「町中華」における自分なりのプロ客(通称”客A”)作法とは。
2018/04/22(日) 12:44
”プロ客”というのは造語である。
これについては説明が必要だが
常々僕は『客として店に行ったからには
店はプロであるべき。そして客もプロであるべきだ。』と考えている。
”プロ客”は、いかにして「客として、店側の考える”日常”に馴染むか」
というのを研究している。
もっと言うと「いい客だな」とも思わせない「ただの客」。
頑固な店主に「あいよ」と言わせるだけの客。
奇をてらわず、店主が用意したこのテレビドラマにおける
”客A”、”客B”、になりきるのだ。
”日常”というドラマを崩壊させないように。
ここで「町中華」における”プロ客”とはなんなのか、という
独自の研究結果をお話したい。
「町中華」の定義は以下の通りだ。
昭和以前から営業し、気楽に入れて1000円以内で満腹になれる庶民的な中華店。
単品料理主体や、ラーメンなどに特化した専門店と異なり、麺類、飯類、定食など
多彩な味を提供する。大規模チェーン店と違ってマニュアルは存在せず、
店主の人柄や味の傾向もはっきりあらわれる。(立東舎/「町中華とはなんだ」より抜粋)
言われてみればところどころで見かける「あの」中華料理屋のことだ。
大手のファミレスでもなければ、ラーメン屋でもない。
地方にたまにある、自動ドアの先に大きな壺が置いてあって
チャイナ服のお姉さんが出迎えてくれる”背伸びした中華料理屋”とも違う。
名前がハゲかけたビニールのひさし、すりガラスの引き戸、
赤いテーブルと謎の模様の床。ラー油はS&Bので、出し口が微妙に詰まっている。
そんなありふれた「町中華」で、”客A”になるのには事前の準備が伴う。
準備とは「その日を一日休みにする」というものだ。
客Aになるためには、このくらいの覚悟が必要だと思う。
狙う時間は昼過ぎ。
12時〜13時という、ランチタイムの戦場を抜けたあたり。
客もまばらになり、出前も落ち着いたころ。
13時半くらいがベストであろう。おもむろに入店する。
この際「こんにちはー」等の声は発さない。
なるべく目立たずにコトを始めなくてはいけないからだ。
「こんにちはー」等と、あえて自分に注目させるのは
まだ「ちょっと目立ちたい感」が残ってる。
役者としては野暮なわけ。
店主は、忙しかった時間もおちつき、つかの間の休息。
空いている席に座り、新聞を読んでいる。
「お、客か。せっかく新聞を広げたのにナ」などと思っている所で
僕は「瓶ビールとザーサイ」と注文を入れる。
この「瓶ビールとザーサイ」というチョイスは
「ご主人は、もう少し休んでてくださいね」というプロ客からの合図なのだ。
おかみさんだけで事が足りる選定なのである。
そして、ここで「瓶ビール」と敢えて生ビールと区別して発言しているのにもワケがある。
単に「ビールを」と言ってしまうと「ビンにしますか、生にしますか」などと訊かれる。
お手間を取らせてしまっているわけだ。
そして瓶ビールを選んだ理由は「おかみさんが楽だから」でもあるし
町中華の赤いテーブルにはやはり”瓶ビール”が似合うという所でもある。
なれた手つきで瓶ビールの王冠を栓抜きで抜いて、おかみさんが持ってくる。
「暑くなってきたわね」などと声をかけられても浮かれてはいけない。
「そっすね」くらいの相槌にとどめ、ビールを注ぎ、飲む。
自分が”客A”であることを忘れてはいけないのだ。
ふと上を見上げると、年季の入ったテレビからは
ワイドショーが流れている。
やれ「どっかの政治家がこんなこと言った」とか「支持率が〜」とか
一般庶民には毒にも薬にもならないようなニュースが垂れ流されているが
そのテレビは、情報を仕入れるために見ているのではなく
ビールのつまみとしての、BGMとしての価値とみなす事が重要だ。
”客A”として、入店前に、昼の閉店時間を把握しておくことも重要である。
「そろそろ帰ってくれないかな」などと思わせてはいけないのだ。
この店のラストオーダーが14時半で、閉店が15時だとしよう。
その場合、14:15くらいに「最後っぽいオーダー」をしておくと
店主は『今日の休憩時間は少ないな』とは思わない気がする。
それらを踏まえた、昼の仕事としては最後になる、”客A”からの注文が入る。
「すみません、チャーハンで」
