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時限爆弾――その、タイムリミットとともに爆発し周囲を炎に包む悪魔の兵器には、「解体」という対抗手段がある。そして、命がけで爆弾の解体に挑む「爆発物処理班」の活躍は、多くの小説や映画で題材として用いられてきた。
タイムリミット目前の爆発物を前にして「青を切るか、赤を切るか」といった選択を強いられ、「のこり1秒」といったところで爆弾が止まるのはお約束。時限爆弾解体ものは、いまやひとつのジャンルとして確立されていると云っていいかもしれない。
久慈進之介『PACT』は、その最新の一作にして、おそらくは過去作品にないスケールを誇るSF漫画のカッティング・エッジである。
物語は、「窒素爆弾」と呼ばれる新型爆弾が、解体の努力もむなしく爆発するところから始まる。その、かつてない圧倒的な威力の爆発の結果はアメリカ合衆国「消滅」。それはひとつの大国を破滅に追いやるほどの絶対兵器であったのだ。
そして、日本近郊に埋め込まれた新たな窒素爆弾がいままた爆発しようとしていた。世界中を恐怖と絶望に陥れた上で破壊しようとしているテロリスト集団に対抗できるのは、爆弾解体空前の天才、ひと組の青年と少女。はたしてこの最強コンビは人類絶滅の危機に立ち向かうことができるのか――?
某誌で『PACT』の連載が始まったとき、ぼくは久方ぶりの興奮を感じた。シンプルかつインパクト抜群、あるアイディアを極限まで突き詰めたハッタリ抜群の背景設定を、最高だと思った。
設定だけでここまで惹きつけられるのは個人的には『DEATH NOTE』以来と云ってもいい。そういうわけで、すわ大傑作か、と思ったのだが、うーん、ここまでの展開は、実は、もうひとつだったりする。
いや、十分に面白いのだけれど、設定から連想される以上のエンターテインメントとしての「ベクトル性」は弱い気がする。やはりこれはドラマが弱いのではないか。
各々のキャラクターがどういう人間で、どういうバックボーンを背負っていて、そのためにどういう行動を取るのかという点が、描かれてはいるのだが、もうひとつ胸に迫ってこない。
巨大なマクロ状況のSF設定とミクロの人間ドラマを「セカイ系」的な荒業で繋ぐのは良いとして、その接続部分がなめらかさを欠いているというか。マクロ設定の圧巻の素晴らしさに対して、ミクロ設定がいまひとつ弱い気がしてならない。
ぼくも何がどう問題なのかはっきり指摘できるほどの「目」を持っていないのだけれど……。
比べるべきものではないのだろうが、近い時期に連載が始まった小畑健のSFアクション『ALL YOU NEED IS KILL』がさすがとしか云いようがない漫画のうまさを見せてくれている。
これは原作の出来も良いのだろうが、やはり小畑さんが長い年月をかけて得てきたコマ割りやストーリーテリングの方法論は凄まじいものがある。とにかく、わかりやすく、伝わりやすく、登場人物の感情の一々が胸に迫ってくる。
それほどわかりやすいテーマだとも思わないのだけれど、小畑健の匠の腕前にかかると、一切の無駄が省力されて、ごくシンプルな物語に見えてくる。その迫力。
それに比べると、『PACT』はやはり弱いかな、という気がする。何が起こっているのか、何を見せたいのか、わからないわけではないのだが、エンターテインメントとして、もうひとつ、ふたつ、魅力の強さに欠けるかな、という気がしてならない。
もっとも、それはマクロを重視するサイエンス・フィクションでは往々にして起こる問題ではある。
最近の作品はそうはいっても
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