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記事 7件
  • 「ニコニコ同窓会」というライブを見に行ってきました。感想。

    2017-09-17 09:54  
    「この10年のお話」というエッセイを書いている僕ですがちょっと間に挟ませていただきますね。昨日、吉祥寺のクラブシータにて行われていた「ニコニコ同窓会」(略してニコ同)を見に行ってきました。いろんな方がこのブログを見てくださると思っているので単なる思い出話にはせずに、思ったことを書いていこうと思います。僕の今の活動は、ちょうどその10年前から始まっていました。チャンネル会員さん向けのエッセイでものすごく詳しく書いていますがはしょってお話すると「一人のホテルで働いている男が、ある日ニコ動を見つけた事で投稿欲が湧いてきて、投稿した所不思議な世界に投げ込まれた」という話です。まぁ、僕なんですけどね。あの時の僕達、みーんな「ライブをやりたい」って気持ちがあってでもそれはなかなか出来なかった。誰も作ったこともないし、ましてやお金が絡むことをネット上でやりとりするわけにもいかないしあとは、さんざん叩かれ
  • 事務員Gの10年のおはなし。第14話

    2017-09-03 12:27  
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    2010年になって、公開生放送をすることが増えた。公開生放送というのは、スタジオを借りて演奏をしつつ少しだけお客さんに入って頂く と言うものだ。まだやはりいろいろゆるい。「仲間に会いに行く」は相変わらず続けていて、ベースのH.J.Freaks さんの居る韓国に、ベースの色白さんと旅行に行くなどしたり、休みはすべて東京に出ていっているのは変わらない。新年が明けて、やはりいろいろ考え込む。「 こうしたい 」という気持ちとはちょっと違って「 どうしたい? 」と問いかけてる気持ちが続いてる感じ。でも、自分の中で「どうしたい?」と自問しているということは「何かを変えなきゃいけない」と思っていることだと思う。ちゃんと生きていけるのか心配だったがちゃんと生きていなかったあの頃の自分よりはマシだった。だって今は「やりたいこと」があるんだから。 

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  • 事務員Gの10年のおはなし。第13話

    2017-09-02 15:37  
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    2009年6月20日。名古屋でセッションオフ(※)があるというので、行く。名古屋に行くのはまだ人生で2回目だったのだがタブクリア店長とはもう何度か一緒に演奏をしていたのでそのツテに行ったと思う。 (※)セッションオフ… 奏者が楽器を持ち寄って好きなように弾きあう遊び自転車で来た子が居て「最近◯◯の動画で伸びた人です」と紹介された。あいにく、ここ数週間はニコ動も見ていなかったので「ごめんなさい、わからないんだけど、でも帰ったら必ず見ますね!」と約束する。名前の由来を聞くと「ポケモンの、マグマラシからです」と答える。そうかあ、そのポケモンの世代は僕の次の世代だなぁというような話をした。大学生の、まらしぃ君だった。その後、7月4日にまらしぃ君が東京に来るというので迎えに行く。「泊まる場所がない」というので、実家に車で連れて行って寝るだけ寝て、朝はやくに東京に戻っていった。この夏頃から、本格的にCDを作り始めることが多くなっていった。「CDを作ると叩かれる」という気持ちも「叩くなら叩け」と思うようになったしむしろCDを作る事が普通になってきたのでアンチも減っていった。(ただし、以前の件についての炎上の煙は昇っているまま)確か、その8月に名古屋で「まらさーと」という、まらしぃ君初のコンサートが開かれたのだが、促されるままに応援の意味も込めて登壇するもやはり「お前は舞台に昇るな」という意見は来た。辛かった。 

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  • 事務員Gの10年のおはなし。第12話

    2017-09-02 14:49  
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    僕は彼と会った最後のときに「俺は、意地でも残ってみせる。そして、次に絶対また君に会うって約束する。それまでは続ける。」と言った。2009年5月31日彼は事実を認めて謝罪した。それでもやはり毎日のように会社へのFAXや電話は止まらない。寝不足で出勤しては、車の中で寝た。帰れるほどの体力は無かった。 

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  • 事務員Gの10年のおはなし。第11話

    2017-09-02 13:53  
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    先に話したNack5(埼玉のラジオ局)の担当者さんとはよくいろんなビジョンを話しした。例えば、もっと大きな、フェスのようなものをやっても面白いのではないか。フードコートや、ライブ会場、物販… いろんなものを総合したものを。(いまで言えば、超会議のようなもの)これは一度制作を始めたのだが、超会議が始まることもあり競合になると勝ち目はないと判断して、制作半ばで泣く泣く取り下げた。その流れの中で、歌い手のピコという子が関西にいてなかなかの可能性を感じたのでちょっとプッシュしてみてほしいと頼む。それなら所属会社を決めて、レコード会社も決めて、デビューに持っていこうと考え始める。何度か埼玉に来てもらってラジオに出演してもらったりした。(そういえば、その送り迎えの高速道路で車がパンクしたこともあったな…あの時はお金がなさすぎてタイヤも買えなかった) 

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  • 事務員Gの10年のおはなし。第10話

    2017-09-02 12:38  
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    札幌には、社長、Re:、事務員G、サリヤ人、スタッフのS女史と同じくスタッフのM氏とで向かう。現地のゲストとして”のど飴”さんが居て、のど飴さんとは現地で待ち合わせをした。当時「ランティス組曲」というCDがあって、これが歴史的なCDだった。ドワンゴが主導した企画で、その当時の大人気の歌い手を一同に集めきちんとしたレコーディングをして販売する という「いままでやっちゃだめだったこと」を胴元の企業がやったのだからこれは驚きだった。このCDの存在によって「あ、それOKなんですか」という企業が軒並み歌い手のCD化に手を挙げはじめる。 

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  • 事務員Gの10年のおはなし。第9話

    2017-09-01 16:49  
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    2008年8月23日。ついに「ニコニコサマーライブ」が開催された。通称「ニコサマ」。たくさんの歌い手さんや奏者さんが出て、それはそれは盛り上がった。「インターネットで活動している人が集まってライブをやる」といういまでは当たり前みたいな文化の、幕がついに開いたような音がした。と、同時にこのイベントに来てくれた人たちの顔を見て僕はこういう事がしたかったんじゃないのかな と思った。「将来の目標はなんですか」と聞かれても、ずっと答えられない自分。でも、もしかしたら「こういうことをしていきたい」っていう漠然な思いみたいなものは確実に心のなかにあったのでしいて「将来の目標は」と聞かれた時に答えるならば「自分もお客さんも一緒に楽しい場所を自分で作り続けたい」と言うのかもしれない。 

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