アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマはSNSで狂い咲く50歳プロレスラーの遅咲き人生」です!




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孔子の『論語』の中に「五十にして天命を知る」という有名な一説がある。米プロレス界で、今、その天命を知ったかの如く、若い選手に負けず劣らず、元気を通り越して狂い咲いている50歳の男がいる。ピエール・カール・オーレット(以下PCO)――かつてWWEでも活躍したプロレスラーだ。


PCOは、1967年12月30日にカナダ・モントリオールのセントキャサリンで生まれる。同郷モントリオールの大御所、ルージョー家のジャック・ルージョーに声をかけられ、タッグコンビ「ケベッカーズ」のピエールとして活躍したのは、1993年から95年にかけてのことだから、今から25年も前のことになる。

20代半ばだったPCOは、ケベッカーズとして、3度WWE(WWF)タッグ王座に就いた。タッグ解散後は、海賊男になり、ジャン=ピエール・ラフィットの名でシングルプレイヤーとして、ブレット・ハートと抗争をしていた。また、1993年にはW☆INGにバッシュ・ザ・ターミネイターの名前で来日。1999年7月にも全日本プロレスに参戦している。

当時、海賊の象徴でもある黒い眼帯で右目を隠していたのだが、じつはあれはギミックのためだけではなく、本当に右目が見えなかったのだ。12歳の時、友達と遊んでいたところ、その友達がふざけてPCOに向けて空気銃を撃ってしまい、運悪く、弾が右目に命中してしまった。その事故が原因で、右目の視力を失ったPCOは義眼での生活を余儀なくされてしまったのである。


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