米国は今感謝祭。この中APは「感謝は休日だけの伝統ではない。それは人類の進化の一部」Giving thanks isn’t just a holiday tradition. It’s part of how humans evolvedの記事掲載。
人間は社会的な動物。そうやって私たちは長く続いてきた。それは最大や最強になることではなく、どのように協力するかを考えることによってで。
人間関係を築く上で重要なのは互恵性の考え方。「もしあなたが私を好きで、私のために良いことをしてくれるなら、私もあなたのことが好きで、あなたに良いことをします」とデューク大学の発達心理学者マイケル・トマセロは言う。
カニシウス大学の動物行動研究者マリニ・スーチャク氏によると、動物界にはギブアンドテイクの行動がいくつか並行して存在するという。オマキザルとチンパンジーを使った実験で、スーチャクは、霊長類は、過去に自分を助
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感謝の気持ちを国家間のお付き合いにも動員したいものです。
>「感謝は休日だけの伝統ではない。それは人類の進化の一部」人間は社会的な動物。そうやって私たちは長く続いてきた。それは最大や最強になることではなく、どのように協力するかを考えることによってである。
心の平安を得るためには、感謝というものが有効だということは、なんとなく、実感として分かる。一種の宗教的な癒しに通じるものがあるのではないだろうか?
とは言え、社会も世界も依然として、人間疎外の要因には事欠かない。かつて、マルクスは、宗教は民衆の阿片である、と述べたが、問題の所在を見据え、敵が誰か、何が根本問題か明確にするべきだ、という教えであったろう。
感謝と真逆の境涯が敵対であるとしても、人間疎外の根本要因を取り除くための思想と行動は必要なのだろう。その際、「敵」は誰か?何が根本問題か?を正しく見極める良識や哲学が問われる。
私は最大の人間疎外要因は戦争であると考えている。その切り口で、世界を見た時に、私は「敵」はアメリカ帝国だ、と考えている。
その点に関連して、11月24日のMoon of Alabamaにアルノー・ベルトランという人が書いた書評が転載されていた。
https://twitter.com/RnaudBertrand/status/1727906979497357372
それは、『亜帝国権力』(原題:Subimperial Power)という本の書評。これは、クリントン・フェルナンデスというオーストラリアのニューサウスウェールズ大学の国際政治学教授が書いたものとのことだ。
https://www.mup.com.au/books/sub-imperial-power-paperback-softback
さて、「亜帝国」という概念について、書評は次のように解説している。
「この本は、私が読んだ「ルールに基づく国際秩序」についての最も優れた記述のひとつであり、多くの人が信じているように、オーストラリアがアメリカの属国やクライアント国家ではなく、むしろ「亜帝国主義国家」であることを詳細に説明している。つまり、オーストラリアは、イスラエルやイギリスのような他の「亜帝国」国家と同様に、本質的にはアメリカの現在の「帝国」支配の子分であり、それぞれの地域でそれを維持する任務を負っているということだ。つまり、子分である彼らは、覇権主義的なアメリカの支配の犠牲者ではなく、その支配から不釣り合いな利益を得ていると感じており、実際の犠牲者、つまり支配から不釣り合いな損失を被っている人々に対して、アメリカがこの支配を維持するのを助けるためなら手段を選ばないということだ。」
この「亜帝国」、当然日本も同様だ。
そしてアメリカ帝国ら西側の新植民地主義的な攻撃性の要因を次のように分析している。
「フェルナンデスは全く異なるケースを提示しており、私はこのケースの方が、世界が実際にどのように動いているのか、そして様々な国家の歴史的な行動について、はるかに優れた説明だと思う。彼の主張は、アメリカの地政学には、そしてそれ以前の西側植民地国家の地政学には、極めて攻撃的な特徴、つまり他国を征服し略奪しようとする衝動があり、それが実際には自国の安全保障を守るどころか、むしろ害することが多いというユニークな点があるということだ。そして彼はこれを、これらの政治体制において金持ち階級が国家に対して持つ不当な権力によって説明している。」
「金持ち階級が国家に対して持つ不当な権力」