店主からの小声の「はい」が聞こえたらOK。
これ以上はなにも触れない。
「本日のおすすめ!ホイコーローと半ラーメンのセット(スープ付き) 850円」
という、魅力的なメニューがあるが、これは敢えて注文しない。
「本日のおすすめ」と書かれた商品は、確かに値段がお手頃で品数も多く魅力的なのだが
「おかみさんの介在によって成り立つ商品である」ことが多いのだ。
すでに夜の営業の事を考えているであろうおかみさんに
スープをよそっていただいたり、漬物を冷蔵庫から出させたりはさせたくない。
静かに「…チャーハン」。
これでいい。
やがて、中華鍋と中華おたまのカンカンカンという音が店内に鳴り響く。
ビールは2本めになり、町中華という舞台における残り20分くらいの所か。
テレビからは相変わらず、テリー伊藤やデーブスペクターが
何かに対して持論を展開しているようだ。
やがて「上がったよ」を意味する最後のカーンという音が鳴り、
チャーハンが運ばれてくる。
開店してこれまで35年。
幾度と作ってきたであろう「チャーハン」。
何の変哲もない見た目の、あの「チャーハン」。
どこで何を入れるか…というのは店主の体が覚えている。
店主がストレスフリーに作れる商品。それが「チャーハン」。
この注文こそが、その店に向けた「最大限の尊(たっと)び」なのである。
白磁に赤線の、多角形のチャーハン皿。
最後の米粒が取りにくい、あのレンゲ。
奇をてらわない具材。
強い火力で一気に炒めあげるのは家庭では出来ない。
シンプルだからこそ食べ飽きない。
その店のシグネチャーモデルとでも言うべき一品を頂戴するのが
”客A”としての仕事なのだ。
うまい。
口に残った最後のチャーハンの米粒を、1杯だけ残しておいたビールで流し込み
お会計をお願いする。
時間は14時半を少し過ぎた所であり、営業中の看板がひっくり返された直後が
「わざわざ呼び寄せた感」を作らないためにも好ましい。
無論、事前に1万円札などは崩してある。
「ありがとうございました〜」の声にも、振り返らない。
最後まで「空気のような客」であることを
ほろよいでも忘れてはいけないと思う。
外に出ると、今日は早上がりなのか学生の帰宅が目立つ。
吐息に少しビールの香りが付いているが
「昼過ぎのお仕事、ご苦労様です」という、スーツ姿のサラリーマンに対しての
心の中だけの自慢である。(これを言うために、その日は休みにしておく必要がある。)
遠くから、選挙カーの声が聴こえる。
おばあさんが買い物のカートを押している。
(これらの人間も全てエキストラだと考える)
そんな”日常”な、とある中華料理屋のインサート映像。
固定された外観映像から歩いて抜け出し、自分自身が映像から出た瞬間
”客A”の仕事は終わりだ。
監督の「カット!OK!」の声。
長くなったがこれが僕の考える ”プロの客” である。
これについては説明が必要だが
常々僕は『客として店に行ったからには
店はプロであるべき。そして客もプロであるべきだ。』と考えている。
”プロ客”は、いかにして「客として、店側の考える”日常”に馴染むか」
というのを研究している。
もっと言うと「いい客だな」とも思わせない「ただの客」。
頑固な店主に「あいよ」と言わせるだけの客。
奇をてらわず、店主が用意したこのテレビドラマにおける
”客A”、”客B”、になりきるのだ。
”日常”というドラマを崩壊させないように。
ここで「町中華」における”プロ客”とはなんなのか、という
独自の研究結果をお話したい。
「町中華」の定義は以下の通りだ。
昭和以前から営業し、気楽に入れて1000円以内で満腹になれる庶民的な中華店。
単品料理主体や、ラーメンなどに特化した専門店と異なり、麺類、飯類、定食など
多彩な味を提供する。大規模チェーン店と違ってマニュアルは存在せず、
店主の人柄や味の傾向もはっきりあらわれる。(立東舎/「町中華とはなんだ」より抜粋)
言われてみればところどころで見かける「あの」中華料理屋のことだ。
大手のファミレスでもなければ、ラーメン屋でもない。
地方にたまにある、自動ドアの先に大きな壺が置いてあって
チャイナ服のお姉さんが出迎えてくれる”背伸びした中華料理屋”とも違う。
名前がハゲかけたビニールのひさし、すりガラスの引き戸、
