国土①他と隔絶 ―ライシャワー元駐日大使
・日本の山並みは、地質学的に比較的若いこともあって、一様に切り立っている。
・国土が多数の小さな地域単位に分かれていることは地方分離主義の発生を促しやすかった(省略)。現行の四十七都道府県を分かつ境界の実に十分の九までが、古代の山の尾根に従った境界線をなぞったものであることは注目していい。
・日本は自然な形で分割されてきた。にもかかわらず日本人を特徴づけるのは、単一性と均質性であり、多様性ではない。すでに七世紀の初め、日本人は」自らを統一国家に住む単一の民族と考えていた。そして数世紀にわたる封建主義制度下の分封にもかかわらず、この理想はずっと生き続けてきた。日本ほどの大きさをもった人間集団で、これほど均質な存在は皆無に近い。
・日本人をとりまく地理的環境のうち、もっとも決定的なのは、彼らがどちらかといえば他と隔絶している、という
コメント
コメントを書く>>1
よっぽど孫崎先生が嫌いなんでしょうか。大体において、ここに登場する自民党系、右系は感情的で歴史嫌いですね。米国のネオコンが好きそうな連中と言えましょうか。
米国には歴史が無いから、歴史を有する諸民族の伝統を理解出来ずにその世界制覇戦略は挫折している、と先日亡くなった西部氏も言っている。日本はそのようなガサツな米国にすっかりほだされ悦状態に浸って喜んでいるが、この現象は世界でも稀なことらしい。
係る著書に答もあるのではと思うも、ズバリの箇所は見つからずギブアップ;)
(1)外部世界からの孤立期間が余りに長かったため、国土内部にいくつもの障壁があるにも拘わらず、単一性と均一性が醸成されるゆとりがあった。こうした過程はそれ以降の強力な中央集権支配によってさらに強化された、との旨書かれてもいる-そういうことにする。
(2)「一六三八年から一八五三年まで二世紀以上にわたり、日本人は殆ど完全に外国との接触から遮断されたのです。それは、世界中で国家間や地域間の関係が促進されていた時期においてはまったく特異な経験でした」ということらしい。
(3)封建制度の発展により、日本は東アジア的な規範からさらに大きく抜け出そうとしていた-そうだが、その影響?
それにしても、歴史的に中央集権的封建制度の強化で多様性を駆逐してきた国...これは日本の大企業、官僚組織も全く相似形と思わずにいられない。
「アメリカ人は、自分のことをセールスマンだとか会計士だとかトラック運転手だとか...特殊技術を持つ個人であると考え、自分の技術に最高の値段をつけて売ろうとしますが、日本人は、自分のことを、その専門の仕事がどうであろうと、三井物産の正社員だとか三菱重工業の正社員だというふうに考える傾向があります。同じような考えが、政府の各省庁のような他の分野の職業集団にもあてはまります」
「もし世界の人びとに、あなたは何者ですかとたずねたら、彼らの最初の答えは、学生ですとか、回教徒ですとか、女ですとか、農民ですとか、さらには人間ですとか、かなりまちまちでしょう。日本人は、今日ですらかならず『日本人です』と答えるにちがいありません」
どうやら、日本というのは伝統的に「民主的な国」を創る素地も希薄なら、今もって そのような国など殆ど誰も望んでいないのだろう。じきに国民は皆ファーストフードのハンバーガーになるのでないか。
ライシャワー博士が日本に滞在していた時は、高度経済成長の時ではなかったか。その時見られた日本の姿をとらえているのか、戦前の時期のどの時期をとらえているのかがわからないので、簡単に見判断することができない。
日本は、慈悲(宗教的)とか、中庸(道徳的)という理念とは違ったとらえ方、すなわち(和の精神)「村社会」の構成を重視しているのではないかとみています。「和」の本質は異種民族文化が入り込む余地がない。異文化を吸収する時期は確かに拡大化の道を選択するが、吸収が終われば縮小化(ちじみの文化)「日本独自の道」を志向する。
