80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に」です!
Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
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■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑
■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか
――今月のテーマは先日お亡くなりになったビッグバン・ベイダーさんです。
――ベイダーは日本とアメリカでトップを取ったわけですね。
フミ ベイダーは四大陸でチャンピオンになっています。新日本のIWGP、全日本の三冠、メキシコではカネックを破りUWA世界王座、ヨーロッパではオットー・ワンツに勝ってCWA世界ヘビー級王座、アメリカではWCW世界ヘビー級王座を3度獲って。Uインターでも高田延彦を破ってルー・テーズさんが所有していた旧NWAのベルト、プロレスリング世界ヘビー級王座も獲得してるんですね。
――WCWヘビー級王座は3度も獲得ですか。
フミ 80年代後半から90年代前半のベイダーは新日本で約5年間活躍していましたが、当時はネットがなく日本の様子が詳しく伝わっていなかったのに、アメリカからベイダー待望論が起きたぐらいなんです。それは日米のマニア同士がVHSビデオを交換しあっていた影響もあるんですね。
――日本にベイダーという怪物がいるぞと。
フミ ベイダーの意向ではなく当時、新日本と業務提携していたWCWから呼ばれたんです。ベイダーはWCWのスターだったスティングとは波長が合ったというか、試合をやれば名勝負になったことでトップに立ちました。これはボクがベイダー自身に聞いたことですが、悔やまれるがあるとすればWWEとGHCのベルトも獲りたかったと。
フミ ベイダーはWWEでもトップレスラーのひとりではあったので、あのままWWEにいればベルトは獲れたかもしれないですが……あとで説明しますが、プロレスラーとしてのプライドがその機会を逃してしまったと言えるんですね。GHCに関していえば、2000年代以降のことですからベイダーに体力的な衰えがあったと言えます。ただし、GHC(グローバル・オナード・クラウン)という名称のヒントを与えたのは、じつはベイダーらしいんですよね。三沢さんはNOAHを立ち上げる際、「何々プロレス」という団体名称は避けたかったんです。三沢さんが意識していたネーミングは、当時で言えばPRIDEなんです。その名称だけでファンがどういう団体かを理解してくれる。三沢さんたちは「ノアの方舟に乗って全日本から脱出した」からNOAHになった。チャンピオンベルトの名称も同様の理由があったんです。ベイダーはGHCのベルトは獲れませんでしたが、あの人の指紋はベルトについているということですね。
――王者ならずともNOAHという団体に影響を与えてたんですね。
フミ 三沢さんはNOAHを旗揚げしたときに外国人レスラーはベイダーとスコーピオだけ欲しかったみたいなんです。ベイダーも三沢さんのことは大好きだったみたいで。三沢光晴という男は「エースクォーターバックだ」と。ロッカールームでもフィールドでもナンバーワンのリーダーシップを発揮しているスタープレイヤーだと証言していましたね。
――ベイダーの出世試合といえば、当時全日本のトップ外国人だったスタン・ハンセンとの殴りあいですね。
フミ 1990年2月10日東京ドーム、スタン・ハンセン戦ですね。この試合は本当に凄かったです。メインイベントではなかったんですけど、東京ドームの観客の印象に残ったのは間違いなくハンセンvsベイダーでした。ベイダーのラフファイトに怒ったハンセンが顔面パンチを見舞うと、突如ベイダーはリング上でマスクを脱ぎ出すします。騒然とする大観衆の目の前に現れたのは、お岩さんのように右目が腫れ上がったベイダーの顔でした。マスクを脱いだのは眼下底骨折の痛みに耐えられなかったこともあるし、目が腫れたことでマスク越しの視界が悪くなってしまった理由もあったんでしょうね。
――衝撃的なシーンでしたねぇ。
フミ 今はプロレスに関するディティールが比較的オープンに語られる時代ですが、あの日あそこでベイダーがマスクを脱ぐ予定ではなかったんでしょうね。その後ベイダーは素顔で戦うようになっていきますが、ハンセンのパンチ攻撃が目に入ってしまったことがそのきっかけとなったんです。ちなみにベイダーは帰国後に眼球を摘出したうえで眼下底骨折の手術してるんですね。選手生命に関わるケガになりかねなかったですが、そのあと何事もなかったかのように復帰しています。
