A-1 事実関係「山口・読売新聞グループ本社社長が新聞協会長内定」(読売)
日本新聞協会(新聞、通信、放送129社加盟)は17日、会長選考委員会を開き、6月で任期満了となる白石興二郎会長(読売新聞グループ本社会長)の後任に、山口寿一・読売新聞グループ本社社長(62)を推薦することを決めた。6月19日の定時会員総会と理事会で正式決定され、第23代会長に就任する。
会長の任期は2年。山口社長は2013年6月から同協会理事を務めている。読売新聞社から会長が選ばれるのは7人目となる。
B:評価:
日本新聞協会は会長に、6月で任期満了となる白石会長(読売新聞グループ本社会長)の後任に、山口寿一・読売新聞グループ本社社長(62)を推薦することを決めた。6月19日の定時会員総会と理事会で正式決定され、第23代会長に就任する。
歴代の会長を見れば、読売、朝日、毎日、日経等が
コメント
コメントを書くたしかに共同は意外です。
好ましい現象、悪い現象は人によって違いますが、なぜ、このような現象が起きたのか、その原因を追究することが欠かせないと考えています。
このような現象が起きるようにしたから、このような現象が起きているのであって、人為的な問題です。
政治が遅々として進まないということで、官僚の人事審議官以上600人を内閣府がやるようになったから、官僚は政治家を忖度するようになった。官僚が忖度システムのただなかにあれば、許認可権を握られたNHKなど放送業界,読売など出版業界は、最高の権力者「首相」にすり寄り、忖度が横行するようになる。当たり前の現象が起きてくるのです。この現象を否定する人は、相当頑固に主義主張する人以外は、いないでしょう。
内閣府人事決定は、自民党だけではできなく、野党の了解があって初めて成立したのであって、野党、政治評論家などの責任といえるのでしょう。私には、野党、政治評論家の責任を問わない現象を非常に嘆かわしいと思っています。
渡辺さんと言えば、やはり正力翁を連想します。
マッカーサーは東京・横浜を爆撃するにあたって、自分が占領政策を遂行するにあたって使用する施設と建物をかなり前から決めていて「爆撃するな」と命令していた。横浜のグランドホテルもその中に入っていた。彼が幼少の頃、植民地フィリッピンの総督だった父に連れられて滞在したらしく、ノスタルジーがあって、爆撃させなかった。大仏次郎は軍部独裁の暗い世相に嫌気して、西欧の臭いがぷんぷんするグランドホテルに逃げ込み、ひたすら鞍馬天狗を書いたことは有名。大仏の滞在期間は10年以上になった。対米戦争が始まり、危ないと視たか、鎌倉に疎開した。そのまま滞在続けたとしても、安全だった訳だ。
マッカーサーは自分が使う箱モノを無償で残したが、私は今もサスペクトしていることは、人間も残すべき人と処罰すべき人を決めていたということだ。残すべき人の中に岸信介は入っていた。正力翁もはいっていた。勿論、吉田茂も入っていた。一方、処罰すべき人たちが軍部重鎮であることは勿論であるが、近衛文麿が入っていた。対米開戦に反対して、終戦まで軍部から付け狙われていた近衞さんが何故誅されなければいけなかったか、私にはまだ解けない謎だ。
私の憶測だが、歴史の浅い野蛮な米国のジェネラルにとって近衞さんは煙たかったのではないだろうか。近衞氏はなんと言っても皇族だから、マッカーサーとしてやりにくい。岸や正力や吉田は育ちが悪いからマッカーサーの権威にへりくだる筈だと計算した筈だ。勿論、その通り大成功だった。
続く
>>3
続き
戦後正力翁が日本の政界で陰然たる勢力を張ったのはマッカーサーの絶対権力の後ろ盾があったからだと私は観察している。渡辺氏はその正力翁に認められた。正力翁が築いた陰の帝国を渡辺氏が相続するのは当然であった。戦後、75年経つが、その間の政治はたったの二人、正力、渡辺でコントロールされてきたと見ても間違いなかろう。
二人は超長寿。超老獪な渡辺氏が何を若い安倍氏に教授しているのか分からない。不気味だ。ここに、つまりこの板にちょくちょく登場する右翼らしき若者は老人をバカにして悦の状態に入っているのだが、渡辺氏という超老人に自分らが支配されているのをどう受け止めているのだろうか。是非知りたい。