ステキな言葉を知りました。
春隣。春隣。
いいですねぇ。

No.3 94ヶ月前

春隣、素敵な言葉ですね。梅の花がほころび始め、海ではワカメの収穫が始まり、春が到来し始めていますね。まだ寒い日が続いてはいますが。
都会の生活と郊外の生活、違いは時間の流れなのかもしれません。都会でのせかせかとした時の流れとは真逆で郊外では自然の時の流れが無意識のうちに人々の生活に取り込まれているように思います。郊外の方が自然な時の流れの中でゆったりとした心を持つことができ、余裕があるかのように見えるのではないでしょうか。

No.4 94ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>1
毎年変わらないから幸せなんだな、と季節の移り変わりや旬の食べ物を味わうたびに思いますよね。

No.5 94ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>2
責任が重いからこそ今まで以上に不安はありますけど、海と山のあるこの土地でならなんとかなるかなあと思えるんですよねえ。

No.6 94ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>3
僕は「何度でも花が咲くように私を生きよう」を思い出します。

No.7 94ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>4
経済的には圧倒的に豊かじゃないのに、自然と共に生きている人たちの方が都会で生きている人たちよりも豊かだったり余裕を感じるのはどうしてだろうと僕も都会で暮らしている頃にずっと思っていました。今はその正体がよく分かります。

No.8 94ヶ月前
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