文芸春秋5月号に「自殺・財務省職員父親の手記」という記事が載っている。
「息子は改ざんを許せなかった」とあるので、これを読みたくて買った。
ところがこの記事に対して遺族が抗議しているというのだ。
この手記を父親が書いていないと言っている。
父親は文春記者に息子を亡くした思いを話したが、「手記」として載るとは聞いていなかったという。
なんだよ、それは。
インタビューに答えたものを「手記」として載せていいのかよ。
ライターが「盛って」書いてる可能性もあるから、信憑性に疑問が生まれるじゃないか。
月刊文春も週刊文春も、「手記」と題された文章の信憑性はかなり疑わしい。
「手記」の方が生々しく感じるから売れるのだろうが、「手記」じゃないものを「手記」としてまとめると、インタビューよりライターが操作できるので危険である。
最近のライターのレベルは酷くて、インタビューにせよ、対談・鼎談のまとめにせよ、すごくヘタクソで、テープ起こしのまんまだったりする。
あとで修正に手間がかかるから、わしはインタビューにも対談にもできれば応じたくない。
文章化されるときに、全然納得できないのだ。
みんな職業倫理というものを持ってないんだろうな。