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御厨貴氏:人権問題としての象徴天皇制を考えるべき時にきている
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御厨貴氏:人権問題としての象徴天皇制を考えるべき時にきている

2016-08-10 20:00

    マル激!メールマガジン 2016年8月10日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/
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    マル激トーク・オン・ディマンド 第800回(2016年8月6日)
    人権問題としての象徴天皇制を考えるべき時にきている
    ゲスト:御厨貴氏(青山学院大学特任教授)
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     天皇陛下の生前退位のご意向が7月13日に報じられて以来、天皇制のあり方をめぐる議論が盛んに交わされている。8月8日、陛下ご自身がビデオを通じて「お気持ち」を表明されたが、マル激ではそれに先立って、この問題で日本人一人ひとりが考えなければならない論点は何かについて、政治学者で天皇制についても造詣が深い御厨貴氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
     そもそも今上天皇が非公式ながら生前退位の意向を示したことについて御厨氏は、象徴天皇制のあるべき姿を生涯考え続けてきた今上陛下の深謀遠慮があってのことだろうと語る。御厨氏によると、現在の象徴天皇像はもっぱら今上天皇が作り上げてきたもので、その集大成ともいうべき問題が生前退位問題だった。
     言うまでもなく現行憲法の下での「象徴天皇制」は、大きな矛盾を孕んでいる。それは天皇という地位に「世襲」「男系男子」「万世一系」など戦前から続く一定の神性(カリスマ)を求めながら、あくまで天皇は一切の政治的権限を持たない象徴に過ぎず、政府が決めたことに唯々諾々と従いながら「ご公務」と呼ばれる国事行為を執り行うだけの存在に押し込んできたからだった。戦後70年間、日本人はその矛盾と向き合うことのないまま、天皇のカリスマを災害時の被災地訪問や歴史的な祭典などで最大限に利用してきた。それは天皇や皇族の方々に、職業選択の自由も無く、世襲で強制的に天皇という地位に就かされた上に、その地位から離脱する自由もなく、死ぬまで公務を全うし続けなければならないという、あまりにも理不尽で犠牲の多い地位に甘んじていただくことを意味していた。
     御厨氏は理論、行政、政治の3つの観点からこの問題に対する議論を始めるべき時が来ていると指摘する。ただし、その議論は、小泉政権下の有識者会議のような、天皇制の専門家たちによるものに限定すべきではないと言う。なぜなら、天皇がどうあるべきかは、専門家が決めることではなく、日本人一人ひとりが何を望んでいるかによるべきだと考えるからだ。
     日本国憲法は第一条で天皇を日本国と日本国民統合の象徴とした上で、それが日本国民の総意の上に成り立つことを明記している。現在のような制度が本当に日本国民が天皇に望んでいることなのかを、今こそわれわれは議論すべきではないか。

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    今週の論点
    ・今上天皇が国事行事や公務を増やした理由
    ・天皇のカリスマを利用しつつ、“去勢”を行うアメリカの狙い
    ・「理論的、政治的、行政的」という3つの議論
    ・生前退位の裏にある、最大の問題提起とは
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    ■今上天皇が国事行事や公務を増やした理由

    神保: 今回は800回目のマル激です。節目に相応しいテーマとして、天皇の人権というものをきちんと考えよう、という課題を設定しました。戦後70年間、象徴天皇といいながら、神性も持たなければならず、国事行事しなければならなくて、しかし政治的権利は一切ない、といったある意味で無茶苦茶なことをやってきたと、つくづく思ったんです。

    宮台: もともと「人権」というのは、政治システムが侵害することができない個人の行為領域のことです。平たく言えば、政治システムが何をどう考えていようが、個人には選択権がある、あるいは選択を行使する、意思の自由があるということ。そして、「象徴天皇」である方に、そのような自由があるだろうかということです。例えば、国事行為をしない自由があるだろうか。また、僕たちであれば職業選択の自由があるが、同じように「象徴天皇のポストに居続けないぞ」ということができるか。象徴天皇という言葉は、そうした問題がすべて隠蔽された形で畳み込まれた概念なんです。

    神保: それがここに来て、ようやくきちんとオープンに議論をできるようになったというのは、もしかしたらすごい進歩かもしれない。さて、今回のゲストは、宮台さんとの議論をお客さんになって聞きたい、とすら思ってしまう方です。青山学院大学の特任教授で政治学者の御厨貴さんにお越しいただきました。

    御厨: 僕は明治・大正・昭和、そして今上陛下に至るまでに、天皇の政治へのかかわり方の変遷について書いてきました。帝国憲法ですら実は天皇を押し込めることはできていなくて、脱法行為も違法行為も随分行われてきました。戦前もそうだし、戦後もかなり、憲法を逸脱する行為があり、今上天皇も当然、そういう路線は歩んできている。ただ、特に戦後はそれをすべて取り繕い、「政治的行為ではない」と言ってきたわけです。皇室外交という最も政治的な行為を「政治的ではない」という。この欺瞞を宮内庁から内閣、メディアも含めて作り上げて、それに乗っかって演じてきた。
     そして、公務がなぜこれだけ大変になったか。あれはすべて、今の両陛下が開発したものです。宮中で行われるような、国民に見えない伝統的な行事ももちろんあるんだけれど、付け加えられたのは、憲法で言う国民統合の象徴みたいなところで、それが国民に圧倒的に受ける。すると、震災があれば“心の救急隊”のようにすぐその場にかけつけるし、僕が見るところでは強迫神経症的に、外に出ていく。これは両陛下ともそうだと思う。
     それがいったい何なのだろうか、とずっと考え続けてきたなかで、今回の問題が出てきて、「ついにこの声が出たな」と。もうこれ以上できない。しかも摂政ではなく、位も譲ると。そんなことに僕らは本当に気が付かなかったのか。天皇陛下は退位できないものだという固定観念がまとわりついていて、天皇のイレギュラー発言によりみんなハッと驚き、それが解けたのだと思います。

    神保: 御厨先生は、今上天皇がそこまで国事行為や公務と言われるものを自ら増やしたのは、なぜだというふうに見ていますか。

     
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