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総合格闘技が萌芽し、グローブ論争などで揺れ動く80年代後半の格闘技界――その震源地のひとつだった大道塾で「小さな巨人」と呼ばれた伝説の格闘家、加藤清尚師範インタビュー。格闘技ファンなら憧れの存在であった加藤師範に、格闘家たちが「狂っていた」あの時代の空気から、右足切断の危機に見舞われた交通事故からの復帰までを語っていただきました!



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――
試合映像が見られなかったあの時代は『格闘技通信』なんかでその活躍を目にして興奮していましたが、加藤清尚さんといえば80・90年代の伝説の格闘家で。

加藤 いえいえ(笑)。

――
「グラップラー刃牙」の加藤清澄のモデルになるのも納得の存在感があったというか(笑)。しかし、いまでも身体はゴツいですよねぇ。

加藤
 まあ、これが仕事なんで。試合に出るわけじゃないんですけどね。

――
165センチの加藤さんの体格で北斗旗無差別級を制覇したって凄いことですよね。

加藤
 やっぱり身体が小さくても大きい人に勝つっていうことに憧れがあったので。体重別ももちろん出ていましたけど。先輩に無差別で優勝した方がいたので。岩崎弥太郎先輩なんですけど、自分もそういう格闘家になりたいなっていう。

――
岩崎さんは160センチなかったんですよね。当時は無差別志向は強かったですよね。

加藤
 そうですね。いま振り返ると、なかなか難しいことではあるんですけどね、無我夢中でしたから。

――
加藤さんがもともと格闘技を始めたきっかけはなんですか?

加藤
 『空手バカ一代』を読んでからですよね。自分らの世代ってだいたいそうじゃないですか。あのマンガを読んで空手の世界に入って。それまでは野球とかやってたんですけど、団体競技が合わなかったので。個人競技で身体一つで強くなりたいってことですね。当時は空手で世界を旅するとかロマンがありましたし。

――
ケンカは強かったんですか?

加藤
 いや、べつに。ケンカ自体全然しないですよ。でも、普通の男だったら強くなりたいっていうふうに思うじゃないですか。腕力的な強さ、単純な強さに憧れるっていうか。そのへんが動機でしたね。

――
それで地元・仙台にあった大道塾に入ったんですね。

加藤
 当時の仙台には強い選手がたくさん集まってたんですよ。

――
大道塾はスター軍団でしたよね。西良典、長田賢一……そのあとも続々と選手たちが集まって。

加藤
 強くなりなりたいと野望を持った若者がみんな仙台に来てたので(笑)。環境的にも恵まれてたなって思いますね。そこは東孝塾長の求心力は凄かったってことですけど。

――
強くなることしか考えないという狂気性があったというか。

加藤
 いまもそういう人はいる……のかな(笑)。当時は「みんな変わってんなあ」と思ってましたよ。自分が一番まともだなって思ってましたからね(笑)。

――
ハハハハハハハ! みんな自分が一番まともと思ってそうで(笑)。

加藤
 「この先輩凄いけど、ちょっと変だな……」って。そうでもなきゃ強くなれないのかもしれないですしね。

――
以前、長崎で西先生を取材したときも、穏やかなんですけど、言ってることがおかしいんですよ。「当時は少年部の指導が面倒くさくてね。自分だけが強くなりたいのに邪魔くさくてしょうがなくて」とか(笑)。

加藤
 西先輩は自分が高校時代のときに一番お世話になった先輩で。高校三3年間は通いだったんですけど、毎日道場で一緒でしたね。西先輩は木村政彦先生の弟子ですからね。木村先生も凄かったわけじゃないですか。

――
あの拓大柔道部出身ですからねぇ。

加藤
 当時の拓大柔道部なんて「やめる」といった部員の親まで呼び出されて大変な目に遭ったみたいですからね。

――
日大タックルどころじゃない(笑)。

加藤
 あの当時の格闘家はみんなおかしいんですよ。山田学とは当時から親しかったんですけど、いまも凄いですよ。朝6時に起きて夏の暑いときに自転車で50キロ走って(笑)。競輪選手と一緒に練習してるみたいですけど「競輪選手に転向しろ」と勧められるくらい早くて。

