A:新華社通信は25日、「昭和天皇は中国への侵略戦争と太平洋戦争の発動を指揮した侵略戦争の張本人だ」とした上で、「昭和天皇は亡くなるまで日本が侵略した被害国と国民に謝罪を表明したことはなかった。その皇位継承者は、謝罪で氷解を、ざんげで信頼を手に入れなければならない」と主張した。
配信された記事は26日付中国紙・光明日報が掲載したが、中国共産党機関紙・人民日報などは掲載していない。
菅官房長官は28日午前の閣議後の記者会見で、中国国営新華社通信が歴史問題をめぐり、天皇陛下に謝罪を求める記事を配信したことについて「天皇陛下に対する礼を著しく失しており、これまで表明されてきている中国側の立場とも相いれないものだ。改善基調にある日中関係にも水を差しかねず、全く好ましくない」と述べ、強く批判した。
そのうえで、外交ルートを通じ、27日に中国側に抗議したことを明らかにした。
B評価
・今回の
コメント
コメントを書く中国の経済規模拡大、都市近代化はすさまじいスピードで進んでいるが、問題は外見と違ってその内面、すなわち組織を動かすシステム並びに技術力は民政化面で大変遅れている。このことを一番よく知っているのは中国人であり、平均的日本、日本人に対するコンプレックスの裏返しが、さまざまな面で日本に対する攻撃となっています。様々な攻撃をすることによって、単に自己満足に陥っているといえます。このような中国が本当の中国ではなく、人口の1割ぐらいを占め人たちは、日本と同じぐらいの人口であるが、日本人の平均的収入を大きく上回り、教育水準も高く、知識水準もかなり高いことを意識すべきなのでしょう。今回の菅官房長官の中国新華社発信の報道に敏感に反応する姿を見ていると、日本政府の未熟さばかりが気になってしょうがない。レベルの低さをさらけ出し、世界の笑いものになるだけです。
この新華社の陛下の謝罪要求は安倍氏たちに利用されると思います。これも新華社にとって想定内なんだろうとも思います。中国内部に不穏な動きがあるのでしょう。安倍氏たちに中国当局が弱腰だというような。プーチンなんかも「米のネオコンを叩き潰せ」というような激しい突き上げがあるようだし、中国の好戦派の動きが無いと見るのは無理がありましょう。そういう内外情勢を踏まえた上でのアドバルーンと私は見ています。
日中関係が抜き差しならぬ状況になった一因は安倍氏の歴史認識だと思います。中国人で意識の高い連中はどう考えているのか。その一片を知るのに役立つと思ったので、THE RAPE OF NANKINGの著者アイリス・チャンが序文で書いている次のパラグラフ(拙訳は筆者)を引用します。
「中華人民共和国、中華民国、そして米国さえもが冷戦に深く根ざした諸々の理由があって日中戦争で日本が犯した戦争犯罪を敢えて表沙汰にしなかった。中国での1949年の共産主義革命以降、中華人民共和国も中華民国も日本に戦争賠償を要求しなかった。その理由はこれら二国が日本との貿易、或いは自国の承認を競って求めたからだ。米国でさえもソ連と中華人民共和国の脅威に直面して敵国だった日本との友好と同盟を急いだ。このようにして、冷戦の緊張のお蔭で日本は戦勝国から厳しく糾弾されなくて済んだ」
この一節を読んで、13億人と言われる膨大な人間集団のルサンチマンを想像して震撼とならざるを得ないのです。
明日は8/30。列島の人間の良識が表現される日です。
>>2
フレディ タンが翻訳引用されたアイリス・チャンの認識は
当を得ています。
冷戦のせいで米国は日本の右派をつけあがらせました。
自国に忠誠を誓いさえすれば何をいってもしてもよい、と。
日本の隣国との不和は米国の利益だと。
そのため、日本の右派は安心して「おしつけ憲法」や
東京裁判を罵倒してきました。
米国という固有名詞を使うことは注意深く避けながら。
このさき日本はたかい代償を払うのでしょう。
岸田が外国の天皇批判に「天皇にたいして失礼だ」といっていますが
岸田の頭のなかでは今でも、天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズというヨタが
こだましているのでしょう。
それは天皇制国家からとほうもない災厄を被った外国にも適用されると。
ばかとしか。
かつて中国国内で犯した旧日本軍の蛮行は、言葉で謝罪したら済むレベルではないと思う。
だが、昭和天皇の罪を、その息子である現在の天皇に謝罪しろというのは筋違いだろう。
どこの国でも、親の犯した罪で、別人格である息子が処罰されることなどあってはならないのだ。
しかし、それに対する菅官房長官の「天皇に対する礼を失している」というのも的外れだ。
政権にとっては「生き神様」かも知れないが、他国から見れば、天皇も「一人の日本人」に過ぎないのだ。
中国から、こうした発言が出るのは、安倍政権が「中国敵視政策」を取り、「中国包囲網」を画策しているためだ。
安倍内閣は、他国の発言に抗議する前に、自らの言動を反省すべきである。