今日の日本の政治の悪化の主因はマスコミにある。
安倍政権の大手マスコミ懐柔策は次々と成果を収めている。まさにアメとムチの政策である。
この中、大手マスコミは何らの疑念を持つことなく、安倍氏に接近している、
この点に関しては5月30日(金)赤旗電子版が「報道各社“権力監視”どこへ
靖国・消費税・集団的自衛権 その夜に…」の標題の下、報じているので参考までに記載する。
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昨年12月26日、首相になって初の靖国神社参拝で世界中から批判を浴びた安倍首相。その日夜に会食したのが報道各社の政治部長らでした。首相の参拝には、米政府さえ「失望した」と非難したように、日本による侵略戦争を美化・肯定する歴史逆流だとの批判が国内外から寄せられました。
消費税8%への増税を強行した4月1日夜には、報道各社の記者と懇談、翌日に
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マスコミが一番怖いのは、経営が弱体化することである。マスコミ各社が同じ方向に向けば、批判を受けるときはすべてのマスコミが批判を受けることになる。みんなで渡れば怖くないのです。国会議員も同じです。集団的自衛権でも、与野党で多数決で決めれば、国民の批判を皆が受けることになり、何らマイナスになることはない。国民が反対しても、どうということはないという論理です。一旦選挙になれば、何食わぬ顔をして、与野党みんなで国民に迎合すればよいのです。
今現実的に進行していることは、大変怖いこと、全体主義が民主主義のような顔をしてまかり通ろうとしていることです。この似非民主主義を民主主義とすると、安倍総理は、ヒットラーのような存在になっていくことです。民主主義を間違って理解すると、大変怖い社会をもたらすことになることに、皆が気が付かなければいけないのですが、洗脳された国民は全く気が付かないのでしょうか。
私は現在既に日本はファッショ体制にあると見ています。それは日本独特のファッショだから気が付かないだけです。新型ファッショです。お笑いファッショとでも呼ぶべき日本独特の戦後生まれのファッショです。
通常のファッショなら、例えば幸徳秋水の処刑や小林多喜二の惨殺とかが思い浮かべられるのですが、そういうことはないのです。国の行政トップがお笑いタレントと一緒になって浮かれることをメデイアで流しながら、安心させ、新興右翼の人種差別言動を野放しにし、靖国参拝をルーチン化し、中国と韓国に対して神経を逆撫でするような激しい言葉を発し、集団的自衛権を閣議決定で堂々と押し切る覚悟で進んでいます。マスコミは真剣に批判しないし、国会議員の大半はお金でがんじがらめ、これを称して私はお笑いファッショと呼んでいます。
既に日本はファッショ体制に入っている。こういう状態に入ってしまうとなかなか内部からの運動では改まらない。外圧による経済破綻からしかこの体制からの抜けだしは難しいと思わざるを得ません。
一縷の望みは沖縄の今後の動きです。明治維新は九州の薩摩が成し遂げた。次なる維新は更に南の沖縄からでしょう。何故ならかの地にはまだ真面目な人々とメデイアが健在ですから。
安倍首相のマスコミ対策は、決して思い付きではなく、周到に準備して計画的に行っています。
NHKに籾井会長や、長谷川・百田経営委員を送りこんだことも、事前に構想し計画していたのでしょう。
ナチス党が、宣伝省ゲッペルスにメディアを統制させ、ナチス支配を完成させたことを意識しているのでは、とさえ思います。
マスメディアの中枢にいる者、ジャーナリストが、自発的に、自主的に、権力にすり寄っている姿が、実に情けない、
戦前、戦中にたどってきたその姿を、そのまま繰り返しています。
戦前ばかりではありません。原発事故の時に、政治家や、大学教授、専門家・・・とともに、新聞、ジャーナリストは、政府・東電の擁護者になり、真実を意図的に伝えませんでした。
これらに対抗する情報発信、議論、共有する人々の、自立した自発的な活動、現在の日本のマスメディアのようでない、本当のジャーナリズムを、対抗しつくりあげなくてはいけないところに、私たちは追い込まれているのではないでしょうか。
「孫崎さんのつぶやき」にずいぶん、目を開かせてもらっています。