初沢克利著『浅草』(春風社、7000円)を手にしている。写真集である。520ページという大部。
写真には様々なタイプがある。対象が運動や、戦場やで、最高のクライマックスが切り取れれる場合が多い。
初沢氏の場合はそうではない。冒頭を飾る約10枚の写真は、路上パーフォーマンスを見入る群衆を被写体とした。彼らが演じているわけではない。本来は写真の被写体にはならない。それを対象にして写真集の冒頭の写真とした。この被写体をみれば、それぞれの被写体は自分のドラマを持っていることを推定させる。初沢氏はそれを感じながらシャッターを切っていると思う。写真が全てを語っているのでなくて。写真は考える入口だ。そういう写真が初沢氏の写真でないか
初沢克利氏の経歴:早稲田大学仏文科中退、東京写真専門学院卒業。1972年に渡仏する。モンパルナスに居住しながらパリの写真を撮りはじめ日本、フランスの広告界
コメント
コメントを書く絵画と同じように、被写体を撮るカメラマンが、被写体を通じて一つの人生ドラマを描こうとしているのか。専門家ではないからわからないが、何事も、具体的事物、事象を通じて、人生を感ずるまでの撮影段階に至らないと、本物の専門家でないということなのでしょう。教えられるところがある。我々は、米国のことはテレビでもよく視聴できるが、北朝鮮とか中国、ロシアになると一部場面を視聴するに過ぎないことがある。よく知るには、北朝鮮に出かけ、北朝鮮の人の話を聞き、中国に出かけ、中国人の話を聞くことが大切なのでしょう。「浅草」現象は、日本的「和」の世界があり、演劇などのパフォーマンスに対する観衆の顔からうかがえる表情の動きを「瞬時」に表現する。この絶対現在のつかみ方が、その人の感性、経験からほとばしり出たものになったとき、人の心に響くのでしょう。日本的心が表現され、個がしゃしゃり出ることがないということなのでしょうか。西欧と違った没個性寂静世界は、本当に美しい世界である。
孫崎享 様
写真集は見ていただけるだけで嬉しいと思っていましたが、この
度は取り上げていただきビックリしながらも感謝しております。
有り難うございました。
私もTwitterやFacebookで政治問題を主に扱っているのですが、
孫崎さんがおっしゃるように言葉が繋がらないのにはNSNの弱みみ
たいなものも実感しながらも長い間つづけております。しかしこの
ようなネットのシステムがなかった時代にくらべれば遥かに情報や
共感が行き渡る可能性を利用しない手はないと思っています。
浅草の人々にも繋がりません、6年間の浅草通いの間も居酒屋など
で冗談を混じえながら政治の話もしてまいりました。この浅草は浅
草にとどまらないことでもあります。NSNでも実際の会話でも簡単に
対話が出来にくいのは同じでした。外国とはちがいます。
世界でも特殊性の濃い日本人の原点について見るための『浅草』でも
ありました。しかも他者としてではなく自画像として捉えなければな
りません。夏目漱石の「日本は滅ぶ」(小説「三四郎」)といった話
はそのままその中に生きているからです。見ること関係することの
表現は写真の得意とするところです。どのくらい見ることが出来るか
見たものとの共有が写真の可能性でもあります。
先日の孫崎さんのブログにあった玲さんの美しい寄稿文(私の画面に
もシェア)に感動しながら若い研究者との問題の共有は力付けられます。
また何処かの集会などでお会い出来るのをたのしみにしております。