マル激!メールマガジン 2023年5月10日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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マル激トーク・オン・ディマンド (第1152回)
Winny事件に見る日本が停滞し続ける根源的理由
ゲスト:壇俊光氏(弁護士、元Winny弁護団事務局長)
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 日本は希代の天才プログラマーの才能さえ、いとも簡単に潰してしまった。
 世に「Winny事件」として知られる著作権侵害事件が映画化され、今あらためて注目を浴びている。この事件は日本の刑事司法の前時代的感覚やそのお粗末さもさることながら、今世界がどのような状況で推移していて、その中で日本はどのような立場に置かれているのかといった世界観や時代感覚が丸ごと抜け落ちている日本の実態を、余すことなく反映していると言っていいだろう。
 YouTubeやFacebookのリリースに先立つ2002年、東大の研究助手でプログラマーの金子勇氏は、画期的なファイル共有ソフトWinny(ウィニー)を開発した。その洗練された技術は当時から注目を集めたが、京都府警はWinnyを使って著作権侵害を犯した2人の正犯と併せて、そのソフトを開発した金子氏をも著作権法違反幇助の疑いで逮捕、起訴してしまった。マル激ではこの問題を、一審審理中の2006年7月に、金子氏本人をゲストに招き議論している。
 当時から、誰かが包丁で人を殺したらその包丁の制作者も幇助の罪に問われるのはあり得ない、といった議論はあった。しかし、金子氏は一審でまさかの有罪判決(罰金150万円)を受けてしまった。その後、金子氏は高裁では逆転無罪を勝ち取り、最高裁でも無罪が確定した。しかしプログラムの制作者が逮捕、起訴された上に、一審ではよもやの有罪となったという事実は、日本中のプログラマーたちと、ひいては日本におけるコンピュータやインターネット技術の発展に絶望的な悪影響を与えてしまった。
 また、逮捕から最高裁判決まで7年半もの年月がかかった結果、その間、天才プログラマーの金子氏は自由にプログラミング活動ができず、当時としては画期的と言われたWinnyのアップデートをすることも許されなかった。そして金子氏は最高裁で無罪が確定してからわずか1年半後の2013年7月6日、42歳という若さで急性心筋梗塞で亡くなってしまった。33歳で突然逮捕されて以降、金子氏が自由にプログラム開発に没頭できたのは、実質半年間しかなかったのだ。
 日本のインターネットの父と言われる慶応大学の村井純教授はWinnyを「ソフトとしては10年に一度の傑作」と評した上で、「Winnyがビジネスの基盤に育っていた未来があったかもしれない」と金子氏の逮捕、起訴を残念がった。それほどWinnyの技術は当時から最先端であり、金子氏は天才的なプログラマーだった。
 Winnyは、P2P(ピア・ツー・ピア)という、一元管理の大型サーバを介さずにノード間(個人のコンピュータ間)で直接データを送受信する通信技術を用いたソフトだ。この技術は2011年にマイクロソフトに買収されるまでの先代SkypeやLINEなどでも使われているが、サーバを介していないのでサーバに情報が集中して負荷がかかるおそれがない一方、情報が分散するので検索には負荷がかかるという欠点があった。
 しかし、金子氏の開発したWinnyは、検索キーワードによるユーザーのクラスタ化を可能にしたり、検索ネットワークを階層化するなどの工夫によって、その欠点を克服していた。
 金子氏が逮捕された2004年は、インターネットの発展過程で決定的に重要な時期だった。1990年代半ばにインターネットの本格的な普及が始まり、2000年代に入ってから世界中でYouTubeやSkype、Facebook、Twitterなどの新しいサービスが次々と立ち上がったが、それはいずれも海外発であり、そのほとんどはアメリカのサービスだった。日本では世界を席巻するソフトを制作する可能性さえあった優れたプログラマーだった金子氏を逮捕、起訴までして、その芽を完全に摘んでしまった。