――
シューティングもその点は最高なんですよね。中井祐樹先生もいまは聖人君主みたいな扱いですけど、危ないですし(笑)。

加藤
 田中健一さんもステキでしたよ(笑)。あと本間聡とか。

――
あ、じつは今度新潟で本間さんを取材するんですよ。

加藤
 ああ、本間ちゃんと親友なんですよ。30年くらいの付き合いで。東京に来たときは酒をよく飲みますし。

――
加藤さん、酒が強いんですよね。ロシア人をウオッカでKOしたとか。

加藤
 ああ、自分が勝ちましたね。大道塾が初めてロシアに行ったときに歓迎パーティーがあるじゃないですか。

――
「乾杯!」「乾杯!!」の連続でゲストが潰されるやつですね(笑)。

加藤
 塾長に「負けるなよ!」と言われて。あれはロシアで空手普及が解禁になったときで大和男子を見せましたよ。ロシア人はみんな吐いてました(笑)。

――
大道塾のロシア進出にはウオッカの勝利も効いてたんですね(笑)。

加藤
 本間ちゃんとは自分が仙台から東京に移ってきたときは出稽古したり。彼は平直行さんと一緒にゼンショー総合格闘技部だったじゃないですか。

――
すき家の親会社がそんなことやってたなんていまでは信じられないですけど。

加藤
 当時は俺も市原もフリーターだったこともあって、東塾長から「ゼンショーに入れ」って言われたんですよ。東塾長からすれば将来が不安があるんだったら入ったほうがいいと。当時自分はキックをやってましたけど、総合格闘技にも興味あったし。本間ちゃんはリングスに出てたじゃないですか。あれに出たかったんですよね。

――
リングスの実験リーグですね。リングスで戦う加藤さんは見たかったです!

加藤
 ゼンショーは各団体のチャンピオンウラスを集めようとしていて、自分らが入るなら特待Aの扱いだったんですよ。特待Aは16時まで仕事をして、それ以降は練習できる。でも、平さんに聞いたら「残業があるよ」って(笑)。

――
そんなに甘い話じゃないよと(笑)。

加藤
 真剣に考えましたよ。市原とも話をしたんですけど「続かないだろうな」ってことで。そうこうしているうちにキックをやるためにアメリカに行くことになったんですけどね。

――
市原さんとはいまでも繋がりはあるんですか?

加藤
 自分は全然会ってないですね。会った人はいないんじゃないかな。

――
最後に市原さんを確認できたのは『ゴング格闘技』で……。

加藤
 ああ、桜庭(和志)さんと対談したやつですよね。あれって2000年くらいですよね。でもまあ、アイツらしいですよ。人付き合いがいいわけでもないし、スパッとやめて格闘技界から姿を消して。アイツは天才でしたよ。変な奴かもしれないけど、天才。ホント強かったですよ。

――
あのギラギラ感はいまの日本人格闘家にはないですよね。

加藤
 あの集中力、殺傷能力はヤバイですよね。

――
話は戻りますが、総合格闘技誕生以前は顔面あり・なし、グローブ論争が激しかったじゃないですか。

加藤
 そうでしたね。大道塾が素面(スーパーセーフ)で素手の顔面ありを始めて。道着で無差別でやるっていうのが総合格闘技の走りじゃないですけど。

――
かなり画期的でしたよね。

加藤
 自分らもまだ手探りの状態ではありましたよね。格闘技の知識はなく憧れしかないから、「そういうルールでやるんだ」って。やってくうちにいろいろなことがわかってきて、他の格闘技の研究を始めて。仙台にボクシングジムができたときは西先輩と一緒に通ったり、ボクシングやキックボクシング、極真空手とか他の空手の試合も見るんですけど。当時は映像がなかなか手に入らなかったんですよね。

――
西先生も同じこと言ってましたね。

加藤
 何かのビデオが手に入ったらみんなで見たり、貸してもらったらテープが擦り切れるまで何度も見るから、どんどん画像も悪くなって(笑)。

――
YouTubeなんかであたりまえのように転がってるいまとは違いますね(笑)。

加藤
 たとえばスイッチしてのミドルキックってあるじゃないですか。当時は教えてくれる人が近くにいないですし、蹴り方がよくわからなくて。仙台にキックボクシングジムはあったんですけど、交流はなかったし、出稽古に行くという発想もなかったんですよ。いまなら会場で知り合って練習するっていうこともあるんですけど。あの頃はムエタイのビデオを見て、どうやってミドルを蹴るのか何回も何回も見直すんです。コマ送りで(笑)。

――
いや、ホント大変な時代ですね!(笑)。

加藤
 最初はどうしても蹴れないんですよね。何回も何回もビデオ見て、そのうちなんとか蹴れるようになってきて。あとになってタイに行ったときに左ミドルは直されませんでしたからね。その方法で間違いではなかったんです、フォーム的に。

――
それだけ真剣に技術解析していたってことですね。

加藤
 ムエタイのビデオなんてめったに手に入らないですからね。長田先輩がタイで試合をしたときがあったじゃないですか。

――
現役ウェルター級王者のラクチャート戦ですね。急に試合をすることになってKO負けしたもののダウンを奪って。

加藤
 帰ってきたときにその試合のビデオを見せてもらって。先輩も凄いけど、タイ人もやっぱり凄いなって。向こうでの練習もちゃんと撮ってきたんです。

――
実地体験したうえで映像を持ち帰ってくる。命がけの資料映像ですね!(笑)。


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http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1639388

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