草の根広告社 「ノスタルジア」 2017/09/18(月) 07:00 6 タグを編集 自分の人生がある場所へ 登録単語を空白で区切ると一度に複数のタグを登録できます。・タグを編集するにはログインしてください。・同じタグは複数追加できません。・最大文字数を超えているため追加できません(全角20文字半角40文字まで)。・タグの登録数が上限に達しているため追加できません(最大10まで)。・タグのロックは1記事あたり最大5つまでです。・ロックされているタグは削除出来ません。・不正な操作です。・タグの追加に失敗しました。お手数をおかけしますがしばらくしてから再度お試し下さい。 生まれ育った町が嫌いだった。 この記事の続きを読む ポイントで購入して読む ※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら ログインしてください ログイン 購入に関するご注意 ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。 ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。 記事一覧に戻る 6件のコメントを見る ポスト シェア 違反報告 2017/09/15(金) 07:00 『三度目の殺人』 2017/09/20(水) 07:00 「無花果と蜜蜂」 新着記事 「青春のわすれもの」 2日前 「のびしろ」 4日前 「海が死んでいる」 6日前 「干渉と放任」 2週間前 「ラストチャンス」 2週間前 記事一覧 草の根広告社 フォロー 『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と 「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。 メール配信:あり更新頻度:週3回(月水金)※メール配信はチャンネルの月額会員限定です 小原信治 1969年生まれ。神奈川県出身。1989年より放送作家及び脚本家として活動中。2008年からは青葉薫として全国の農家を訪ね歩くフィールドワークも開始。その経験を書籍「種蒔く旅人」や同名タイトルの映画原案などにも。2010年には三浦半島にある海辺の小さな町「秋谷」に移住。東京・大阪などでの本業の傍ら、里山で自らの畑を耕しながら執筆活動を続けている。株式会社オフィスクレッシェンド取締役 お問い合わせは⇒http://www.crescendo.co.jp コメント コメントを書く Kumi(ID:29910722) おはようございます。 年取ったからなのかもしれませんね。 そして、今の生活がとっても幸せだから 苦しかった日々を振り替えれるのかもしれませんね。 年を取って、理不尽さも諦める気持ちも 知るようになって、 悟りの境地にはいりつつあるのかな、なんて おもいながら。 No.1 90ヶ月前 悠里(ID:71178016) 若輩者の私が偉そうな事を言える立場ではないかもしれませんが…どんな環境だったにしてもそこでの経験や感じた事など今ある自分のルーツが紛れもなくそこにあるからなのではないかなぁと思いました。私事で申し訳ないですが…私の父は小さい時に両親を亡くし父のお母さんの妹さん夫婦に(夫婦の子ども達3人と共に)厳しくも愛情をもって育ててもらったそうです。ただ父はただでさえ貧乏なのに自分まで…という遠慮の気持ちもあり新聞配達をしていたそうです。そんな父の育った家は跡形もなく無くなりましたがお墓参りに行く時はいつも寄り道をして「ここのコロッケが美味かったんだよなぁ〜」と通る度に嬉しそうに懐かしそうに話をしてくれます。正直聞き飽きてますが(笑)そうやって大変だった事も楽しかった事も色々と話をしてくれる父が私は大好きです!自信を持って言えます。ただ…面と向かっては恥ずかしくてそんな事言えませんが(笑) No.2 90ヶ月前 hiroe(ID:48932855) 離れて暫く経つと懐かしく思い愛おしく思うようになるそうですね、故郷って。 ふるさとは遠きにありて思ふもの 昔の人の詩にありますが、離れて初めて気付くこともたくさんあるのでしょうね。 No.3 90ヶ月前 小原信治(著者) >>1 当時と比べて今が幸せだと思える部分は「足る」を知ったからかもしれません。当時より今の方が辛いと感じている部分は自分を「諦められない」からのように思います。当時は水面でもがいてましたが、今は水面下でもがいていることの方が多いですね。 No.4 90ヶ月前 小原信治(著者) >>2 自分を育ててくれた人たちの昔話って安心しますよね。彼等が見ていた景色の想い出が自分の遺伝子の中にも眠っていて、ざわっとさせられるような。僕の両親はあまり話してくれないので、僕自身はいつか読む娘の為にもこうして書いているのですが。 No.5 90ヶ月前 小原信治(著者) >>3 南房総のかしこちゃんもそうですが、一度も生まれた土地から離れずに生きている人は故郷をどう思っているんだろうと想像します。 No.6 90ヶ月前 コメントを書く コメントをするにはログインして下さい。 以下のコメントに対して返信します コメントする
コメント
コメントを書くおはようございます。
年取ったからなのかもしれませんね。
そして、今の生活がとっても幸せだから
苦しかった日々を振り替えれるのかもしれませんね。
年を取って、理不尽さも諦める気持ちも
知るようになって、
悟りの境地にはいりつつあるのかな、なんて
おもいながら。
若輩者の私が偉そうな事を言える立場ではないかもしれませんが…どんな環境だったにしてもそこでの経験や感じた事など今ある自分のルーツが紛れもなくそこにあるからなのではないかなぁと思いました。私事で申し訳ないですが…私の父は小さい時に両親を亡くし父のお母さんの妹さん夫婦に(夫婦の子ども達3人と共に)厳しくも愛情をもって育ててもらったそうです。ただ父はただでさえ貧乏なのに自分まで…という遠慮の気持ちもあり新聞配達をしていたそうです。そんな父の育った家は跡形もなく無くなりましたがお墓参りに行く時はいつも寄り道をして「ここのコロッケが美味かったんだよなぁ〜」と通る度に嬉しそうに懐かしそうに話をしてくれます。正直聞き飽きてますが(笑)そうやって大変だった事も楽しかった事も色々と話をしてくれる父が私は大好きです!自信を持って言えます。ただ…面と向かっては恥ずかしくてそんな事言えませんが(笑)
離れて暫く経つと懐かしく思い愛おしく思うようになるそうですね、故郷って。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
昔の人の詩にありますが、離れて初めて気付くこともたくさんあるのでしょうね。
>>1
当時と比べて今が幸せだと思える部分は「足る」を知ったからかもしれません。当時より今の方が辛いと感じている部分は自分を「諦められない」からのように思います。当時は水面でもがいてましたが、今は水面下でもがいていることの方が多いですね。
>>2
自分を育ててくれた人たちの昔話って安心しますよね。彼等が見ていた景色の想い出が自分の遺伝子の中にも眠っていて、ざわっとさせられるような。僕の両親はあまり話してくれないので、僕自身はいつか読む娘の為にもこうして書いているのですが。
>>3
南房総のかしこちゃんもそうですが、一度も生まれた土地から離れずに生きている人は故郷をどう思っているんだろうと想像します。