――こういう激闘のために両リン決着があるというか。
フミ 98年になるとベイダーは馬場・全日本に上がるんですが、かつて死闘を演じたハンセンのリクエストで世界最強タッグに出場しているんです。それはハンセンの中で世代交代のバトンタッチを意識したものだったんでしょう。ハンセンのライバルだったジャンボ鶴田さんはすでにセミリタイア状態でしたし、ハンセン自身も2000年には引退することを決めていたので。
――トップレスラーに君臨することになったベイダーですが、デビュー戦は最悪といえるものでしたね。
フミ 忘れもしない1987年12月27日両国国技館。ベイダーは「たけしプロレス軍団」の刺客として新日本プロレスのリングに初登場しました。当時テレビ朝日の新日本プロレス中継は定位置だった金曜夜8時からも外れ、『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』にリニューアルされていたんですが、その中で企画されたひとつが新キャラのデビュー。それがビッグバン・ベイダーだったんです。
――まずベイダーのキャラクターありきだったんですよね。
フミ ボクは『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』の番組制作に関わっていたので(伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』)、ベイダーの企画書を読んだことがあります。ベイダーという名前はまだ決まってなかったんですが、マサ斎藤さんが連れてくる外国人レスラーが変身すると。キャラクターの原画は漫画家の永井豪先生。途中から使われなくなりましたが、煙が吹き出る甲冑のデザインが先にできていて、その甲冑を脱ぐとガスマスクのような黒覆面を被っている。
――あとは誰をベイダーにするか……だったんですね。
フミ ベイダーの中身には3人のレスラーが候補に挙がっていたんです。1人目が実際にベイダーに変身するレオン・ホワイト。2人目は当時ダラスでディンゴ・ウォリアーを名乗っていたのちのアルティメット・ウォリアー。3人目は当時新日本プロレス道場の留学生だったブライアン・アダムスです。彼は横田基地の米軍を除隊後、プロレスラーになろうと新日本に入門してました。
――ブライアン・アダムスはのちにデモリッション・クラッシュとしてWWEでも活躍しますね。
フミ 当初はディンゴ・ウォリアーで決まりかけていたんですが、直前でWWEと契約してしまったんですね。彼がもし日本でベイダーになっていたら、WWEでアルティメット・ウォリアーは誕生してなかったわけですし、ベイダーというキャラクターもどうなっていたのかわからない。そこは運命のifですよね。
――それでレオン・ホワイトに決定したんですね。
フミ ブライアン・アダムスは外国人であったけど、まだ新日本プロレスの練習生。マサさんは最初からレオン・ホワイト推しだったんです。レオン・ホワイトは2年前の85年にAWAでデビューしており、日本に連れてくる時点でヨーロッパのオットー・ワンツの団体CWAでチャンピオンだったんです。リングネームはブル・パワー。オットー・ワンツが彼のことを凄く気に入ってて長期滞在させていて。オットー・ワンツと同じような体型だし、試合のリズムも合ったんでしょうね。
――マサさんもベイダーに惚れ込んだわけですね。
この続きと、安田忠夫最終回、朝日昇、天心訴訟、ベイダー、QUINTET、ザンディグ……などの記事がまとめて読める「11万字・記事21本の詰め合わせセット」はコチラこの記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!
コメント
コメントを書く追悼ビッグバン・ベイダー、生放送を聞き逃してしまいました。文字起こしプリーズ!
当時の週プロかゴングでTPGからの刺客として、パワーリフティング王者のビル・カズマイヤーが候補に挙がってましたね。後にドールマンや橋本と戦いましたがグダグダの試合で、彼がベイダーにならなくて良かったと思いましたw
アルティメット・ウォリアーにもならなくて良かったと思いました
三沢、長州、高田、藤波、スティング、ハンセン、ホーガン
いろんなタイプのレスラーと名勝負を繰り広げる素晴らしいレスラーでした。
一番の名勝負は東京ドームの猪木戦です。
ベイダーはこれからも皆さんの心の中で永遠に生き続けます。
今ごろ天国でアンドレと名勝負を繰り広げているのではないでしょうか。
ありがとうベイダー