赤いテーブルと謎の模様の床。ラー油はS&Bので、出し口が微妙に詰まっている。
そんなありふれた「町中華」で、”客A”になるのには事前の準備が伴う。
準備とは「その日を一日休みにする」というものだ。
客Aになるためには、このくらいの覚悟が必要だと思う。
狙う時間は昼過ぎ。
12時〜13時という、ランチタイムの戦場を抜けたあたり。
客もまばらになり、出前も落ち着いたころ。
13時半くらいがベストであろう。おもむろに入店する。
この際「こんにちはー」等の声は発さない。
なるべく目立たずにコトを始めなくてはいけないからだ。
「こんにちはー」等と、あえて自分に注目させるのは
まだ「ちょっと目立ちたい感」が残ってる。
役者としては野暮なわけ。
店主は、忙しかった時間もおちつき、つかの間の休息。
空いている席に座り、新聞を読んでいる。
「お、客か。せっかく新聞を広げたのにナ」などと思っている所で
僕は「瓶ビールとザーサイ」と注文を入れる。
この「瓶ビールとザーサイ」というチョイスは
「ご主人は、もう少し休んでてくださいね」というプロ客からの合図なのだ。
おかみさんだけで事が足りる選定なのである。
そして、ここで「瓶ビール」と敢えて生ビールと区別して発言しているのにもワケがある。
単に「ビールを」と言ってしまうと「ビンにしますか、生にしますか」などと訊かれる。
お手間を取らせてしまっているわけだ。
そして瓶ビールを選んだ理由は「おかみさんが楽だから」でもあるし
町中華の赤いテーブルにはやはり”瓶ビール”が似合うという所でもある。
なれた手つきで瓶ビールの王冠を栓抜きで抜いて、おかみさんが持ってくる。
「暑くなってきたわね」などと声をかけられても浮かれてはいけない。
「そっすね」くらいの相槌にとどめ、ビールを注ぎ、飲む。
自分が”客A”であることを忘れてはいけないのだ。
ふと上を見上げると、年季の入ったテレビからは
ワイドショーが流れている。
やれ「どっかの政治家がこんなこと言った」とか「支持率が〜」とか
一般庶民には毒にも薬にもならないようなニュースが垂れ流されているが
そのテレビは、情報を仕入れるために見ているのではなく
ビールのつまみとしての、BGMとしての価値とみなす事が重要だ。
”客A”として、入店前に、昼の閉店時間を把握しておくことも重要である。
「そろそろ帰ってくれないかな」などと思わせてはいけないのだ。
この店のラストオーダーが14時半で、閉店が15時だとしよう。
その場合、14:15くらいに「最後っぽいオーダー」をしておくと
店主は『今日の休憩時間は少ないな』とは思わない気がする。
それらを踏まえた、昼の仕事としては最後になる、”客A”からの注文が入る。
「すみません、チャーハンで」
店主からの小声の「はい」が聞こえたらOK。
これ以上はなにも触れない。
「本日のおすすめ!ホイコーローと半ラーメンのセット(スープ付き) 850円」
という、魅力的なメニューがあるが、これは敢えて注文しない。
「本日のおすすめ」と書かれた商品は、確かに値段がお手頃で品数も多く魅力的なのだが
「おかみさんの介在によって成り立つ商品である」ことが多いのだ。
すでに夜の営業の事を考えているであろうおかみさんに
スープをよそっていただいたり、漬物を冷蔵庫から出させたりはさせたくない。
静かに「…チャーハン」。
これでいい。
やがて、中華鍋と中華おたまのカンカンカンという音が店内に鳴り響く。
ビールは2本めになり、町中華という舞台における残り20分くらいの所か。
テレビからは相変わらず、テリー伊藤やデーブスペクターが
何かに対して持論を展開しているようだ。
やがて「上がったよ」を意味する最後のカーンという音が鳴り、
チャーハンが運ばれてくる。
開店してこれまで35年。
幾度と作ってきたであろう「チャーハン」。
何の変哲もない見た目の、あの「チャーハン」。
どこで何を入れるか…というのは店主の体が覚えている。
店主がストレスフリーに作れる商品。それが「チャーハン」。
この注文こそが、その店に向けた「最大限の尊(たっと)び」なのである。
白磁に赤線の、多角形のチャーハン皿。
最後の米粒が取りにくい、あのレンゲ。
奇をてらわない具材。
強い火力で一気に炒めあげるのは家庭では出来ない。
シンプルだからこそ食べ飽きない。
