元三井物産常務にAという方がいられた。私は1985年頃知り合いになり、2021年11月·お亡くなりになるまでいろいろなことをお教えいただいた。
生まれは米沢。第二次大戦中海軍に入る。優秀さが光っていたのであろう。京都大学で学ぶよう指示を受ける。ここで海軍の原爆開発(F研究)に参画する。ここに後北朝鮮の核開発の中心人物になる白がいたという。A氏は戦後三井物産に入り海外業務に携わる。イラン石油化学プロジェクトに関与し、1978年福田赳夫首相のイラン訪問を実現させる。A氏は政界と経済界を結ぶ中枢人物の一人であった。
絵画との関係に言及しよう。
1970年代初め、ニューヨークの近代美術館がルソーの「戦争」と「平和」の絵画を売りたいとして、密かに三井物産のA氏のところに打診があった。両作品とも、近代美術館にとっての、至宝と称される部類に臆する絵画である。よほどのことでないと手放す類の絵画ではない。「

随想⑥ルソー作『戦争』:1970年代初め、ニューヨーク近代美術館が至宝的存在のルソーの「戦争」と「平和」の絵画売却を密かに物産に打診。何故MoMAが売却に動いてか。物産A氏はこれにどう反応したか。絵画はその後どうなったか
この記事の続きを読む
ポイントで購入して読む
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
- ログインしてください
購入に関するご注意
- ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。
- ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。
新着記事
- 『私とスパイの物語』grok評価:ユニークなキャリアで通じ諜報活動の現実を日本の読者に伝える貴重な一冊。実体験に基づく具体性、情報戦の裏側を垣間見せる視点は高く評価。一方主観性から、客観的分析を求める読者には物足りなさ。外交史や国際政治に興味を持つ人に読み応えのある作品 15時間前
- ケネディ暗殺機密文書18日全公開。新たに公開されたのは約8万頁。当時ケネディはカストロ政権の軍事的転覆、北越への武力攻撃等を画策する軍参謀本部、CIA過激派と対立。文書保存の危険性は十分承知、疑惑よぶ文書はそもそも存在しないと思う。私個人は前方からの狙撃説ありうると思う 1日前
- トランプ大統領補佐官達、4月2日に向け数兆ドル相当の輸入品に新たな関税を課す準備。 大統領就任後2カ月間で、中、加、墨輸入品約8000億ドル分に関税引き上げ→株式市場を急落、米国の景気後退リスクを高めた。すでに動揺している世界市場と国内経済をさらに揺るがす可能性が高い(WP) 2日前
- プーチン大統領は18日、トランプ米大統領との電話会談。 NYT: プーチン大統領、エネルギー目標の制限には同意するが、ウクライナの完全停戦には同意せず。CNN 政権がクレムリンとの戦時外交に本格的に進出したのはこれが初めてで、ロシアの「ノー」ディールの技術が際立った。 3日前
- ガザ地区での脆弱な2か月間の停戦を終わらせたイスラエルの新たな攻撃で、少なくとも404人が死亡、イスラエル首相はハマスを壊滅させ、同組織に捕らえられているすべての捕虜を解放するという戦争目標をすべて達成するまで前進すると述べた。 4日前
コメント
コメントを書くMBK常務のA氏は第四次中東戦争を予想しMBKに多大な利益をもたらした。
私事で恐縮ですが、私も若い時ジョンソン大統領のベトナム戦線拡大に賭けて在庫の損切を6か月延期させ評価損を解消させた非常に良い思い出があります。
MBKがルソーの平和を買って戦争でぼろ儲けした。資本主義とはそのようなもので戦争が大好きなのです。死者が何人出ようが関係ありません。
最高度の資本主義社会を構築するに至った米国では平和主義者はテロリストと同じカテゴリーに入っていて反社会勢力なのですが、日本のB層はそのことを知りません。
>《平和の印として共和国に挨拶に来た諸大国の代表者たち》
この絵をピカソは1913年に とある画商から購入した―との記述を見かけた。やはりルソーの「平和」はこの作でないか。それを是非購入したいとMoMAが長らくピカソに打診していたが、漸く商談成立のメドが立った頃には、買い取っても直ぐに手放さざるを得ない状況になってしまい...フライングで<「平和」の絵画を売りたいとして、密かに三井物産のA氏のところに打診があった。>
だが、その後ピカソがMoMAに実際に売ったのは、ルソーの作品ながら「全く別の作品だった」
1973年4月にピカソは死去している。
ピカソ美術館はルソー作品4枚所有しているが、ピカソが生前購入したものかどうか。死後購入したものであると実態は変わってくる。
作品は「戦争と平和」、「平和への願い」、「アートの力」、「反戦」であり、平和への願いは「平和の印として共和国へ敬意を表しに訪れた列国の代表たち」である。
ニューヨーク近代美術館が1970年代初めに売却しようとした「平和」と「戦争」はピカソ死去が1973年であることを考えるとピカソ美術館所有の「平和への願い」とは違う作品ではなかったか。