自由民主と名乗っているのだから、「自由主義」や「民主主義」を最重要視しているかと見ろと、宗ではない。むしろ「自由主義」や「民主主義」を抑圧するケースが多い。
この問題を、戦後の日本の出発点から見抜いていた人物がいる。ハーバート・ノーマン(カナダ外交官)である。
ハーバート・ノーマン(一九〇九年カナダ人宣教師の子として軽井沢町で生まれる。1945年GHQ対敵諜報部課長。昭和天皇とマッカーサー会談のGHQ側通訳。赤狩り旋風→駐エジプト大使中自殺。) 降伏後、徳川幕府打倒以後と類似。人民は改革運動を自ら開始せず、根源的な力は上から、初めは軍事官僚であり、現在では最高司令官及び占領軍。
・降伏後の日本の政治状況(1945年12月まで)と一九一八年の降伏後の独との類似
・反動勢力に対抗する強力な民衆運動の不在
2、頑迷な反動勢力による敗戦の犠牲
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>>10
まあ、本当にソ連のスパイだったのかどうかはわかりませんが、すくなくともGHQの御用学者、さらにはGHQのなかの政治家ですね。立場はちがうけど(それともあまりちがわないのかな?)今で言えば竹中平蔵みたいなものでしょう。
ところで台湾と沖縄には独立してもらうそうですが、ウイグルはどうするんですか?チベットは?南モンゴルは?
わたしも笑わせてもらいましょう。
4年半前から少なからず紹介されてきたハーバート・ノーマンにつき、「日本民主化の進展」も当初のご投稿にある。
> この問題を、戦後の日本の出発点から見抜いていた人物がいる。ハーバート・ノーマン(カナダ外交官)である。
だが、日本の大衆でも しばらく社会生活を続ければ、世の中、自由でもなければ、民主的でもないことを嫌でも思い知らされる。わざわざ「見抜く」までもない。自由で民主的な社会にヒラメ、ゴマスリのヘーコラ人間は存在し得ないからだ。しかし、「所詮、そんなもの」で終わってしまうのが大衆だ。そんな世の中にしている権力側に盾突くのは ずっとタブーのままだからだ。H.ノーマンの問題意識は専政/暴政を敷く社会でいいわけがない━それが根底にあったのでないか。
過去記事より-
“戦後の日本は「実は変わっていない。一部の軍人を提供するだけで切り抜けた」と喝破したのはノーマンだ。”
天木直人氏曰く-
「東京裁判は、いま、もう一度、続行し、そして、その裁判には、今度こそ日本国民も参加しなくてはいけないのだ...日本はそこから再出発すべきだ」
“「トカゲの尻尾切り」で切り抜けたまま”は許されないということだ。
ハーバート・ノーマンは、鈴木安蔵に助言して「憲法草案要綱」作成を促している。
45年10月29日高野岩三郎が鈴木安蔵に「憲法研究会」の創設を持ち掛け会員を募り、11月5日に発足した。
会員構成は、高野岩三郎、鈴木安蔵、馬場恒吾、杉森孝自次郎、森戸辰雄男、岩淵辰雄、室伏高信の7人。
GHQ文書は彼らのイデオロギー傾向を、室伏高信は許さん主義同調者、他の6人は社会党員または社会党支持者としている。
憲法研究会は、12月26日「憲法草案要綱」を政府に提出した。
GHQと米国政府は、著しく「自由主義的」で「民主的」として受け入れた。
>>11
ウイグルもモンゴルもチベットも中国民族に吸収されてハッピーな人が多いようですよ。明治維新時、まー、あれだけたくさんいらっしゃったアイヌの方々には気の毒ですが、多くは樺太に脱出し、他は強制的にヤマトンチュウに同化させられちゃった。そのような境遇の存在は国家の成立過程で発生する避けられないリアリテイーの一つだとして受け入れるべきだと思いますよ。
>>14
アイヌは13世紀に、モンゴル(元)から圧迫された大陸の少数民が、はるばると日本の土地である北海道まで逃げてきた人々である、ということが現在の学問研究でわかっています。しかしその真実が都合の悪いヒトビトがいます。あなたはそのヒトビトに騙されているんですよ。なお、北海道には縄文遺跡があります。縄文人が日本人の祖先であるなら、日本人こそが北海道の先住民だということです。
明治維新は、欧米にいくぶんかはすでに侵略されていた日本が、欧米の強さの秘密は国民国家を形成したことであると見抜いて、日本も国民国家をつくった運動であると、わたしなりに総括しています。当時そういう運動は世界各地でおきました。一方、国民国家を形成できない民族は、19世紀末から20世紀にかけて、吸収されるしかなかった。将来的にはまた復活の可能性は一般論的にはあるとしても。