その店のシグネチャーモデルとでも言うべき一品を頂戴するのが
”客A”としての仕事なのだ。
うまい。
口に残った最後のチャーハンの米粒を、1杯だけ残しておいたビールで流し込み
お会計をお願いする。
時間は14時半を少し過ぎた所であり、営業中の看板がひっくり返された直後が
「わざわざ呼び寄せた感」を作らないためにも好ましい。
無論、事前に1万円札などは崩してある。
「ありがとうございました〜」の声にも、振り返らない。
最後まで「空気のような客」であることを
ほろよいでも忘れてはいけないと思う。
外に出ると、今日は早上がりなのか学生の帰宅が目立つ。
吐息に少しビールの香りが付いているが
「昼過ぎのお仕事、ご苦労様です」という、スーツ姿のサラリーマンに対しての
心の中だけの自慢である。(これを言うために、その日は休みにしておく必要がある。)
遠くから、選挙カーの声が聴こえる。
おばあさんが買い物のカートを押している。
(これらの人間も全てエキストラだと考える)
そんな”日常”な、とある中華料理屋のインサート映像。
固定された外観映像から歩いて抜け出し、自分自身が映像から出た瞬間
”客A”の仕事は終わりだ。
監督の「カット!OK!」の声。
長くなったがこれが僕の考える ”プロの客” である。
「ボカロP同創会」に行ってきたはなし。
2018/04/19(木) 12:31
またやってしまった。
最近、この手の失敗が多い。
「18時受付開始」のはずなのに、脳内で反芻している間に
「18時開始ってことは、17時受付開始だな」と勝手に考えてしまうクセ。
そのお陰でどうも、1時間ほど次の現場周辺で暇をつぶすハメになることが多々。
「めっちゃ楽しみにしてた人」みたいに見えるのもアレなので
40分ほど近所の喫茶店(そういえばこの店も先日みきとさんと来たな…などと思いつつ)で
アイスティーを飲みながら時間を潰し、会場に来てみた。
「まさか18時受付開始で時間早々に来るのは自分だけだろう」と思っていたら
受付スタッフが「みんな来るの早すぎ」と焦っている。
中を覗くとすでに懐かしい面々が談笑している。
「なんだ、みんな来るの早かったのか」とほっとする。
===
昨日は「ボカロP同創会」と銘打たれた飲み会に参加してきた。
buzzG、みきとPが幹事となり「ボカロPを集めて飲む」という
至極シンプルな内容の飲み会である。
実のことを言うと”この手の飲み会”に関しては
一昔前までは良く僕自身が企画していたのだが、ある時を境にしなくなった。
なんというか、その当時のボカロPは「ちょっとした共闘組」とでも言うべきか
スクラムを組んで「ボカロ?なんですか?」的な勢力に立ち向かっている様な
時代だった(と少なくとも僕は思っていた)のだが、
そんな時代も変わってきたと感じたのが理由なのかもしれない。
以前から個人的にみきとPとbuzzGと飲んでいると、たしかに
「飲み会多かったよな〜」という話になりやすい。
さて。
そういうのを企画しなくなって早5年。
「久しぶりに飲もう」的な話が湧き上がったと、ある日電話が来た。
幹事はbuzzGとみきとPなのだが、その周りにいわゆる関係者が複数名いて
僕の動画やイベントでも主に音周りを担当してくれている人や、
その他、ボカロ文化を一つの文化にしよう大作戦的な時代に獅子奮迅の
立ち回りをした人物数名が実行委員にまわって下さった。
彼らはいわゆる「レコード会社さん」と言われる人なのだが
世代も近い事もあり、ボカロPと並走して時代を作ってくださったと言っても
過言ではない。対仕事の関係値とは別のものがある、いわば、仲間である。
「さすがに、この10年で連絡が取れなくなった人も居るので…」と言うので
あらゆる人にあらゆる方法を使って連絡を取る
そんな役回りでほんの少しだけお手伝いさせて頂いた。
古い携帯電話を発掘して電話番号を調べたり、LINEでウン年ぶりに連絡をしてみたら
最後の履歴が5年前だったり…と、こういう連絡作業をしている間にも
「なんだかすごいものになりそうだ」と思っていた。
そもそも、僕はボカロPではないのですが
この貴重な機会に思い出してくださったことに感謝しています。
(文体的にちょっと偉そうなのでここだけ変えました笑↑)
物理的な距離で参加できなかった方、
どうしても用事があって参加できなかった方、
