私は1966年、ロシア語を学ぶために英国陸軍学校教育部隊のロシア語を学ぶグループにいた。総勢14名。ほとんどが軍人である。その中に英国外務省から派遣された二人がいた。一人はジョン・カー。後々駐米大使、駐EU大使、外務次官になった人物である。もう一人、30歳位のA。このコースでロシア語を習得したと認めらば、後々重要な任務に就くであろうし、軍人は多額の報奨金も与えれれることとなっていた。従って軍人達は学校に入る以前にロシア語を学んでいた。初歩のABCから学ぶのは私とジョン・カーとAの三人、常にクラスのビリ争いをしていた。
 一年間の研修を終え、私はロンドン大学、Aジョン・カーは在モスクワ英国大使館勤務となった。Aは家具を先ずストックホルムに送った。ここから陸送でモスクワに移送する手配となっていた。その時、突然在モスクワ英国大使が「Aのロシア語習得レベルは低い。こんな状況じゃ仕事にならないから