アイヌについてみれば、そもそも少数であるのにさらにいくつもにわかれ(単一の民族ではなく)、互いに抗争しており、近代化の時期には国民国家を形成できず日本に同化するしかなかった人々です。ウイグル等の大民族とは根本的に違いますよ。ウイグル人の数は、沖縄の人口よりもはるかに多いのを知らないんですか。ウイグル人はじゅうぶん国民国家を形成できる人々です。
国民国家の形成期にモデルとなったのは当時の欧米諸国でした。つまり、そこで帝国主義の遺伝子がはいりこんだんですよ。これでのちのち日本が苦労することになるのですが、中国も逃れられていません。
つまり、最近辛亥革命の記念日があったようですが、革命前の孫文は、「万里の長城までが国土の漢民族の国」を考えていました。「清からの漢民族の独立」が辛亥革命のもともとの民族主義(三民主義の一角)ですからこれで当然なのです。オスマン・トルコから独立したどの民族がオスマン・トルコの支配地全体を欲したでしょうか。
しかし、国民国家建国に着手したあと、そこにはいりこんでいた帝国主義の遺伝子が、領土拡大を彼にそそのかし、のちには「満蒙回蔵」を同化する政策となります。「蒙回蔵」は清に近代的意味で支配されていたわけではないし、清がほろんだころに独立運動もありました。今もあります。
そして、中共のもつ帝国主義の遺伝子はいまも衰えるどころか、南シナ海等にも向いているわけです。
>>16
ウソも貴殿ほどになるとついうっかりのせられそう。しかし、残念でした。地名の江戸はアイヌ語でエトプイです。関東平野は当時原生林に覆われ、アイヌ族が狩りをする土地でした。朝鮮半島から断続的に朝鮮族の一部が大和朝廷の庇護を求めて亡命して来ると関東の地を与えてました。関東武士は朝鮮族なんです。アイヌと朝鮮族の移民団との平和共存はなかったんじゃないでしょうか。因みに。朝鮮族の移民団に関東の地を与えた記録が日本書記にいくつも書かれております
日本の若い人は知りたくないかもしれませんが、天皇陛下の祖先は韓半島南部の中央部を流れる洛東川が玄界灘に流れ込む川口に開けた金海から九州に降臨して高千穂にセトルしたいうのが最も有力な説です。それ以前にも韓半島から続々やってきて文化を築いていた弥生の諸部族は高千穂にセトルした集団と協働して東征に転じ大和朝廷を打ちたてたということです。その当時、関東以北は蝦夷です。
>>17
エトプイは岬を意味します。ご参考までに。
尚、シカゴとかマンハッタンはネイテイブの土地名ですが、関東から北海道までの土地名はおそらくアイヌが付けた名前が沢山あるんじゃないかと思います。
天皇のことは別として、アイヌについてそういう超少数説があるんですね。しかも、わたしは聞いたことがないので、かなり昔の説でしょう。よければ、どういう学者が言ってるか、どういう本に書いているかおしえてくださいね。また、あなたは「古代でいっていた蝦夷」をすべて「今でいうアイヌ」と考えているようにみえるのですが、そう考えて良い根拠もいっしょにおしえてください。なお、わたしの言っているのは、河野本道らを参考にしています。
一般論でいうなら、「鳥居」が古代ヘブライ語の入り口ということばと似ているから、古代のユダヤ人が日本にわたってきて重要な役割を果たしたという説と同じで、地名やことばは、考察のきっかけにはなるかもしれませんが、証明そのものになるはずがないじゃないですか。そして「エトプイ」という「アイヌ語」があるのだとして、「江戸」と似ているというひともいるかもしれませんが、わたしは別に似ているとはおもわないし、そもそも江戸は岬じゃないし。
なお、「ウソも貴殿ほどになるとついうっかりのせられそう」というのは、わたしがウソを書いていると断定しているので、取り消してくださいね。それに、中国とウイグルについては、あなたはなにも反論していないということは、認めたのですね。
上で述べたように、国民国家を形成できないような民族は、良い悪いは別として、同化されるしかありませんでした。また、歴史的沿革等からいくつかの民族がまとまって国民国家を形成しようとした国もあります(なかなかうまくいかないことがおおい)。
しかし、一定以上の大民族で、国民国家を形成しようという意思もあるのに、そこを自国にとりこもうとする行為は、一般的に侵略とよばれます。典型的には日韓併合ですね。ただ日本の韓国統治は、当時の水準という枠内でみるなら、優良的、模範的だったとわたしはおもっています。いま中共がウイグル等におこなっていることと正反対です。また、中共がおこなっているのは、民族を維持しつつ自国を構成させようというのではなく、混血をすすめることで、民族そのものを消滅させようという政策です。ジェノサイドとよばれる所以です。
>>4
孫崎 享先生
お忙しいところ、お返事頂きまして誠にありがとうございます。早速、探して読みたいと思います。ありがとうございました。