川内原子力発電所の再稼働について尋ねたところ、地元・薩摩川内市では20代から30代で「賛成」「どちらかといえば賛成」が75%(NHK世論調査)。
私には解らないのです。
「職のために必要」という考えに立ったとします。
その地域に住むのですから、生活の拠点は原発周辺になります。
今独身でも、結婚するでしょう。家庭を持つでしょう。家を持つでしょう。
地震にあえばそれが皆、吹っ飛んでしまいます。
他地域にいって職を見出すとしてもいつまでも20代ではありません。新たな土地で職を探すのも困難です。
そうした不安を抱える原発の再稼働を何故支持するのか私には解らないのです。
貴方方は福島原発で、原発立地近辺の市町村の人々がどのような運命をたどってきたか、見てきたのでしょうか。
それは自分とは全く無縁だと思われたのでしょうか。
もし、情報不足なら、今一度勉強して
コメント
コメントを書く世に言う一流大学と呼ばれる大学の学生たちに対して同じ調査をしたらもっと驚くべき数字が出るのじゃないかと私は危惧します。時々、飲み屋なんかで若い世代と話すことがあるのですが、原発とか基地に全くと言っていいほど関心がない。ニューヨークの若者が”OCCUPY WALL STREET”運動を起こしたりしていますが、日本にそのような動きが全くありません。私の目には日本の若い世代は死んでしまっているとしか映りません。若者だけではない。老人もひどい。奈落に落ちてしか覚醒しない習癖がこの列島の老若男女にへばるついているとしか考えられません。
そんなことを言っている私も実は安保条約が平和憲法より上位にあると信じてついこの前まで生きて来たんですからえらそうなことを言えない人間なのですが。
鹿児島は、かつて神風特攻隊が飛び立った地です。
今でも特攻隊精神が生きていて、「お国のためなら、自分の命は問わない」のでしょうか。
福島の場合は、原発から放出された放射能は、ほとんどが太平洋に落下しましたが、川内原発が事故を起こしたら偏西風に乗って東に拡散し、被害は遙かに大きくなってしまいます。
チェルノブイリの場合、遙か500キロ以上も離れた地域で最悪の被害が発生したことを忘れてはいけません。その範囲には神戸や大阪も含まれているのです。
それらの各府県や市町村が、なぜ声を上げないのか、不思議でなりません。
若者たちは、超現実主義、様々な夢を見ることを拒否しているのでしょうか。何かに可能性を求めることを諦めた生活、特に次世代に期待する種存続本能がマヒするというか、成り行き任せでは、なにか若者が若者らしくないのですが、当たり前のことでしょうか。若者が自分の人生に夢を抱いていないかぎり、理解しようとすることが無意味なのでしょう。
福島で起きたことなど他人事です。
わたしは名古屋在住ですが、福島の事故が起きて数ヶ月もしたころには
もう、行きつけの喫茶店で原発事故の話題などで話す人などいませんでした。
昨日のドラゴンズがどうのこうの、河村市長の名古屋弁があーだこーだ、
ま、そんな感じでしたね。
九州がどうだったか想像するのは容易です。
マスコミの責任が大きいですね。
東京新聞の総本山があり圧倒的な影響力をもつ名古屋がそうなのです。
もっとも、マスメディアの覇権はとっくにテレビがにぎっており、
そのテレビは画面に映されるすべてを娯楽に変える機能をもっています。
福島のひとたちの生活の難渋は、お笑い芸人のつまらぬギャグや
わるふざけと同一線上の娯楽として視聴者に消費されますから。
新聞を購読せず、テレビを情報収集の中心にすえるひとが多い現在では
悲惨な境遇にあるひとびとにたいする同情や共感は育ちません。
すべて娯楽なのですから。
今の若者は「共感」の世代であり、また感情論を嫌う傾向があります。彼らは「貴方のことが解らない」「理解できない」と言われると、馬鹿にされたように感じて壁を作ってしまいます。巷の反原発論者の論理展開と若者の心理との相性は決して良くないと感じています。
また、おそらく彼らは「原発の点検や改修を逐次行ない、少しずつ原発依存を減らしていくのが妥当だ」という考えなのでしょう。そんな彼らにとっては「原発ゼロ」は感情論にしか見えないのかもしれません。
地震の振動で原発が破壊すると言う証拠はない。地震の振動で市街地の家屋が破壊したり、火災を起こして住民が死亡することの証拠は山ほどある。もっとしっかり考えるべきだろう。
想像力が欠如した現代人。
結局立ち直れないほどの痛い目を見る経験をしなければ理解できないのだと思います。みんな涙を呑むしかないのではないでしょうか。
孫崎さんがわからないといっていますが、一生懸命理解しようとしました。
一つわかってきたのは、私たちの世代は、共生社会であり、皆で助け合う精神がいきわたっていました。若い人たちは、他と比較しない、競争を拒否し、共生を拒否した絶対教育を受けてきた個人主義者というより、利己主義者になっていると見るべきなのでしょう。違った価値観の中で生活しているので、世界がまったく違っているのは当たり前なのであり、理解しにくいといえるような気がしています。