これはまさに金融資本主義であり軍産複合体といったエリート支配の別名である。エリートはゼッタイに戦争に動員されることなく、名もなき兵士に指図して、戦争に駆り出し、ますますボロ儲けするのである。
麻生が「台湾有事は日本有事」などと嘯くとき、彼は自分をゼッタイ的安全圏に置いている。だから、どう考えても、一般庶民にはなんのメリットもないことを平然と言うのである。
エリート支配と被支配者(庶民)の分断である。
この点での対比として、更に書評は中国に関して、面白い論評をしている。
「最後に興味深い点として、国家の政治・経済システムがその地政学を定義する上で重要な役割を果たすと彼が主張していることから、フェルナンデスの著書は、中国の力が高まるにつれて、アメリカやその帝国子分たちとは大きく異なる行動をとるだろうという予測を暗示している。中国のシステムを考えれば、間違いなくその力を最大化しようとするだろうが、今回は実際に自国の安全と生存のためであり、金満階級の利益のためではない。その輪郭はすでに見えている。中国国家が富裕層の言いなりになっていないことは明らかで、それどころか、中国は億万長者が簡単に生活できる国ではない:中国は軍事同盟を結ばないし(結んでいない)、外国の干渉やクーデターもしない。実際、40年以上もの間、海外で一発の銃弾も発射していない。それどころか、分割不可能な安全保障と相互尊重がシステムに組み込まれた秩序を作り出そうとしているのである。産業革命以前、地球上で最も強力な国家であった1800年間は、まさにこのように振る舞ってきた。世界を植民地化し、略奪しようとすることはなかった。その代わりに、貿易と相互尊重の関係を築き、長期的な安全保障と安定を最大限に高めようとしたのである。」
やたらと中国に敵対的な論評は日本の言論界を覆っているし、この場にも、思想的偏向故に闇雲に中国批判ばかりしている困った人たちがいる。
しかし、物事は公平公正に見るべきであり、そうでなければ、良識ある思想と行動は導き出されない。アメリカ帝国と中国を比較して、どちらが「敵」か?中国と答える人は、物事を公正公平に見ておらず、偏向していると言えよう。
>>5
全く同感です。日本人の国際感覚は実に幼稚で劣等です。
> 人間関係を築く上で重要なのは互恵性の考え方。「もしあなたが私を好きで、私のために良いことをしてくれるなら、私もあなたのことが好きで、あなたに良いことをします」
まさに それこそがワシらがずっとやっとることじゃ!―利権政治屋とその「得意先」が胸張って言いそうでないか。
> 感謝の気持ちが援助交換を続けるために進化したと考える人もいる。
一瞬「援助交際」と読み間違えたが、アレに「感謝の気持ち」が媒介する場合も確かにあるのかもしれない。
>「このギブアンドテイクは非常に根本的なことであり、協同組合社会にとって非常に重要だ」
労働対価も元を辿れば「感謝の気持ち」としての給与支払いだったのでないか。だが、そうした当たり前のケースばかりでない。それは、米国政治がイスラエル・ロビーに牛耳られている現状を見ても明らかだ。「頭がいい」彼らは「影響力を獲得する上で重要なのは互恵性の考え方」だと十分弁え、実践する方法も熟知しているのだろう。
> 感謝の手紙を書いた人は精神的健康状態が良くなり、数か月後にも脳活動に変化が見られることがわかりました。
感謝は幸福感に直結しているということだ。怒って感謝する人はいない。
>「...人々があなたのためにしてくれること、そして次にあなたが他の人のためにできることについてです。」
>「言い換えれば、助けてもらったら、その恩返しとして善行で恩義を返さなければならないと感じるだろう」
「善行で」こそが要諦だ。「とどのつまり他人を犠牲にするやり方で」恩義を返す利権政治屋、イスラエル・ロビーの真似はするなということだ。
<それは人間関係に関するものであり、人々があなたのためにしてくれること、そして次にあなたが他の人のためにできる事についてです。>
自他の互恵関係を育成するということであろうか。
少しでも、自我が入ればそこに純粋性が欠落し、私は他のためにこんなことをした、あんなことをしたというというそろばん勘定が働いて、逆に私のためにしてくれることが少ないということが起きかねない。
自分のために他の人にいつも働くという純粋性が無功徳性につながれば、相手に何かの対価を求めないことにつながる。
感謝は、現在「心と体」が健康であれば、他に感謝するのでなく健康で過ごせている自己自身に感謝するものでしょう。