”真性のひきこもり”なので辞退された方など諸々の理由で
名前を連ねられなかった方もおられるが
それにしても100人を超える参加者が集まったのはすごい。
「当日参加はしていたが『諸般の事由』で名前を明記できない方」もおられる。
これに関しては「旗(各自がサインを入れて思い出にする用)に名前があった方」の
話しかしないが、刑事訴追の恐れがあるので事情はお察しいただきたい。
(念のため言っておきますが冗談です…笑)
<覚書も兼ねて、自分のことばかり話してしまうがお許しの程を。>
都内某所のバル。
フロアはL字型になっており、大きく分けて2つのスペースに分かれていた。
一番奥は荷物置き場。
入店早速「10年選手の集まり」を見つける。
そこからの話しは「◯◯年ぶり、□□□(イベント名など)以来ですね」ばかり。
よくまぁ覚えているものだ。
キャプミラさんの「鰻屋さんで串の鰻を食べた以来」とか
tokuさんの「羽田空港でばったり会った以来」、
花束Pさんの「6年前、お花見の帰りに電車で話した以来」、
流星P(みなとP)は「新宿のしゃぶしゃぶ屋以来」、
悪丿Pさんに至っては「多分ボマスの時に挨拶した以来」などと
記憶をたどる作業ばかりだったので頭がクラクラしてきた。
ナノウさんは「ウチに遊びに来てくださった以来」
halyosyさんは「某D社のロビーでばったり会った以来」
ナナホシさんは「大阪のライブでご一緒した以来」、
西沢さん、10日P、はりーさんは
おそらくコミケでの挨拶が最後だろう。
大柴広己さんとは初めてお会いしたが
「先日ワケあって『さよならミッドナイト』の楽譜を書いたんですよ」
とお話する。(その後はなにやら40mPと話し込んでいた)
ひとしずくPさんとも「soundless voice」の採譜に苦労した話をした。
そんな中、「丸10年ぶり」の人が居た。
ryoさんである。
supercellのryoさんは、2008年5月に作った
初の主催ライブ「事務員Gの音楽寅さん」にゲストとして
出演してくださって以来お会いしていなかった。
時は流れて2018年の4月。ついに丸10年ぶりに挨拶できたのである。
「こういう飲み会2回目なんですよ。
1回目が事務員さんの。2回目がこれです。」と仰る。その間、10年。
IKKOさんなら迷わず「まぼろし〜」と言うだろう。
40mPが現れるが、自分の中でレアキャラではないのでほっておく。
会場のすぐ横にある居酒屋が個室で使い勝手がよく
たびたび打ち合わせに使っていたので「40サンの席はそっち(隣の店)です」と
冗談を言う。
電ポルPに「唯一歌ってUPした動画が『独りんぼエンヴィー』である」旨の
話をしてご挨拶。「桑田さんの!笑」と言ってくださった。
モゲラッタさん、ヤマコさんら、絵師の方とも
ハニワ関連の話しなどでご挨拶。
はるまきごはん君が現れたので、例の話をして茶化す。
途中疲れたので、kemu君の席で一定時間休む。
横を見ると鬱P、アゴアニキ、梨本ういさんなどが集まっていた。
まふまふ君は最初は居場所を見つけようとウロウロしていたが
kemu君やneruさんのあたりで落ち着いたようだ。
(途中Neruさんに「Neruです!」と声をかけて頂いた時、
周りが騒がしくて「……何飲んでるんです?」と聞こえてしまい
一瞬戸惑ってしまったことをお詫び申し上げたい…)
会も終わりごろになると、[検閲されました]君はワインボトルを片手に
[検閲されました]さんに「飲め〜!」と煽られつつ[検閲されました]しており
挙句の果てには[検閲されました]で[検閲されました]てしまったので
週刊なんちゃらの地下鉄の中吊り広告を飾ってしまう前に
新型の東京無線に押し込んだ。
良い笑い話である。(この二人は初対面だそうだ…笑)
押し込む際[検閲されました]君は「あいつにやられた〜!」等と
相当悔しがっており、相手の[検閲されました]さんは
タクシーに向かって大笑いしながら中指を立てていた。
別席ではミックスエンジニア軍団が集まっていたので
「もうもはやtomさんやyasuさんはラーメンの話しのイメージ」
…と新しいラーメン屋情報を引き出す約束をする。
同時に、この会にどうしても参加できなかった
椎名もたさんと、samfreeさんの事を思い出すなど。
うん、書ききれない…!