 そればかりか、Winny事件の弁護団事務局長で、インターネットやIT業界の動向に詳しい壇俊光弁護士氏は、金子氏の逮捕、起訴による日本の技術者への萎縮的効果は絶大で、その後、面白いフリーソフトを作る人が日本にはほとんどいなくなってしまったと嘆く。日本の司法が単なるプログラマーに過ぎなかった金子氏に刑事罰を適用しようとしたことの悪影響は本当に計り知れない。あの時、日本は国家100年の計を誤ってしまったといっても過言ではないだろう。
 しかし、どうしたわけか日本では警察、検察のみならず、一審で金子氏を有罪とした裁判所までが、金子氏を罰することに並々ならぬ強い意志を示した。また、日本の司法制度にコバンザメのようにぶら下がり御用記事を流し続けるマスメディアも、金子氏を罰するべき存在としてWinnyに対する否定的な報道を続けた。毎度のことだが、その空気感の中で行われる裁判が影響を受けないわけがない。また日本のプログラマーたちがその異様な空気感に敏感に反応するのは当然のことだった。
 元々著作権という概念は著作権者の権利を守ることが究極的な目的ではない。著作権法の第1条に明記されているように、著作権者の権利を保護することによって文化の発展に寄与することが究極的な目的だ。そこをはき違えると、まったく本末転倒な結果を生むことになりかねない。著作権を狭義に解釈し権利でガチガチに固めてしまえば、その著作物は広く利用されず、ひいては文化の発展に寄与することができないし、それでは著作権者に十分な報酬をもたらすこともできない。
 アメリカではフェアユースという概念に基づいて著作権の適用範囲に一定の幅を持たせることによって、一歩間違えば著作権侵害の巣窟になりかねなかったYouTubeやTwitterなどの新しいインターネットサービスが次々と合法的に発展した。もしWinny事件と同様に狭義の著作権をYouTubeなどに適用していたら、今日のYouTubeは存在しなかっただろうし、後に一世を風靡することになるユーチューバーなども登場する余地はなかっただろう。もちろんYouTubeの開発者も逮捕されていたに違いない。
 こんなことをやっていては、日本で技術革新など到底望めそうにない。せっかく出てきた画期的な新しい技術を、それが画期的であるが故に、司法を先頭にメディア、そしてその影響を受けた社会全体が寄ってたかって叩き、その可能性を潰してしまった。それがWinny事件の本質ではないか。日本がWinnyという新しい技術と金子勇という一人の希代の天才プログラマーの才能を活かすことができなかったという事実と、日本が四半世紀にわたりことごとく停滞を続けているという事実は、決して無関係ではないはずだ。
 われわれは今、あらためてその事実と真剣に向き合わなければならないのではないだろうか。
 金子氏の逮捕が日本のインターネットの発展に与えた悪影響は何か。なぜ日本はWinnyを活かせなかったのか。Winny事件と今の日本の現状との関係について、Winny事件の弁護団事務局長を務めた壇俊光氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

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今週の論点
・Winny事件がもたらした萎縮的効果
・何が何でも有罪にしたがる日本の刑事司法
・日本の著作権法にはフェアユースの概念がない
・いずれ外から変えられる前に、自分たちで変わらなければならない
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■ Winny事件がもたらした萎縮的効果
神保: 今日は2023年5月1日、第1152回のマル激です。今日は改めてWinny事件を取り上げたいと思います。最初に取り上げたのは17年前の2006年で、当時は単に事件としての酷さを問題にしました。今Winny事件を描いた映画が話題になっていますが、振り返ると、もろにこの事件の影響を受けた17年間を過ごしたのではないかと思います。

 今日は、事件の当事者と言っても良いような立場にいらっしゃった方にゲストとして来ていただきました。弁護士で、元Winny弁護団事務局長の壇俊光さんです。壇さんはWinny事件の被告であった金子勇さんの弁護人をされ、『Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』という本を書かれています。

 壇さんとしては、Winny事件は何だったのだと考えていますか。

壇: 刑事司法の問題点が全て出た事件だと思います。