第310号 2019.4.9発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第320回「佳子さまバッシングの卑しさ」
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こんにチワワ!
もくれん師匠のトンデモ見聞録を読みまして。
Y.Aマグチの「担当弁護士の書面であり、私が発言したことは一度もありません」ていう発言。
お前が言ったことを弁護士が纏めたもののはずなのに、
なんだその「自分とは関係ありません」みたいな言い草は。
担当弁護士の妄想で反訴するのか?
このことだけでも反訴状に書かれていることがデタラメということがわかる。
しかし、裁判記録に地道に目を通すもくれん探偵の執念はスゴイですなぁ。
続きも楽しみにしてます。
藤井さんはチャンネル桜の水豚社長とか経済評論家の三橋貴明などの男系固執派ともの凄く仲が良く
それ系のネット番組の常連だということ小林さんはご存知なんでしょうか。
皇室皇統に関する考えについてちゃんと聞いておかないとまずいのでは。
九州ゴー宣門下生チャンネル聞きました❗️
移民問題が主題。
僕も大いに関心があります。
ありがとうございました。
僕は福祉の仕事をしていますが、きつい、きたない、低賃金。そのとおりだ!
でもね、日本人が忌避するからって安易に介護分野に6万人を受け入れるような発想は大嫌いだ。
僕が夢に見た、望んだ仕事ではない。バブルが弾け就職浪人したら、まともに正社員で就職できなくなって困り果てて何とか就職できたのが福祉の仕事でした。
だから、意地はあります。この意地を堕落した日本人と体力さえあれば何とかなると思っている貧しい国の移民に譲り渡す気持ちは一切ない。
訂正!
九州ゴー宣門下生チャンネルは福祉の仕事には語っていますん。
福祉の仕事を悪くは言っていません!
移民について各々が語られています。
重要です!
関西ゴー宣道場も注目!
もういっそのこと山口容疑者でいいじゃない。(笑)
闘論席も拝見しました。
このところの「ゴー宣道場がなかったら安倍晋三は生前退位を潰していた」というような論調ですが、私の記憶では「退位はさせてやるけど1代限り」ということにするつもりだから何とかしないとなどと言われていたと思います。
もちろん私がこの問題を認識した時点ではですが。
有識者会議も「ギリギリ退位だけはというメンバー」という評価が道場でされており、「退位させない」という考えを安倍晋三が持っていた、ということは当時は道場では言われていなかったものと思います。
「憲法違反だ」とまでいって潰そうという勢力があったことは確かです。
「自分が認めたお言葉を否定するのか、できるわけないじゃないかそんなこと」といったような挑戦的な言葉を言われていたような気もしますが、本当に潰されるという危機感の下でおっしゃれてていたとは感じませんでした。私の危機感が希薄だったのでしょうか。
もちろん「三要件」や「女性宮家」「速やかに」といった付帯決議など、当時の状況からは驚くべき「逆転」であったことは否定しません。
正確に分析することが今後の対策に役立つのではと考えている次第です。
首相はさすがに、内閣が認めたお言葉を覆そうとは考えていなかったと思います。
当然世間の反応によってはその危険性がなかったとは言えませんが。
しかし世論の後押しもありました。それを主張していたのがゴー宣だけといっても過言ではないとは思います。
ではお言葉の発表については首相はどのように判断したのか。
何も知らなかったことはさすがにないにしても何も考えていなかったのか、あるいは本当は反対だったのだけれども仕方なかった、発表後もそうだ、というのか。
どちらかというと、根源的にはそれほど信念を持って「退位は望ましくない」と考えていたわけではなく、支持層の影響で何となく考えていただけで、周りの状況で変わり得るものだと思います。
ウダウダ書きましたが、首相が生前退位を自分の手柄にしても私は怒りませんでした。考えてみるとおかしな話だとは思いますが。
問題はどうなるかです。女性宮家を設立してくれれば、評価したいと思います。
他の様々な問題と同様、保守層を裏切って自分のレガシーにしようとすることは充分にあり得ます。良い意味でも信念がないので。
そして当然それをなし得させるのはゴー宣道場しかありません。
結局は今後の道場、皇統問題の議論に大いに期待しています。
「あれ見て、菅しゃんの方はまだ人間の良心のひとカケラくらいは残ってるのかと思いましゅた。」
これに、大いに共感!
