出典:ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』(岩波書店、二〇〇一年)
■解説
ジョン・ダワーは、米国の歴史学者。マサチューセッツ工科大教授。米国における日本占領研究の第一人者。『敗北を抱きしめて』は、終戦直後の日本にスポットを当てる。この作品はピュリツァー賞、更に全米図書賞を受賞したことで、如何に高い評価を得たかが判る。
ダワーは敗戦について〈敗戦国に対する軍事占領は一九四五年八月に始まり、六年八カ月後の一九五二年四月に終わっている。占領は戦争のほぼ二倍の期間にわたった。この占領の期間中日本は国家主権を失っていた〉と述べている。
占領について〈米国人達は〝非軍事化及び民主化〟という、樹木の根と枝の関係に似た改革プログラムを日本に押しつけた。それは独善的で、全く空想的な、あらゆる意味で傲慢な理想主義の、めったにない実例というべきものであった。それから米国人達は、日本を去る時に方向を逆転させた
コメント
コメントを書く非軍事民主化と従属化、二つの相矛盾した米国の方針によって、日本は混乱している。どちらかに収れんしなければ、国家の方向が、定まらない。国民の支持が分かれるということである。憲法は、戦後の初期に制定され、非軍事民主化の方向を目指していたといえる。具体的には、農業国家を想定していたのでしょう。朝鮮戦争、ベトナム戦争が起きると、日本が戦争から隔離されていれば、再軍備、自衛隊などもなかったといえる。日本の近くで戦争が起き、朝鮮戦争に対する人的派遣は、先人(吉田茂)などの尽力によって免れてきたが、憲法の精神と真逆な自衛隊が存在することになってしまった。前後関係で言うと、憲法が形骸化したのであるが、米国が初期に目指した方向が修正されず、長い年月が経っている。そろそろ、レジームから脱却して、日本としての道を選択していくべきでしょう。
わたしは皇帝や王様は、存在そのものが民主主義とは
きわめて相性が悪いと書いた。
君主と民主は完全な対立概念であることを見ればそれは明らか。
だから孫崎さんが、天皇、と書けば良いところでもしばしば
天皇陛下と書いた時にはしばしば幻滅を味わった。
その孫崎さんが、天皇制民主主義=自己撞着と書いてくれたことは
とても嬉しい。
ダワーさんの観察の通りですね。
日本では、昨今、官僚制民主主義と天皇制民主主義に東欧のネオナチに瓜二つの靖国軍国主義が合流し、強欲のウオール街の鞘取りには好都合の状況が生まれて居ます。彼らは9.11でテロとの戦いに踏み切り、利潤を求めて中東戦争を始めたが、ほぼ敗北しました。だが、鞘取りは成功してます。次なる商機は極東以外にあり得ないのです。彼らの商機の為の陰謀は恐ろしい。金儲けしか考えない彼らの頭には9.11に瓜二つの偽旗作戦が細かく練られていることだろう。
極東のきな臭い場で唯一ブレーキとなるのが「平和憲法の条文」と「平和志向の天皇陛下」です。天皇機関説というのが戦前あったが、靖国軍国主義に天皇陛下が抱え込まれないように日本国民は身体を張らねばなりません。さもなければ、ウオール街の鞘取りに日本全体が大陸・半島にぶつけられるのです。これは冗談じゃありませんよ。