在外公館でご一緒した方(故人)の句集『紫陽花Ⅱ』から幾つかの句を選択しました。
・雨毎に青さ増し行く紫陽花は 庭端に籠もれる清き手毬
・夏休み朝顔日誌忘るとも 健気に開く今朝の花あり
・杳き日は母の好みし桔梗模様 今夏掛けに浅葱地清し
・花吹雪はらりひらひら一面に 若く逝きたる君の無念
・はにかみをくるむごとくに花満ちて 秘めし思いの伝わらん
・人しれず野に咲くすみれ誰が為か 静けき色の小さき花よ
・冬椿緑の垣に紅の 灯りともしてさんざめくらん
・どくだみのおどろおどろしき名に反し 花は真白き小さき十字架
・イギリスの庭に咲くバラ誇らしげ 庭のヒロイン小鳥を招く
・時刻む音ふいに止み思い出は ゼリーのごとく固まり始む
・待ち詫びし便りなきまま秋雨に かえでの紅葉闌けゆく真昼
コメント
コメントを書くいずれも素敵な詩、特に、どくだみのおどろおどろしき名に反し花は真白き小さな十字架、が好きです。
高校同級生の中に、短歌、俳句をたしなむ人が多い。特に海外に駐在した人が顕著です。
このような個人発行の歌集が配られてくる。生きた証を詩に託して子供、孫などに残したいと考えている人が多い。
私には、歌がうまいのか下手なのかはわからないが、歌を詠んでいると素直に情景が次から次へと脳裏に浮かんでくるのがいい。難しい漢字を使う人は、堅物が災いするのか、情景が浮かばない。だから、論理的傾向が強い人の歌は好まない。
紫陽花が手毬などは説明でしかない。余情感が全くない。他の短歌も同じようなことが言えるが,やめておく。