そして、一欠片の良心も残っていない(元々持ち合わせていない)ヒトが首相であることに、愕然とします。
(毎度のことですが)かなり遅くなりましたが、今号の感想です。
○ ゴーマニズム宣言・第320回「佳子さまバッシングの卑しさ」
この手の家族関係のバッシングの記事をよむたびに不快な気分になるので、なるべくよまないようにしているのですが、嫌なことは「人の噂も七十五日」で無視すれば良い、ではすまないことはこのたびの『ゴーマニズム宣言Second』第2巻第31宣言にも書いてある「デマを軽くみてなならない」と記して通りなのでしょう。ほうっておくと、「嘘」が真実にされてしまうから。これを言うと不敬にあたるやもしれませんが、知人に同じ漢字の名前の人がいるので、よんでいて、デマを飛ばすマスコミに凄く不快な印象を抱きました。
それと、「昏い」と先生が敢えて使われているのは、「昏」の文字の上半分は元々「民」で、「民」という文字は目を針でついて見えなくする、という原義があるからなのだと推察します(かつてこの話を塾講師時代に生徒にしたところ、「なぜそんな気持ち悪い話をするんだ」と顰蹙を受けたものでしたが、事実がそうなのだからしょうがないですし、漢和辞典をひけばすぐ分かる話です)。これを言うと偏見になってしまいますが、「民」というのはめくらなところがあり、盲目の奴隷の身分でありながら、主体的にその立場を選びとったものだと開き直るところがあり、故に高貴なもの、気高い神聖なものに対して、おとしめようとし、あわよくばかわりに自分がその立場に立つことを望むものなのか、だから安倍晋三のような小物が総理大臣でいることに不平不満を抱かないのか、などということを、身の程しらずでありながらも思ってしまいました。
○ 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第122回「伊藤詩織『Black Box』裁判記録とその検証」
「Black Box」事件については著書を一通りよまないとちゃんとコメントできないと思っているので簡単にしますが、現在「事件の再現」を警察に求められて伊藤さんが非常に嫌な思いをされたとか、くだんの逮捕直前に中止され、担当刑事や検察が交替させられたというところをよんでいて、警察のデリカシーのなさを情けなく思いつつ、権力のもたらす理不尽さを感じさせられました。鮨屋の証言の箇所が、ちょうど木蘭さんのあげられている記事にあたるのでしょうか。性交渉のハードルが低いという指摘についても、恋人と同棲していたという先入観からくるものとしか感じられませんでした。『東京ラブストーリー』でも、カンチがリカに対して、「自分だって男と二人でいても何もしない時があるくせに」とぼやいていたと覚えていますが、恋愛していたら、セックスしかしないものなのでしょうか。『エヴァンゲリオン』のミサトさんみたいな例もあるかもしれませんが、人それぞれでしょう。性商売でもレイプがある、というのも、お金を貰っている「仕事」なのだから、求められているもの以上の「行為」を要求されたら拒絶するのが当たり前なのだろうと理解します。
SPA!について
堤防は小さな穴から決潰するといいますが、国際法というルールを守らないとホッブズのいう、万人の闘争する世界が招来するのだというふうに理解しました。法は人が運用するものであり、その中には温かみがあってしかるべきですが、原則は原則なのだということを忘れてはならないということなのでしょう。デマを放置すべからず、ということと同じことなのだと感じました。
つづきです。
『ゴーマニズム宣言Second』第2巻について
ますます伊藤博文の小人物性を感じさせられました。前にも記したように、高木彬光先生の『大予言者の秘密』という歴史小説をよみ、高島嘉右衛門の見込んだ大政治家という印象が強く、かつての千円札の人でもあったので、そのギャップにとまどってもいるのですが、政治家の実像って、こんなものなのでしょうか。ここにも海外出羽の守を見たような気がします。アイヌ問題・憲法問題についても、日本のある意味恵まれた歴史の幸運とともに、それ故に後進的である側面が生じ、現状の不幸を生み出している起因ともなっている皮肉さを見せつけられ、「禍福はあざなへる縄の如し」という諺が指し示す如く、物事の表裏一体さが招く弊害を考えさせられました。
『辻説法』第2巻について
みなぽんさんの出番がほとんどなくなったのが少し残念でしたが(前巻のルーズソックス姿はおかしかったです)、それ以上にりか坊さんとまる禿げよしりん、一部LGBTよしりんとの掛け合いが面白く、『ゴー宣』とは違った意味で肩凝りせずによめました。はやくかわうそよしりんの章も単行本化されて欲しいです。ちなみに、今回の朝ドラは第1回目を見逃しましたが、しっかり見ています。
『新おぼっちゃまくん』第1巻
節句孕女の回、単行本でよんでもおかしいです。柿野くんのあの恰好も、貧ぼっちゃまの背中が暑いというくだりにしても。孕女自体のキャラも非常に際立っているので、再登場をのぞみます。こども食堂の回も、人間の裏表を見たようで、興味深いです。描き下ろしの裏門が豪華というのも笑えます。なお、私は蝗は食えません。
最後に、しゃべクリについて、老婆心ながら解説しますが、エリック・クラプトンという有名なギタリスト兼歌手がイギリスにいて、デレク・アンド・ザ・ドミノスというバンドに在籍していた時代の唯一のヒットソングに「いとしのレイラ」(Layla)という曲があるのです。さびのところで、「レイラ~」と2度ほど絶唱する歌で、CMソングでも用いられていた曲だから、日本でもたくさんの人がどこかで聞いたことがあるのではないのでしょうか。
週刊新潮も購入しましたが、長くなってしまったので、また改めて。女性自身は買っていないです。
それでは次号を期待します。
もう少しだけ記します。
高森先生がイルカさんのことを取り上げられていたことに感謝します。私の好きな歌手に沢田聖子(さわだ しょうこ)さんという方がいて、その師匠筋にあたるのがイルカさんだからです。イルカさんと陛下の思わぬ接点を知り、感銘を受けました。
それと皿うどんさんへ、どうも有難うございます。毎回自分のアイデアの貧困さに苦しみつつ、投稿しているので、嬉しいです。