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Uのミライを見た女――高岡左千子「私は運気からUWFのスケジュールを組んでいたんです」
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Uのミライを見た女――高岡左千子「私は運気からUWFのスケジュールを組んでいたんです」

2018-08-31 18:48
    「新生UWF社長・神新ニのブレーンにして、船木誠勝ら多くの選手の名前を改名させた占い師がいる」――『1984年のUWF』を契機に続々と出版されるUWF関連書籍。それらの誌面をときおり賑わす「シンサックさんの奥さん」が気になって仕方ないUマニアは多いのではないだろうか。Uの重要人物でありながらも情報量が少ないことや関係者たちの一方的な証言もあり、オカルトチックなイメージができつつあった謎の女性、それが今回登場していただいた高岡左千子氏だ。「Uのミライを見た女」にとって新生UWFとはなんだったのか? 


    【1記事から購入できる関連企画】

    ◎『1984年のUWF』はサイテーの本!■「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」 

    ◎鬱と宗教とUWF……プロレスの信仰心はどこに向かうのか■大槻ケンヂインタビュー

    ◎UWFの「次回と自壊」を見届けたスポーツライター/李春成インタビュー

    ◎2万字超えの激白】山本喧一インタビュー「高田延彦、田村潔司…真剣勝負とUインターの愛憎物語」

    ◎『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光

    中野巽耀 「一番尊敬できた先輩は高田延彦だよ」 

    山本宜久「ヒクソンと戦ってるとき、放送禁止用語が聞こえてきたんですよ…」 

    ◎謙吾「スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い」 

    ◎『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光



    ――高岡さん、今日はよろしくお願いいたします。

    高岡 どういう話を聞きたいの?

    ――高岡さんは数多くの格闘家やプロレスラーの占いをされて、ためになるアドバイスを送られていたそうなので、そのへんのお話を……。

    高岡 そういう話ね。でも、占いだけではないのよ。簡単に言葉にするのは難しいんだけど、その人間の運気を見てあげるのね。人間の運命というのは努力と実践で変えていくことができるから、悪いときには悪いときの過ごし方、良いときには良いときの過ごし方があって、どういう過ごし方をすればいいのか羅針盤を示してあげるわけ。

    ――なるほど。“気づき”を与えてあげるとでもいいますか。

    高岡 いまでも見てあげてるのよ。ジムを開こうとしている場所、日時とかね。

    ――もともとそういうお仕事をされてきたんですか?

    高岡 仕事としてはやってない。趣味でやっていたんだけど、最初は大学のときに心理学を必須科目で始めたのがきっかけ。あとウチの父親が姓名判断をやっていて。

    ――そういった血筋を受け継いでるんですね。

    高岡 私の場合、全部独学なんだけどね。

    ――旦那さんであるシンサックさんは有名なムエタイファイターであり、前田憲作さんをはじめ多くのキックボクサーを指導した伝説的なトレーナーですけど。どういう縁で知り合ったんですか?

    高岡 誰かの紹介。格闘技は全然好きじゃなくて、試合を見に行くこともそんなになかったんだけど。このジムだって、もともとやるつもりはなかったんだけど、旦那がUWFの選手にキックを教えたり、セコンドに付いていたりしてたんですよ。

    ――安生洋二さんがチャンプア・ゲッソンリットと引き分けたのは、シンサックさんの指導力もあったそうですね。

    高岡 最初はここにジムがなくて、高速道路の下にある公園で練習をやってたの。

    ――松葉通りのところですよね。

    高岡 どこも貸してくれなかったのよ、あの時代。べつに壁を叩くわけじゃないのに「壁を壊されるから」とか言われてね。重機ミシンの大きな会社の大きな体育館が国領にあって、交渉して貸してもらうことになったんですよ。そこで2年くらいやったかなあ。たまたまいまのジムの大家さんが昔キックが好きで、借りられることになって千歳烏山の駅前で20年近くやってる。年中無休深夜3時まで。

    ――タフですね!(笑)。高岡さんがUWFのアドバイザー的な役割を務めることになったのは、何がきっかけだったんですか?

    高岡 きっかけは、なんだろう? Uの選手がウチのジムに来てたからじゃないかな。あと公園でやってる頃は、UWFの道場を使えるときもあって。それで砧の道場に何回か行ったことある。

    ――そうやってコミュニケーションを取るようになったんですね。

    高岡 だからいろんな関係者のことは知ってます。最近亡くなった木暮(祐二)さんとも親しかったしね。木暮さんのことも見ていた時期があったんですけどね。

    ――木暮さんはUWFやリングス影の功労者ですね。

    高岡 新生UWFは新日本から抜けて作ったでしょ。そのときに社長の神(新二)さんが相談が来たの。そのとき神さんに言ったのは「相談を受けるのはいいけども、私の言ったことを100%聞いてくれる? 聞いてくれるなら協力する」と。

    ――神社長はどうしてそこまで高岡さんを信頼するようになったんですか?

    高岡 にっちもさっちもいかなかったからでしょ、それまで。UWFがダメになって、新日本に戻りました。また飛び出して新生UWFを作ったけど、先行きに不安はあったんじゃないですか。

    ――そこで高岡さんに運気を見てもらおうと。

    高岡 私は1年先のスケジュールまで組んだんです。実際には3年先まで見るんだけど、1年1年でUWFの計画を立ててたの。なぜかというと、1年1年でみんなの運気が変わるから。

    ――その1年間の動きで運気は変わっていくんですね。

    高岡 当時の資料は捨てちゃったかな、UWFとサヨナラしたときにね。当時のノートにUWFの1年間のスケジュールを組んであってね。選手の運気を見ながら会場の大きさ小ささも考えて、運気が悪かったら会場は小さくする。東京ドーム大会も11月の運気がいいから、1989年11月29日にやるって決めてたんですよ。でも、その日の東京ドームは他のイベントが入ってたの。だけど、私は神さんに「絶対にキャンセルになるから予定に入れときなさい」って言ってたんです。

    ――えええ!?

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    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1639388
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