小規模農家の多いこの町には、庭先で野菜を無人販売している農家さんがコンビニの数よりも多い。大体なんでも100円だ。ニュースなどで「今年はきゅうりが不作で値段が高い」と言われていてもいつもの量で100円だし、逆に「今年は白菜が豊作で値崩れを起こしている」と言われていても、
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題名だけ見てちょっとビックリしました。
でも内容を読んでその題名に共感できました。
確かに、高級レストランに行って高いものをいただいても、それはシェフの技術料やお店のコストであって、添えられているお野菜を作る生産者には回っていませんよね。
消費者と生産者が共に感謝しあえるような関係性が強くなると、ミニマムな生活ができてくるのかもしれませんね。
今の世の中ではそのバランスが片側に偏り過ぎていますよね。
大人になって、食品の原材料を気にするようになりました。
安いものには添加物が沢山。
逆に自然な物だけで作られている物は高額。
添加物がないような昔は自然が当たり前だったはずなのに…
釜で炊いたご飯だって、昔はそれが当たり前だったのに、今はすごいものになっていて…
豊かさを追い求め過ぎて、人と人が心から繋がれる世界が減ってきている気がして怖いです。
何とか私もできることをして行きたいと思います。
農家さんも生き残るために、国産野菜のブランド化が進み、庶民が食べられるのは、わざわざ石油を使って輸入した安い外国産…なんて未来もありうるのでしょうか。美味しくて安全なもので環境にも負担が少ないものの価値を消費者が賢くなって選ぶってことでしょうか。自分で耕して、種ん蒔くことでしょうか。何もできない私ですが。
>>2
ミニマムな生活、まさにそうです。
>>5
僕らはどこから「豊かさ」を履き違えてしまったんだろうといつも思います。でも日本には決して「豊かさ」を履き違えることなく淡々と生きてきた人たちもたくさんいます。彼らの生活に触れるだけで、教わることがたくさんあります。
>>6
やれることはあると思います。みんなが少しずつ変わることだと思います。今の暮らしを変えることだと思います。それは一番難しいことなんですが、同時に、一番簡単なことのような気もします。
>>9
本当ですね。できることから、そして子どもにも伝えていこうと思いました。複雑にしてしまっていることを元に戻せば解決できること世の中にたくさんありそうですね。まずは自分の暮らしから見つめてみます。
いつも興味深く拝読しております。
私は教育に携わっています。
私塾ですが、「顧客は社会」と明言する社長の下
社員一同誠実に働く会社です。
しかし、日々のなかで
「教育」も「商品」として
「消費する」保護者に出会います。
偉そうでもなく、
モンスターと呼ばれるような方でもなく、
ただ、消費者意識が当たり前なんです。
なんだか、その違和感を、思い出しました。
形のないものを生業にしていると、
違和感がマヒして、
顧客は社会って言われても、
お題目か免罪符になって。
考えたこと、感じたことから、
なにか行動を起こせる人間になりたいです。
子供を持った経験がないので分からないことだらけですが、農業を通じて「野菜は作る人と食べる人が一緒に育てるもの」だと学びました。食べる側が人任せにしてお金を払って野菜という商品を買うだけだから、作る側も現場を見られてないのをいいことに農薬や化学肥料を使って効率重視、儲け主義の農業をするようになるんだと。食べる側は現場を、作る側は食べる人の顔を見ることはどちらにとってもいい結果を生んでいるような気がします。あくまで農業の話ですけどね。