マル激!メールマガジン 2018年6月27日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/
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マル激トーク・オン・ディマンド 第898回(2018年6月23日)
ゲノム編集が変える「人間の領域」
ゲスト:小林雅一氏(KDDI総合研究所リサーチフェロー)
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 クリスパーと呼ばれる新しいゲノム編集技術の登場で、あらゆる生物の遺伝子を意のままに書き換えることが可能になってきた。この技術はさまざまな生物学現象の解明や食料生産、遺伝性の病気の治療などへの応用が期待される一方で、デザイナーベイビーやスーパーヒューマンの登場も現実味を帯びてきていることから、神の領域とされていた遺伝子情報を人間が自由に操作することの是非が、今後倫理面でも議論を呼ぶことは必至だ。
 クリスパーは英語でCRISPR (clustered regularly interspaced short palindromic repeatの頭文字を取ったもの)、直訳すると「クラスター化され、規則的に間隔があいた短い回文構造の繰り返し」となる。これは遺伝子情報DNAには規則的に同じ配列が現出することを、大阪大学微生物病研究所の石野良純氏(現九州大学大学院農学研究院教授)らが1993年に発見したことに端を発する技術で、その配列の繰り返し自体は、太古の昔に細菌がつくりあげたウイルスの侵入に対する防衛機構であることが解明されていた。それを人為的に操作し、狙った特定の遺伝子の書き換えに利用する技術が、2013年にアメリカとフランスの研究者によって開発されたCRISPR-CAS9(クリスパー・キャスナイン)と呼ばれる技術だ。
 1970年代に登場した遺伝子組換え技術は主に食料生産に多く利用されてきたが、従来の遺伝子組換え技術では、外来遺伝子をゲノムの中の特定の位置に入れることが難しく、効率も悪かった。しかし、クリスパーによって、狙ったDNAの書き換えを低コストで短時間のうちに行うことが可能になった。しかも、その難易度も大幅に低くなり、「高校生が学校の課題でできるレベル」(小林氏)なのだという。
 クリスパーによって遺伝子編集のハードルが劇的に低下し、様々な遺伝子編集の実験がこれまでの常識では考えられないほど容易になったことで、遺伝子編集研究の裾野が大幅に広がることはメリットも多い。医学や食料生産などの分野では、多くの成果が期待できるだろう。しかし、これまで一部の研究機関に限られていた遺伝子の組換えが容易になってしまうことで、新たに多くの問題が沸き上がってくることは必至だ。
 病気の治療に適用されているうちはまだいいが、遺伝性疾患の予防に有効だとして、クリスパーの技術を受精卵に用いることが認められれば、特定の身体能力を伸ばすような遺伝子操作を行う誘惑に、おそらく人類は勝てないのではないか。また、そこら中で遺伝子をいじるアマチュア科学者が出てくれば、例えば遺伝子を改変された微生物を下水に流してしまうなどして、生態系に予想不能な危害を及ぼしてしまうかもしれない。
 生命医学や食品の分野での遺伝子操作の是非をめぐる倫理面や安全面からの論争は以前から続いているが、クリスパーの登場で誰もが簡単に遺伝子の改変ができるようになった今、いかにその技術をコントロールしていくかは人類全体にとっての大きな課題となっていると言っても過言ではないだろう。「何ができるか」と「何はやっていいか」を明確に識別していく知恵が求められている。
 『ゲノム編集とは何か』、『ゲノム編集からはじまる新世界』などの著者・小林雅一氏と、クリスパーが拓く人類の未来の可能性と危険性などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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今週の論点
・低コスト、低難易度でゲノム編集を可能にする「クリスパー」
・ハーバーマスが指摘した、地平の変化が起こる
・国際的な合意を作る難しさ
・日本の立場は不明も、臨床研究に向けて大きく動き出した現状
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■低コスト、低難易度でゲノム編集を可能にする「クリスパー」

神保: 宮台さん、ワールドカップが開催中ですが、冒頭で何かありますか?

宮台: ドーピングが話題になっていることから、スポーツも今回のテーマに関係しますね。

神保: ゲノム編集の技術を使えば、ドーピングする必要がないですからね。

宮台: そう、遺伝子組換えについての倫理の話はこの番組でもしたことがありますが、要は人間とそうでないものの境界線が曖昧になることにより、倫理的なゲームのプラットフォームが変わってしまいます。

神保: ゲノム編集という世界は、ある意味で、この番組で何度か取り上げてきた遺伝子組換えの延長線上にあるものですが、いま問題になっているのは、遺伝子組換えをしても、それがトレースできないような技術が出てきてしまっていることです。多くの場合は食べ物ですが、遺伝子を見ても組み替えられていることがわかりません。それが人にも適用されるなら、真面目にサッカーをやっているのがアホくさくなってきますね。
 さて、今回取り上げるのは「クリスパー(CRISPR)」というものです。言葉として聞いたことはありましたが、何のことなのか非常にわかりにくいです。しっかりやっておいたほうがいいと思いましたので、こちらをテーマに設定し、ゲストにはKDDI総合研究所リサーチフェローで先端技術に詳しい、小林雅一さんにお越しいただきました。ひとつのきっかけが、『ランペイジ 巨獣大乱闘』という映画です。タイトルの通り、巨大な怪獣が大暴れする、非常に痛快爽快な映画だと言うことですが、これがクリスパーと関係があるということでしょうか。

小林: そうですね。クリスパーが誤って動物の体内に注入されてしまい、その結果、巨大化してしまって怪獣みたいになってしまう、という映画です。