漫画「はだしのゲン」の閲覧制限は単に一漫画の閲覧制限に限らない。
今日本全土を覆っている右傾化と、好ましい言論を排斥する動きと密接に関連している。こうした動き一つ一つを阻止する動きを続けないと、日本は大変な方向に行く。
この中でうれしいニュースがある。
それは個々人が行動をとることによって、明確に行政を動かしている。原発の再稼働問題といい、今回の「はだしのゲン」をめぐる動きもそうだ。
私のツイッターは次の通り。
「はだしのゲン:ここは正念場だ。下村文科相は「閲覧制限特段の問題はない、教育上好ましくないと考える人が出るのはあり得る」一方で松江市教委等に1253件の抗議等。22日朝日「はだしのゲン閲覧制限 松江市教委協議、結論先送り。」
そして、また、素晴らしいジャーナリストが生きていたことも示した。
次の社説を見て欲しい。信濃毎日社説である。
「はだしの
コメント
コメントを書く閲覧制限は誤っている。それは「はだしのゲン」を読めば一目瞭然だ。何もかも無いもにしてしまえという政治の動きには常に対峙し、反論しなければならない。
「戦争が恐ろしいものであるのは幸いだ、そうでなければ私たちは戦争をますます好きになってしまうだろう」ロバート・E・リー
戦争とは考えられる政治的行動の中で最低最悪の選択だ。お互いの一般市民にとって何の利益をもたらさない。そもそもナショナリズムの創設された第一の理由はそれまでの健全な農民を戦争に積極的に参加させること。これは自身らの政治的怠惰によって発生したコストを貧困層に押し付けた挙句、彼らの命で踏み倒す悪行。
国民が求めるのは自由と安心である。「不安」や「不快」を見えなくするために自分たちで自分らを監視する時代など平和と繁栄から最も遠ざかっている。 危険を知らせる忠実な牧羊犬を棒で打ち据える主に未来などない。
>>1
canshoeさま。
第5巻以後は、「誤った歴史認識」を与えるから、閲覧制限は妥当とのお考えは納得できません。
すべて、作者の中沢啓治さんの実体験に基づく作品ですから、「誤った歴史認識」になるはずはありませんし、途中から思想が変わることも考えられません。
考えられるのは、途中からは米国や日本政府の対応が描かれて、被爆者の苦悩を無視して、治療は行わず実験材料扱いをする様子が知られることを恐れたのかもしれません。
安倍内閣の閣僚たちが口をそろえて、閲覧制限を支持しているのはそのためだと思います。
中沢さんが訴えたかったのは、戦争や原爆は絶対にいけないということであり、共産主義を賛美したり、米国や日本政府を恨むことではないはずです。
「はだしのゲン」は小学生の頃に読んだだけで内容など正確には記憶しておりません。ただ、食料の買い出しで惨めな思いをしたり、B-29の空襲が恐ろしかったなど、作中のエピソードは母から聞いた戦争体験と重なるところが多く、共感を覚えました。天皇の戦争責任についても確かに激しい描写ではありますが、戦争中は「天皇陛下のため」に戦えと言われていたのに、いざ敗戦となったら「私(天皇陛下)の責任ではない」、というのは普通の市民にとって納得できる理屈では無いと思いますし、当時の一般市民の感覚からすれば当然のことだと思います。「責任者を出せ」というのは何か問題が起きたときの我々の(マスコミは特に)常套句ですが、正にそれが当てはまるケースではないでしょうか?
孫崎先生のご指摘のように、もし天皇陛下がアメリカに沖縄を差し出すことを認めていたのだとすれば、今沖縄に米軍が駐留している状況は「陛下の思し召し」どおりと言うことになりますが、1995年の少女レイプ事件はそれがために起きたことにもなります。小学生といえども決して無関係ではなく、「現実」を正に先取りして「描写」しているとも言えます。犯罪を犯しても我々日本人が直接裁くことの出来ない人々が「現在も」日本に存在し、その被害を受けた「小学生」が実在することを考えれば、作中の「性的描写」が誤った歴史認識であると決めつけるのは早計ではないでしょうか。
漫画にせよ、本にせよ、一つの作品は作者の考えが反映される物です。それを受け入れるか、入れないかは読んだ人が決めることです。
(ここで触れることは大変不躾であることを承知の上で書きますが)沖縄の被害女性はこの閲覧制限をどう思うでしょうか?また、福島原発事故で放射能被曝を受けながら調査はされても事故との因果関係が認められず、政府からも東電からも賠償を受けられず放っておかれたままの被害者はどう思うでしょうか?
この国は自国民200万だけでなく中国・東南アジア諸国で数千万にも上る命を奪った戦争の反省もせず、日本の国土だけでなく世界の海をも放射能で汚染し続けている原発事故の反省もせず、ただアメリカ・多国籍企業の言いなりとなっておもしろいように操られています。そのアンチテーゼとして子供達に気付きの機会を与えるはずの良書を、一部の大人の勝手な考えで閲覧制限する今回の措置には断固反対します。
No.1のコメントを削除いたしました。
>今回の「はだしのゲン」閲覧制限には、いろいろと裏がありそうです。
>その内容を知ってから、松山市の閲覧制限措置に対して、反対から賛成に意見がかわりました。
>今一度、検証していただけませんか?
上記のようにコメントを投稿させていただきましたが、閲覧禁止は全巻に渡ってされていたとのこと。
第6巻以降が禁止対象ということではなかったようです。
失礼いたしました。
>>6
m.m.様
閲覧制限については、賛否あってよいと思います。
内容がどうであれ、書物として読み手の自由がありますし、それを制限するのは如何なものかと思います。
しかし、同時に真偽の判断能力が乏しい小学生などの子供に読ますのはどうかというのも理解できす。
また、全巻に描かれている内容が全て中沢さんの実体験というのは違うと思います。
中沢さんは戦場に行ったことはありませんから、戦場での体験談は第三者が「こうだったよ」と教えたものでしょう。
そこに第三者の意図が感じられるのです。
仰るように、中沢さんの目的は悲惨な戦争の非難と恒久平和を訴えることだと思っています。
生きていくことは、簡単なことではなく、お釈迦様の言葉を引用することもなく「苦」です。社会的活動は、きれいごとで済むものでなく、身体全身で受け止め対処していかなけれなりません。政治家の姿一つを見ても素晴らしいものではなく、社会悪といえる発言、行動で溢れています。規制するのであれば、政治家の行動であり言葉なのです。真逆のことをして、全ての現象を直視し、対応できる「心」を養わず、子供たちに、一方的思想で、ストレスを一切排除する考え方は、決して国際的に通用する強い「心」をもった子供たちを成長させるのでなく、幅の狭い人間を作り上げていくような気がします。