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第419号 2021.12.14発行

「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)

【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…新型コロナウイルスワクチン接種後の副反応疑い死亡者数は、厚労省に報告が上がっているだけでも1387人にも上る。それにも拘わらず、国はなおも子供への接種を広げようとしている。もしもこれが食品の中毒事件だったらどうだろう。即座に出荷停止、回収となるはずではないか?そう思ったところで、ふと「森永ヒ素ミルク中毒事件」が頭に浮かんだ。政府・専門家・医師会・マスコミが、大企業に忖度して握り潰そうとした「森永ヒ素ミルク中毒事件」。詳細を追っていくと、新コロワクチンを巡る一連の流れと非常に似ているのだ。
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は、2017年に37歳で同国史上最年少の女性首相として就任し、以来、世界的に注目されている女性だ。しかし、新型コロナに対して、ニュージーランドは日本よりもさらに被害が少なく穏やかに済んでいたはずだが、アーダーン首相によって、実態にまったく見合わない強力すぎる政策をとることになってしまった。現在、アーダーン首相はすさまじい独裁ぶりを発揮し、ニュージーランドはとてつもない全体主義国家と化しているのだ!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!そもそも人権や民主主義って日本人に合う価値観なの?なぜ巨大製薬会社が国家の上にあるような状況になってしまった?コロナ脳+新コロワクチン脳になってしまった飲食店は、もう見限って行くべきではない?教科書や本に落書きした経験はある?コミケが政府に協力してイベント参加条件にワクチン接種証明を入れたことをどう思う?…等々、よしりんの回答や如何に!?


【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第446回「森永ヒ素ミルク事件 前編」
2. しゃべらせてクリ!・第375回「あたくしゅ茶魔美! 沙麻代ちゃんとのガールズトークでしゅ!の巻【前編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第240回「NZ・アーダーン首相に見る、言論統制と民主主義破壊への道」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記




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第446回「森永ヒ素ミルク事件 前編」

 新型コロナウイルスワクチン接種後の副反応疑い死亡者数は、厚労省に報告が上がっているだけでも1387人にも上る。中でも、子供はコロナでは一人も死んでいないのに、ワクチンで死者が出ているのは重大問題だ。
 それなのに国は、なおも子供への接種を広げようとしている。

 もしもこれが食品の中毒事件だったらどうだろう。即座に出荷停止、回収となるはずではないか?
 そう思ったところで、ふと「森永ヒ素ミルク中毒事件」が頭に浮かんだ。
 大勢の子供が犠牲になった事件でもあるし、薬害エイズや新コロワクチンにも通じるものがあるかもしれない。
 ところがこの事件、その名は知っているものの、どういうわけだか、その詳細はよく知らない。
 昭和30年(1955)の事件だから、昭和28年生まれのわしとほぼ同世代の人が被害者になったわけだが、その割にはなぜか詳しいことは知らないままだった。
 そこでこの機会に知っておこうと思い、調べてみた。

 昭和30年の6月末頃から、西日本一帯の赤ちゃんに原因不明の奇病が流行った。その症状は、それまで元気だった赤ちゃんに発熱や下痢が続き、飲んだミルクを度々吐き、全身各所の皮膚が黒く変色し、腹が膨れてくるというものだった。
 病気の赤ちゃんには全員に共通点があった。森永乳業の缶入り粉ミルク「森永ドライミルク」を飲んでいたのだ。
 このことは8月初旬には判明していたが公表されず、森永ミルクの飲用中止が呼びかけられることもなかった。
 そしてその公表は、森永ミルクからヒ素が検出されて原因が確定した8月24日まで延ばされ、その間も被害は拡大し続けた。
 8月24日の新聞各紙はこの件を大きく報じたが、その見出しには「森永」の文字はなく、記事を読んでいかないと原因がわからないようになっていた。
 みんな、巨大企業・森永に忖度したのだ。

 森永乳業は新聞・雑誌・ラジオ、そして開局間もないテレビで積極的にCMを打ち、さらに「赤ちゃんコンクール」を開催して大きな効果を上げ、急速に売上げを拡大。当時は粉ミルク全国シェアの50%以上を占めていた。
 森永は「母親の愛情」と自らの企業イメージを結びつけるプロモーションを積み重ねており、その製品を疑う者はいなかった。
 だが製品の実情は、宣伝とはかけ離れたものだった。
 原料の牛乳が新鮮なら問題はないが、劣化した牛乳を粉ミルクに加工すると水に溶けにくくなるため、「安定剤」を添加して溶けやすくする必要がある。
 森永は急激にシェアを伸ばして大増産を迫られ、工場から遠く離れた酪農家からも原料乳を仕入れていた。当時は保冷設備のついたタンクローリーがなく、輸送中に品質は劣化した。そうして腐敗寸前の牛乳まで使用することになり、安定剤は必要不可欠となった。そして問題は、この「安定剤」だった。

 ヒ素が入っていたのは徳島工場(製造所コード・MF)で製造された通称「MF缶」だけで、ヒ素は徳島工場に納入された安定剤・第二リン酸ソーダに混入していた。
 第二リン酸ソーダ自体は現在でも使用される食品添加物だが、徳島工場が使用したのはなんと純度の低い「工業用」だった。
 しかもそれは、メーカーが国鉄(当時)に「機関車のボイラー洗浄用」として納入したが、ヒ素が混じっているとして返品されたものだった。
 ところがこれが再出荷され、いくつかの企業を経由して、最終的に森永乳業徳島工場に行き着き、安全検査もされずに粉ミルクに使用されたのだ。
 後の裁判で森永側は、「第二リン酸ソーダにヒ素が入っていたとは知らなかった。納入業者に騙された。森永も被害者だ」と抗弁した。
 これに対して納入業者は、「森永は用途を話さず、秘密にしたがった。もし食品用と聞いていたら、それ相当のものを納入した」と反論した。

 ヒ素ミルクの患者数は約1万2300人、死亡者は130人にも上った。
 長女が生後2か月でヒ素中毒を発症した岡崎哲夫氏は「被災者同盟」を結成し、被害児の親たちを集めて森永乳業らと交渉を開始した。
 当時岡崎氏は小さな化粧品店を営んでいたが、岡崎氏は被災者同盟の活動に、夫人は娘の看病に追われ、「被災者同盟事務所」の看板がかかった店にはマスコミや被災者が出入りして「変な店」「アカの店」と噂され、経営は傾いた。
 しかもそこに、厚生省(当時)が介入してきた。
 当時は産業育成政策や高度経済成長が最優先される時代であり、国は完全に森永乳業の側についていた。
 厚生省は日本医師会に依頼してヒ素ミルク被害の診断・治療方針に携わる委員会を設置した。その会長に就任したのは大阪大学名誉教授・西沢義人という人物だが、これがどんな人だったかは、以下の発言を引くだけで十分だろう。