• このエントリーをはてなブックマークに追加
湯之上隆氏:東芝粉飾問題に見るモノづくり大国日本の終焉
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

湯之上隆氏:東芝粉飾問題に見るモノづくり大国日本の終焉

2015-10-14 23:00

    マル激!メールマガジン 2015年10月14日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/
    ──────────────────────────────────────
    マル激トーク・オン・ディマンド 第756回(2015年10月10日)
    東芝粉飾問題に見るモノづくり大国日本の終焉
    ゲスト:湯之上隆氏(技術経営コンサルタント)
    ──────────────────────────────────────
     日本がモノづくり大国と呼ばれて久しい。しかし、東芝による「不正会計事件」は、モノづくり大国を支える日本の製造業の土台が、すでに過去のものとなっている実態を浮き彫りにしてしまった。かつて1970~80年代に世界を席捲した日本の製造業が、苦境に陥っている。海外の電気店では外国製品、とりわけサムスンやLGなどの韓国メーカーの商品が幅を利かせ、日本製のテレビや家電製品は隅の方で埃をかぶっている状態だという。なぜ日本の製造業はここまで凋落してしまったのだろうか。
     元日立製作所の半導体技術者で、日本の製造業の事情に詳しい、ゲストの湯之上隆氏は、今回の東芝問題の根底に、日本の製造業が直面する問題の本質が潜んでいると指摘する。東芝ほどの名門企業が粉飾に手を染めることになった背後には、社内外に向けられた歪んだ対抗意識や過剰な自負、傲慢なプライドなど様々な要素がある。しかし、更にそれを掘り下げていくと、日本の製造業に共通した重大な問題が見て取れると、湯之上氏は言う。
     それは、現場で「技術」が過剰に信奉され、それが経営にまで影響を及ぼしている問題だという。確かに日本の技術は世界でも最高水準にあり、それが70年代、80年代に日本の製造業が世界を席巻する原動力だったことはまちがいない。
     しかし、この技術に対する過信と高品質主義ゆえに、日本の製造業の現場では売れるあてもないまま不必要なほどハイスペックな製品を作り続けることが当たり前になってしまったと湯之上氏は言う。そこに、そこそこの品質で低価格な韓国や台湾など海外の製品が登場した時、日本製は必要以上に高品質、高スペックで、そして当然のこととして不必要に高価なために、売れない商品となってしまった。
     また、日本の技術信奉の背後には、日本のメーカーがマーケティングを軽視したこともあると湯之上氏は言う。その国の消費者がどのような機能を持った、どのくらいの価格の製品を求めているかを無視して、単に作る側の思い込みだけで「高品質」「高価格」な製品を作っても、売れるはずがなかったのだ。
     東芝粉飾事件が露にした日本の製造業の現場の荒廃ぶりと、その背後にあるモノづくり神話の崩壊の原因、そしてそこから脱するために日本がしなければならないことなどを、湯之上隆氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

    +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
    今週の論点
    ・不正会計を生んだ東芝の企業体質
    ・日本メーカーはなぜ凋落したか
    ・本当のイノベーションを阻害する「技術革新」という誤訳
    ・処方箋:自動車産業に見る“ピン”の人材育成
    +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

    ■不正会計を生んだ東芝の企業体質

    神保: 日本はいわゆる「モノづくり大国」などと言われて久しいのですが、それが本当なのかと思われるようなことが頻発しています。そして、もしかしたらその神話が逆にわれわれの足を引っ張っているのではないか、ということを今日は少し考えていきたい。
     入り口として、東芝の不正会計事件を扱います。東芝はもともとモノづくりで、重電の雄として代表格でした。そこであのようなことが起きた。それが単に、一企業の体質的問題からくるものなのか。実はより大きな問題があるのか――こうしたモノづくりをめぐる問題は、結構、宮台さんが好きなテーマですよね。

    宮台: そうですね。僕は1983年から86年の、東大の助手になる前にマーケット・リサーチの会社に取締役としてかかわっていました。高度成長時代は73年のオイル・クライシスぐらいまでに終わり、いわゆる資源不況の時代が続くのですが、その後、日本が80年代に入るくらいまでにはジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるくらいに盛り返した。それでアメリカでは80年代の半ばには、ホワイト・ハウスの前で日本車を打ち壊すというようなことをやっていました。従来の高度成長路線は、安くてそこそこのモノを大量に作って売るという路線だった。ところが80年代になると、それとは違うステージに入ります。例えば自動車のマーケティングにおいては、「どうすれば市場のニーズをつかむことができるか」というのが重要な依頼事項となるのです。しかし当時は、ある製品が売れても、「たまたま売れた」としか言えなかった。ですから、よく「柳の下の二匹目のドジョウを狙う」ようなこともよくやるのですが、ブランディングという観点からすると非常にかっこ悪く、買われずに大失敗ということもありました。今日出てくるであろう話は、当時からあったと思います。

    神保: ゲストをご紹介します。元日立製作所の半導体の技術者で、現在は半導体分野をはじめ技術経営に関するコンサルタントとして活動されている湯之上隆さんです。

     
    この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
    ニコニコポイントで購入

    続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

    入会して購読

    この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。