A:事実関係
(1)仙台市長選、野党共闘候補が自公系破る 郡氏が初当選(朝日新聞)
「仙台市長選は23日に投開票され、前民進党衆院議員の郡和子氏(60)が、、自民党宮城県連や公明党などが支持した冠婚葬祭会社長の菅原裕典氏(57)らを破り、初当選を決めた。
郡和子 166,452
菅原裕典 148,993
2期目の奥山恵美子市長の引退表明に伴う市長選は、自民が惨敗した東京都議選に続く大型地方選挙。国政の与野党対決構図が持ち込まれたが、市政自体に明確な争点はなく、与党系候補が政権批判を正面から受けた。敗北で政権への影響は避けられそうにない。
郡氏は民進党宮城県連や社民が支持し、共産、自由も支援した「野党共闘」候補。地元の安住淳・民進党代表代行ら国会議員が連日のように応援に入った。一方の菅原氏は自民や公明が推し、業界団体の組織力に加えて村井嘉浩知事や奥山市長
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東京のように、スーパースターに負けたわけではない。「首相隠し」、「自民隠し」もせざるを得なかった。地方という特殊事情の中でも、組織力さえ機能しなかった。50%を切る投票率で自公が敗北したいう言うことである。安倍政権総辞職しか道が残されていない。「虚言」、「二枚舌」の付けが大きく己に帰ってきているといえる。
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」は、相手を馬鹿にした発言であることの認識が全く欠けている。逆風が収まると思っているのであろうか。安倍首相が居座る限り、ますます強くなるばかり、マスコミが今までのうっぷんを晴らしに来るので、逆風がすさまじくなる。安倍首相ののまいた種が、実り始めているに過ぎない。安倍氏と一緒に、刈り取る必要がある。
居座れば、横浜市長選も、野党候補に女神がほほ笑む可能性が強い。今までの恨みから、自民党内でさえ、野垂れ死にを、だまってみているのかもしれない。自民党も落ちぶれたものである。民主党の末期を思い出す。
政治経済ニュースを逐一追いかけてはいませんが、加計etc.で何かと「タケナカ」の名を聞くようになりました。コイズミ時代に売国の限りを尽くし、ついに消えたと思っていた竹中平蔵。それがゾンビの如く「アベと共に蘇る」状態で、これもヤリたい放題の模様。孫崎さんには、まだ鳴りを潜めているこの筋金入り売国奴の悪行にもメスを入れて頂きたいところです。
仙台市にも多くの良識があって安心しました。反自民で良識的な人格を押し出せば勝てる見通しが立った。
>仙台市長選挙 安倍政権の終焉を示す
東京都議選に続き、
マスコミによる、安倍批判が解禁・むしろ奨励されている。
・マスコミ(新聞・TV)の 買収・恐喝の標的変更。
選挙不正が発動せず。
・ムサシによる電子開票システムを利用した、得票数改変
=選挙得票の偽造・捏造で、選挙操縦は やる気なら 何でもできた。
→
日本の(おそらく米国も)奥の院で、安倍首相の切り捨てが決まった
のではないか。
注
・マスコミ(新聞・TV)の 買収・恐喝
〃 を使った 宣伝・大衆洗脳
〃 支持率操作・捏造
例
森友・加計学園
前川前文科省事務次官 人格破壊工作
・選挙
ムサシによる電子開票システムを利用した、得票数改変
=選挙得票の偽造・捏造
例
東京都知事選
石原・猪瀬・舛添の 相対得票比率が、
異年次選挙の
全選挙区(都心区部・周辺区部・田舎奥多摩・離島)で
+- 2%の精度で一致。
昨日の国会は、国民を馬鹿にした茶番劇でしかなかった。与党も与党であるが、野党はどういう風にして、安倍政権を追い詰めるか、策を練ってような質問が全くなかった。ただ、安倍政権に謝罪と弁明の機会を与えただけで、国民に、政治家に対する不信を増幅させただけでしかなかった。攻めきれなければ、やらない方がよかったとも思える。
改めて人間って、「何だろう」という基本に戻らなければならないのだろうか。
人間の心は、ころころ変わるから、一定しない、わからないから、言葉によって、規律規範を作っているのではないか。それが法律であり、記録であり、議事録である。記録はあっても、メモであり、公式的なものではないと言い張り、最後の手段は「記憶にない」、「そのような事実はない」ということである。間違いの原因は、刑事事件と規律規範違反を同じに考えていることにある。特に、弁護士はその傾向が強い。
この社会は、刑事事件でなければ、一定のルールにのっとり、ルールに外れれば責任を取るのが常識であったが、人間としての規律規範をなくてもいいのだという理念に立てば、この社会は独裁社会の様相を帯びてくる。記録、言葉が軽視される社会は恐ろしい。安倍首相以下お友達たちは、「財布代わりにしか見られない日本が国際社会で成り立っていくのか、また、孤立の道を歩むのではないか」と、考えていないのが恐ろしくなる。規律規範がなくなれば、餓鬼、畜生と変わりがなくなるのです。規律規範のない人たちが、あちこちで徒党を組む、群雄割拠の様相を帯びれば、混迷を深めるばかり、極端になれば、その反動が極端に出てくることを認識すべきでしょう。それにしても情けない社会になってきた。
支持率低迷、辞任寸前・・・問題は、そのような表層で捉えられるレベルをはるかに超え、もはや国家瓦解とも言うべき段階。この壊滅度は、東日本大震災をはるかに上回るものだが、果たして国民にその自覚があるのかと疑う。問題は、あたかも、安倍氏の独走、自民の腐敗といった政権上層部に限定される問題程度にしかとらえられておらず、今「日本」国家そのものが、国家としての方向性を喪失し、漂流状態であるという認識がないことに危うさを覚える。
安倍氏にも、その周辺にも、そういう認識はなく、国会答弁は、ただ「反省」を述べるだけにとどまる。しかし、国民が自民党を「否定」したのは、そもそも、安倍氏の物の言い方や強引なやり方といった表層的な問題によってだけではなく、むしろ、あなたがたに「国家」を運営する能力がないのではないかという判断の結果だ。
野田の民主党が選挙民に否定されたのも、要するに、「国家」という機構を運営する能力を見限られたからにほかならず、また、その前に、年金問題で自民党が否定されて民主党に政権交代がなされたのも、国家運営能力の欠如が露呈されたからである。
歴史は繰り返すわけで、今回も自民は、その問題解決能力の決定的欠如によって国民に「否定」されている。
今回は小池新党のような受け皿政党がなくても自民「否定」が生起したわけで、国民は、今後もその様な意思表明が可能であることに気づいたはずだ。
安倍氏が態度が悪かったと「反省」するのは、とんだお門違いであり、問題解決能力のなさをますます曝け出すだけに終わる。
こういう事態の解消は、昔から、「御破算」しかなかった。安倍氏にはその決断ができなかった。
問題閣僚の更迭も決断できなかった。
王、皇帝、大統領、・・・国家の元首の形態は歴史とともに変遷してきたが、共通して問われるのは、「決断力」である。その能力が彼にはない。
それを国民は見たのである。