我々が社会で活躍した時期は、人口が増大し、経済も拡大化の道を歩んだが、現在は、人口減少社会であり、すべてが縮小化の道を歩むべきであるが、政府が拡大化の選択をしており、「ちじみの傾向」に掉さしているというべきでしょう。
我々の時代は、均一性より多様化が選択された時代であり、ライシャワー博士が、戦後の一時期をとらえてお話になっているのか、戦前の一時期をとらえていっているのかが分からないのが残念です。
ライシャワー氏は、「知日派」と認識されてきた。たしかに、氏の日本および日本史に関する「研究」と「分析」は大部で、総合的である。その徹底したデータ収集と分析態度は、アメリカ的であり、それはドナルド・キーン氏にも通じる。つまり、「情報」の分析という観点なのであり、一歩進めれば、・・・まあ、いいや言わんでおこう。
しかし、ドナルド・キーン氏は、やがて日本文学そのものに魅せられ、ついに日本に帰化した。三島由紀夫、安部公房などは、キーン氏の紹介なくしては世界にこれだけ知られることもなかったかもしれない。要するに、キーン氏には研究対象に対するLOVEがあった。それは、キーン氏の人間性Humanityの証しであろうか。
一言をもって足りる。世界の中心をもって鳴らすアメリカ合衆国こそ、世界的に「均質性」においてnotoriousな場所である。目糞、鼻くそを笑うようなもの。
日本の文化に根差している「ある意味での均質性」については、網野善彦の研究を読めばわかるものであり、アメリカのような大量生産・大量消費の大衆文化とは全く異質。
表面上だけで判断するライシャワー、アメリカ知識人の一級とは言え、世界的に見れば「思考」しない人びとの中での一級。
>>7
大陸度?気は確かか?
>>9
シリア情勢だと?何にも知らないでよく言うわ?米国のフェイクニュースしか読まないでここで投稿する愚か者。中学生ならまだ賢い。あなたは気の毒だがやはり小学生だね。
>>12
中学生ならまだ賢い、のはわかりきったことです。
ですから私は「中学生」と。
>>10
さすがMythe et poemeさん、手キビシイですね。
ライシャワー氏を庇うつもりはありませんが、同書の中で日本人は文化的には等質な国民ではあっても、日本社会は画一的ではなく、いちじるしく複雑であることが明らかにされたと思う、米欧とは全く違った特殊な国民だが一般化できないのも確か-とも書いており、マクロ的には均質に見えても、細かく見ればそうでない-との趣旨だったのですかね。
一方、マクロ的に言うなら米国こそ地球を隅々まで「アングロサクソン・アメリカ」一色に染め上げる野心を実践する中心地-そこに全く斬り込まないのでは係る批判もご尤もと思います。
ドナルド・キーン氏が3.11で日本に帰化した際には驚きました。
網野善彦の本も読んでみようと思います。
p_fさん、ありがたいご指摘です。
実は、わたしもライシャワー氏の本には敬服してはいるのです。とてもではないですが、あの徹底した方法的な概括化は凡俗のおよぶところではありませんね。
ただ、私は、アメリカのエリートには「日本」への真の意味での理解が欠けていると考えざるを得ないのです。
もちろん、ライシャワー氏の本についての正当な評価は、p_fさんの修正に従うべきでしょう。
日本に住んでいるアメリカ人も少なからずいて、なかにはアレックス・カーのように、日本人以上に日本の「美」の本質を理解し、それを言葉にしている人もいますが、彼らには、数値化できないものを見る目がありますね。
そして、それこそが大切なものではないでしょうか。
わたしは、日本の歴史と文化の中には、世界のグローバル化と言う精神病を直す「大切なもの」があると思うのです。
>>17
大変恐縮です。
> 数値化できないものを見る目
特にアナログ人間の私は大いに膝を打つところです。
仰る通りグローバル化は人の交流だけにして、日本は今こそ率先して歴史・文化に根ざしたローカル化に注力すべきと思いますね。