途中からは「◯◯さんってどこに居ます?」と聞かれて連れていく係みたいに
なっていたが新旧織り交ざったこの店内のカオスっぷりは何なのか。
総じて思ったことは
「この10年が、陸続きだった」と再認識した、ということ。
ボカロが登場して、広まって、いろんな事があったが
その思い出一つ一つは単品でも、ずらーっと並べたら
今目の前にある「この会場」の様になるのかな。と思う。
ボカロ暗中模索の時代から、CD化の時代へ。
一つのジャンルとして確立、認識されていった。
商業作家になっていった人も
趣味で楽しんでいる人もいるが
ここにいる人はみんな空想世界の中の人では無く。
「あなたの作品を聴いてボカロを始めました」の連鎖が
所々で沸き起こっている。
作品の向こうに多分居るはずの”曲を作った人”が集まっている事が
なんだかすごく面白くて、不思議な気分になりながら眺めていた。
======
幹事・実行委員の皆さま。
改めて、この会を企画してくださってありがとうございます。
そしてまた是非、いつかどこかで企画していただきたいです。
僕にとってのまさに「同窓会」。
ずっと続きますように。
<おまけ>
二次会が終わって「三々五々!」という声が聞こえたので
解散するためにエレベーターで1Fへ。
(しかし残った人たちでそこで三次会をしてたらしい…笑)
その後、まふまふ君とkemu君と他数名が
「込み入った話をしたいので事務員さんちに行きたい」と言い出したので
タクシー2台でウチに来て、結局5時くらいまで飲んで帰っていった。
眠さで死ぬかと思った。…のだが、建設的な話ができたとおもう。
普段は多忙でなかなか話す機会のない数名が
襟元を開いて音楽論を展開する様子を見て
「同創会の副産物」だなぁと思う。
僕は、そのうしろで貝のお味噌汁を作っていた。
僕は何年経ってもこの立ち位置が一番好きだ。
最近、この手の失敗が多い。
「18時受付開始」のはずなのに、脳内で反芻している間に
「18時開始ってことは、17時受付開始だな」と勝手に考えてしまうクセ。
そのお陰でどうも、1時間ほど次の現場周辺で暇をつぶすハメになることが多々。
「めっちゃ楽しみにしてた人」みたいに見えるのもアレなので
40分ほど近所の喫茶店(そういえばこの店も先日みきとさんと来たな…などと思いつつ)で
アイスティーを飲みながら時間を潰し、会場に来てみた。
「まさか18時受付開始で時間早々に来るのは自分だけだろう」と思っていたら
受付スタッフが「みんな来るの早すぎ」と焦っている。
中を覗くとすでに懐かしい面々が談笑している。
「なんだ、みんな来るの早かったのか」とほっとする。
===
昨日は「ボカロP同創会」と銘打たれた飲み会に参加してきた。
buzzG、みきとPが幹事となり「ボカロPを集めて飲む」という
至極シンプルな内容の飲み会である。
実のことを言うと”この手の飲み会”に関しては
一昔前までは良く僕自身が企画していたのだが、ある時を境にしなくなった。
なんというか、その当時のボカロPは「ちょっとした共闘組」とでも言うべきか
スクラムを組んで「ボカロ?なんですか?」的な勢力に立ち向かっている様な
時代だった(と少なくとも僕は思っていた)のだが、
そんな時代も変わってきたと感じたのが理由なのかもしれない。
以前から個人的にみきとPとbuzzGと飲んでいると、たしかに
「飲み会多かったよな〜」という話になりやすい。
さて。
そういうのを企画しなくなって早5年。
「久しぶりに飲もう」的な話が湧き上がったと、ある日電話が来た。
幹事はbuzzGとみきとPなのだが、その周りにいわゆる関係者が複数名いて
僕の動画やイベントでも主に音周りを担当してくれている人や、
その他、ボカロ文化を一つの文化にしよう大作戦的な時代に獅子奮迅の
立ち回りをした人物数名が実行委員にまわって下さった。
彼らはいわゆる「レコード会社さん」と言われる人なのだが
世代も近い事もあり、ボカロPと並走して時代を作ってくださったと言っても
過言ではない。対仕事の関係値とは別のものがある、いわば、仲間である。
「さすがに、この10年で連絡が取れなくなった人も居るので…」と言うので
あらゆる人にあらゆる方法を使って連絡を取る
そんな役回りでほんの少しだけお手伝いさせて頂いた。
古い携帯電話を発掘して電話番号を調べたり、LINEでウン年ぶりに連絡をしてみたら
最後の履歴が5年前だったり…と、こういう連絡作業をしている間にも
「なんだかすごいものになりそうだ」と思っていた。
そもそも、僕はボカロPではないのですが
