弱いなら弱いままで。
曽田正人『capeta』が近々、最終回を迎える。30巻を超える長期連載はマカオグランプリ決勝で終止符を打たれることになる。最後までテンションが落ちない作品だった。長い長い物語を最高の形で描き切ろうとしている作者には拍手を送りたい。
『capeta』は単に一作のレースエンターテインメントとして読んでも面白いが、「人生の教科書」として読めばいっそう輝きを増す。常に逆境に身を置きつつ、それをはね返してゆく主人公、平勝平太の生き方には大いに学ぶべきものがある。
勝平太が生きるカーレースの世界は不条理なまでの格差社会だ。レーススタートの時点で条件は平等ではない。むしろ上位チームと下位チームでは絶望的なまでの差が広がっていることがあたりまえである。レーサーに要求されることは、そのどうしようもないようにすら見える格差をすら乗り越え、結果を示すこと。社会のありかたを端的に象徴しているようなシステムといえるだろう。
ぼくたちの生きるこの社会もまた、決して条件は平等ではない。もちろん平等を目ざしてはいるのだろうが、それはあまりに遠い理想というしかなく、じっさいにはあらゆる格差が跋扈している。
いつか社会システムがより洗練されたなら、経済的な格差は是正されるかもしれない。しかし、才能の格差や容色の格差といったものはどうしようもないだろう。それらはひとが生まれつき背負っている運命であり、社会がどれほど進歩しようと、変わらずひとが背負って行かなければならないものであるはずだ。
そういう意味ではこの社会はまったく不公平である。ひとによってはその理不尽さを嘆き、呪うことだろう。たとえば「おれはキモメンなせいで女にモテない。なんて不平等なんだ!」というふうに。
しかし、どんなに呪ってみたところで、事態は一向に解決に向かわない。むしろ呪えば呪うほど、本人のなかで自己憐憫はつのり、よりいっそう解決は遠ざかっていくだろう。自分を哀れむことほど解決への努力と無縁なものもないからである。
それなら、どうすればいいのか。結局、その不条理な前提を受けいれ、自分で何とかしていくしかない。もちろん、地にひざをついてめそめそと自分の不幸を嘆いていたければそうする権利はある。時にはそうすることも必要だろう。
が、それだけで終えてしまうには一生はあまりにも貴重すぎる。いつかは立ち上がって運命と戦う必要があるのだ。ひとは生まれながらにそれぞれ違う。あるひとがあたりまえに持っている能力は、べつのひとにとっては垂涎の対象であったりする。だからひとをうらやみ、妬んだところでどうしようもない。そうするくらいなら自分の世界を充実させることを考えるべきだろう。もちろん、簡単なことであるはずもないにせよ。
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