森繁久弥の「船頭小唄」は名曲と思います。「俺は河原の 枯れすすき おなじお前も 枯れすすき、どうせ二人は この世では花の咲かない 枯れすすき、死ぬも生きるも ねえお前水の流れに 何かわろ、俺も お前も 利根川の 船の船頭で 暮らそうよ」
ただ1957年の年間シングルヒット曲を見ますと、25位です。1位有楽町で逢いましょう(フランク永井)、2位港町十三番地(美空ひばり)、3位東京だョおっ母さん(島倉千代子)、4位チャンチキおけさ(三波春夫)、俺は待ってるぜ(石原裕次郎)です。
根拠がどこにあるのかわかりませんが、2012年1月1日付『商工会議所報むつ』は「(天皇家は)、カラオケを楽しんでいらっしゃるようだ。天皇陛下は『船頭小唄』、美智子皇后さまは『ここに幸あり』、皇太子さまは『津軽海峡・冬景色』、『昔の名前で出ています』、『北国の春』、『氷雨』、秋篠宮さまは『テネシーワルツ』、『かもめ』、紀
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寂寥感、荒涼感漂う風景にも つい食指が動く方だが、ススキはノーマークだったかもしれない。
さっそく近場の群生地を探したが、無いことが判っただけだ。ネットも何の役にも立たない。
後半の文章からは梟や秋虫の鳴き声まで聞こえてきそうだ。
葦、ススキ族には、哲人、文人の感性を刺激する力があるのでないか。
人間が受信する現象は、フィルム映写機がフィルムを巻き取っているようなものと理解している。
瞬時に映像が映し出され、瞬時に巻き取られていく。その我々が目にする現象を、短い言葉で表現し、我々はその無限性を心の中に描き出し心にある種の余韻が沸き起こる。
映像が瞬時に取り出され巻き取られていかなければ、瞬時の映像の連続性が欠けることになる。イデオロギー論争など取るに足らない自己満足の論理に過ぎないことを我々は自覚すべきなのでしょう。我々が描き出す現象に「善悪、正誤」などないこと明確である。
有楽町で逢いましょう、東京だョ、おっかさん、か。
そういえば、昔の歌謡曲は田舎者に東京への憧れを
無定見に振りまくものが異常に多かった。
そしてこんな一極集中国家になってしまった。
東京はせめて人口密度をニューヨークくらいに抑えることが
できていたらホントに魅力的な街だと思うが。