この貴重な機会に思い出してくださったことに感謝しています。
(文体的にちょっと偉そうなのでここだけ変えました笑↑)
物理的な距離で参加できなかった方、
どうしても用事があって参加できなかった方、
”真性のひきこもり”なので辞退された方など諸々の理由で
名前を連ねられなかった方もおられるが
それにしても100人を超える参加者が集まったのはすごい。
「当日参加はしていたが『諸般の事由』で名前を明記できない方」もおられる。
これに関しては「旗(各自がサインを入れて思い出にする用)に名前があった方」の
話しかしないが、刑事訴追の恐れがあるので事情はお察しいただきたい。
(念のため言っておきますが冗談です…笑)
<覚書も兼ねて、自分のことばかり話してしまうがお許しの程を。>
都内某所のバル。
フロアはL字型になっており、大きく分けて2つのスペースに分かれていた。
一番奥は荷物置き場。
入店早速「10年選手の集まり」を見つける。
そこからの話しは「◯◯年ぶり、□□□(イベント名など)以来ですね」ばかり。
よくまぁ覚えているものだ。
キャプミラさんの「鰻屋さんで串の鰻を食べた以来」とか
tokuさんの「羽田空港でばったり会った以来」、
花束Pさんの「6年前、お花見の帰りに電車で話した以来」、
流星P(みなとP)は「新宿のしゃぶしゃぶ屋以来」、
悪丿Pさんに至っては「多分ボマスの時に挨拶した以来」などと
記憶をたどる作業ばかりだったので頭がクラクラしてきた。
ナノウさんは「ウチに遊びに来てくださった以来」
halyosyさんは「某D社のロビーでばったり会った以来」
ナナホシさんは「大阪のライブでご一緒した以来」、
西沢さん、10日P、はりーさんは
おそらくコミケでの挨拶が最後だろう。
大柴広己さんとは初めてお会いしたが
「先日ワケあって『さよならミッドナイト』の楽譜を書いたんですよ」
とお話する。(その後はなにやら40mPと話し込んでいた)
ひとしずくPさんとも「soundless voice」の採譜に苦労した話をした。
そんな中、「丸10年ぶり」の人が居た。
ryoさんである。
supercellのryoさんは、2008年5月に作った
初の主催ライブ「事務員Gの音楽寅さん」にゲストとして
出演してくださって以来お会いしていなかった。
時は流れて2018年の4月。ついに丸10年ぶりに挨拶できたのである。
「こういう飲み会2回目なんですよ。
1回目が事務員さんの。2回目がこれです。」と仰る。その間、10年。
IKKOさんなら迷わず「まぼろし〜」と言うだろう。
40mPが現れるが、自分の中でレアキャラではないのでほっておく。
会場のすぐ横にある居酒屋が個室で使い勝手がよく
たびたび打ち合わせに使っていたので「40サンの席はそっち(隣の店)です」と
冗談を言う。
電ポルPに「唯一歌ってUPした動画が『独りんぼエンヴィー』である」旨の
話をしてご挨拶。「桑田さんの!笑」と言ってくださった。
モゲラッタさん、ヤマコさんら、絵師の方とも
ハニワ関連の話しなどでご挨拶。
はるまきごはん君が現れたので、例の話をして茶化す。
途中疲れたので、kemu君の席で一定時間休む。
横を見ると鬱P、アゴアニキ、梨本ういさんなどが集まっていた。
まふまふ君は最初は居場所を見つけようとウロウロしていたが
kemu君やneruさんのあたりで落ち着いたようだ。
(途中Neruさんに「Neruです!」と声をかけて頂いた時、
周りが騒がしくて「……何飲んでるんです?」と聞こえてしまい
一瞬戸惑ってしまったことをお詫び申し上げたい…)
会も終わりごろになると、[検閲されました]君はワインボトルを片手に
[検閲されました]さんに「飲め〜!」と煽られつつ[検閲されました]しており
挙句の果てには[検閲されました]で[検閲されました]てしまったので
週刊なんちゃらの地下鉄の中吊り広告を飾ってしまう前に
新型の東京無線に押し込んだ。
良い笑い話である。(この二人は初対面だそうだ…笑)
押し込む際[検閲されました]君は「あいつにやられた〜!」等と
相当悔しがっており、相手の[検閲されました]さんは
タクシーに向かって大笑いしながら中指を立てていた。
別席ではミックスエンジニア軍団が集まっていたので
「もうもはやtomさんやyasuさんはラーメンの話しのイメージ」
…と新しいラーメン屋情報を引き出す約束をする。
同時に、この会にどうしても参加できなかった
椎名もたさんと、samfreeさんの事を思い出すなど。
うん、書ききれない…!
