連載がひきのばされるとは具体的にどういうことなのか、という話をしたいと思います。ま、いいたいことは単純で、ようするに五話で語れることを一〇話かける、五巻で終われるものに二〇巻費やす、これが物語がひきのばされるということですよね。

 こういうことをした場合、物語の内容が変わらないとすれば、当然、一話ごと一巻ごとに詰め込まれる内容は薄まることになります。そして、自然、作品のテンションも落ちる。

 いまの漫画界、あるいはライトノベルあたりも同じかもしれませんが、とにかくその辺りではこういうことになっている作品が大量に存在するように思います。

 で、ぼくはそれは良くないことだと考えるんですね。この連載のひきのばしは漫画界をじわじわとむしばんでいるガンなのではないか。

 ここまでは、いま一定量以上漫画を読んでいるひとはほとんど賛成してもらえることでしょう。ただ、連載がひきのばされるのはいまに始まったことではないではないか、という意見もあると思います。

 『北斗の拳』を見よ、『ヒカルの碁』を見よ、いずれも連載がひきのばされたあげく終了した作品ではないか、と。

 しかし、こういった過去の例と、いま現在連載中の作品、たとえば『範馬刃牙』や『絶対可憐チルドレン』あたりでは、同じひきのばしとはいっても、その内容が違っていると思うのです。つまり、ぼくはひきのばし方にもふたつのパターンがあると考えているわけです。

 まず、どんな連載にも「それはどういう物語か」という基本コンセプトが存在します。むずかしいことではありません。『ONE PIECE』なら「ルフィが海賊王をめざす物語」、『SLAM DUNK』なら、「桜木花道がバスケットを通して成長していく物語」、といったことです。

 そしてこのコンセプトにしたがって、将来物語がたどり着くべき場面が一緒に設定されることがあります。その内実は宿命のライバルとの決戦であったり、全国大会決勝であったり、様々でしょうが、仮にその場面をA地点と呼ぶことにしましょう。たとえば『北斗の拳』におけるA地点はラオウとの決戦、ということになります。

 連載の当面の目的はこのA地点にたどり着くことなのだけれど、当然ながらそこへ往くまでのルートは色々とあるわけです。直線で進んでいく場合もあるし、迂回路を辿る場合もある。

 で、昔の漫画のひきのばし方というのは、とりあえずこのA地点まで行って、それから蛇足をもうける、というものが多かったように思います。

 『北斗の拳』は典型的な例だけれど、十数巻の辺りでラオウとの決着を描いてしまうわけです。そのあとの連載はもう蛇足としかいいようがない代物ですが、とりあえずそこまではほぼ直線で進んでいるといえる。

 対して、いまのひきのばし連載はこのA地点までのルートをひたすらに冗長化する、というものが多いように思うんですね。

 いい例が『絶対可憐チルドレン』で、超能力者と一般人の戦争が起こり、皆本と薫が対決する、というA地点は連載開始当初から設定されているのだけれど、そこにたどり着くまでが長い。とにかく長い。

 その気になればあっというまにたどり着けるだろうに、ぼくから見ると余計なエピソードを挟みこんで物語を冗長化させている。A地点にたどり着けば物語は終わるのに、なかなかそこにたどり着かない、という展開になっているわけです。