さしたるドラマがあるわけじゃない。一人の老人が歩き続ける。日本で売れないかもしれない。しかし、英国で爆発的に読まれている。行為自体は歩くというだけ。その積み重ねがとんでもない偉業になる。そんな所が英国人を魅了しているのであろう。
この本は定年になっている一人の男がある日一通の手紙をえる。20年くらい前に一緒に働いていた女性からだ。
この女性クイニ―は癌でもうすぐ死ぬという。
主人公ハロルド・フライの住まいは英国の南の端、クイニ―はスコットランドの国境の修道院に付属している収容所にいる。約500マイル離れている。
ハロルドは慰問の手紙を書き、それをポストに入れにいくために自宅をでる。
そして突然、手紙だけでは不十分と思う。このクイニ―を見舞いにスコットランド国境近くまで歩いて見舞いにいくことを決心する。何の準備もせずに歩
コメント
コメントを書く普通(ordinary)を貫くこと、それが英国的と言う。 ← 今の日本に求められていることだと思う。普通の国、普通の国民、普通のメディア、普通の政治家、、、、。
先生の書評もいいですね。
ここで選ばれる本で、先生が何を思って行動されているか何となく想像できる。(まだ読んでませんが)
みんなに取って意味のない行動かもしれないし、欲しいものは手に入らないかもしれない、、、でも自分はそうすべきと思うから淡々と行動する。やり続ける。
今の自分にも言い聞かせたい。
「自分が歩き続ければ、癌にかかっているクイニ―が治るか、生きながらえると思」というのは、普通 (ordinary) な人間である私には単なる思い込みであり、だれもその関連性を証明できるような事柄ではなく、個人的な感情というにすぎず、したがって社会学的に意味のあるものとは思えない。これがもっと普遍性のある感情、たとえば、原発、沖縄に米軍基地が存在すること、憲法改正などに対する賛否であればそれらのintegrationは国民の政治的な意志として意味がある。上記のような個人的な思い込みに関する本に多くの人が感動しているといのは、孫崎氏のコメントからは信じられないし、Michel Joyce社会的なメッセージとして意味があるとは思えない。
孫崎氏は「クイニ―はスコットランドの国境の修道院に付属している収容所にいる」と書いているが、実際に読んだ人の度ぐ語感では「Queenie Hennessy は末期癌で今 Berwick-upon-Tweed (英国北東部の街)のホスピスにいる」となっている。どちらが本当?「収容所」なんてありえない。戦争の捕虜じゃあるまいし。英国の美しい田園風景、旅先で出会う人々との交流が書かれているだろうとは思うが、それ以上のものではない。孫崎氏はそんなにsentimentalな人なの?
コメントを以下のように訂正します。
「自分が歩き続ければ、癌にかかっているクイニ―が治るか、生きながらえると思」というのは、普通 (ordinary) な人間である私には単なる思い込みであり、だれもその関連性を証明できるような事柄ではなく、個人的な感情というにすぎず、したがって社会学的に意味のあるものとは思えない。これがもっと普遍性のある感情、たとえば、原発、沖縄に米軍基地が存在すること、憲法改正などに対する賛否であればそれらのintegrationは国民の政治的な意志として意味があると思うが。上記のような個人的な思い込みに関する本に多くの人が感動しているというのは、孫崎氏のコメントからは信じられないし、社会的なメッセージとして意味があるとは思えない。
孫崎氏は「クイニ―はスコットランドの国境の修道院に付属している収容所にいる」と書いているが、実際に読んだ人の読後感には「Queenie Hennessy は末期癌で今 Berwick-upon-Tweed (英国北東部の街)のホスピスにいる」となっている。どちらが本当?「収容所」なんてありえない、戦争の捕虜じゃあるまいし。英国の美しい田園風景、旅先で出会う人々との交流が書かれているだろうとは思うが、それ以上のものではない。孫崎氏はそんなにsentimentalな人なの?
生きてて欲しいという想いが行動になり、行動が共感を呼んで他の人にも波及するんでしょうか?自分にとって普通のことを貫くって自信と根性がいりそうですね。空気なんて読んでたらできなそう…行動の源は信じるってことなんでしょうか。
「それが全くの無意味に感じられる行動だとしても貴方の信じた行動をとりなさい。貴方が貴方であり続けるために。」
マハートマ=ガンディー
妹の夫、高校・大学を通じての知り合いの夫人が両方共、先月食道がんと乳がんで亡くなり、私自身、ガンで胃を失い、定年になってから20年以上経っている身ですから、件の本に関しては、孫崎氏から聞いた範囲内では、感心することはなく、なぜそんな内容の本が評判になるの、と思うのみです。今の世の中、がんによる死亡は全く珍しくありません。とすると、物語の主人公はやはり死にかけている女性に対して何らかの特殊な感情を持っているケースとしか考えようがありません。しかし、男女の間の恋愛感情など、これも全く掃いて捨てるほどの存在です。また、死そのものについては、養老孟司氏は「人間は死なない、なぜならば死亡後に自分の死を確認することはできないから」という意味のことを言っています。
人生の主人公は自分ってことですかね。
日本の囚われた世界からは、きっとこの普通というよりシンプルな思いには動かされないかも知れませんね。より刺激的な物を求め続けさせられている社会、アメリカナイズされている。洗脳の賜物なんでしょうね。
だけど、シンプルに相手の事を思えたら、原発もTPPも必要無いと選択するんじゃないかと思います。
主人公の自分が信じた道が、自分の為だけのものでは無いって所にとても興味深く感じました。