途中からは「◯◯さんってどこに居ます?」と聞かれて連れていく係みたいに
なっていたが新旧織り交ざったこの店内のカオスっぷりは何なのか。
総じて思ったことは
「この10年が、陸続きだった」と再認識した、ということ。
ボカロが登場して、広まって、いろんな事があったが
その思い出一つ一つは単品でも、ずらーっと並べたら
今目の前にある「この会場」の様になるのかな。と思う。
ボカロ暗中模索の時代から、CD化の時代へ。
一つのジャンルとして確立、認識されていった。
商業作家になっていった人も
趣味で楽しんでいる人もいるが
ここにいる人はみんな空想世界の中の人では無く。
「あなたの作品を聴いてボカロを始めました」の連鎖が
所々で沸き起こっている。
作品の向こうに多分居るはずの”曲を作った人”が集まっている事が
なんだかすごく面白くて、不思議な気分になりながら眺めていた。
======
幹事・実行委員の皆さま。
改めて、この会を企画してくださってありがとうございます。
そしてまた是非、いつかどこかで企画していただきたいです。
僕にとってのまさに「同窓会」。
ずっと続きますように。
<おまけ>
二次会が終わって「三々五々!」という声が聞こえたので
解散するためにエレベーターで1Fへ。
(しかし残った人たちでそこで三次会をしてたらしい…笑)
その後、まふまふ君とkemu君と他数名が
「込み入った話をしたいので事務員さんちに行きたい」と言い出したので
タクシー2台でウチに来て、結局5時くらいまで飲んで帰っていった。
眠さで死ぬかと思った。…のだが、建設的な話ができたとおもう。
普段は多忙でなかなか話す機会のない数名が
襟元を開いて音楽論を展開する様子を見て
「同創会の副産物」だなぁと思う。
僕は、そのうしろで貝のお味噌汁を作っていた。
僕は何年経ってもこの立ち位置が一番好きだ。
ゴールド免許になった話。
2018/04/08(日) 19:44
509pt
東京都民にとって「鮫洲に行く」といえば、やることはほぼ1つ。
そう。免許証の更新だ。
(一部、競艇だ競馬だという方がいるかもしれないがここでは触れない)
今回の免許更新。
気合が違う。
なぜなら、はじめて「ゴールド免許」を付与されることになったからだ。
思えば長かった。
なんだかんだで傷がついて、一度もゴールドになったことがなかった。
一番悔しいのはあれだ。
忘れもしない、2008年。
まだ「歌い手」とか「奏者」とかいう言葉が産まれて間もないころ。
講談社が雑誌にそれらを紹介してくれると言うので
「是非とも!」と取材を受けに行った時。
護国寺の交差点を右折しようとした所、黄色信号で切符を取られてしまった。
僕はあの一件がショックでショックで
以来、都内での運転は「田舎とは基準がちょっと違うんだ」と認識し
『母親からあきれられるほど』、標識に忠実に。指差し確認。
踏切前では右見て、左見て、右見て。なんなら窓も開けて。
誰からも
そう。免許証の更新だ。
(一部、競艇だ競馬だという方がいるかもしれないがここでは触れない)
今回の免許更新。
気合が違う。
なぜなら、はじめて「ゴールド免許」を付与されることになったからだ。
思えば長かった。
なんだかんだで傷がついて、一度もゴールドになったことがなかった。
一番悔しいのはあれだ。
忘れもしない、2008年。
まだ「歌い手」とか「奏者」とかいう言葉が産まれて間もないころ。
講談社が雑誌にそれらを紹介してくれると言うので
「是非とも!」と取材を受けに行った時。
護国寺の交差点を右折しようとした所、黄色信号で切符を取られてしまった。
僕はあの一件がショックでショックで
以来、都内での運転は「田舎とは基準がちょっと違うんだ」と認識し
『母親からあきれられるほど』、標識に忠実に。指差し確認。
踏切前では右見て、左見て、右見て。なんなら窓も開けて。
誰からも
事務員G
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