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「シューティング最強の男」と「奇人」のシューティング対談! シューティングジム横浜主宰にして修斗世界ライトヘビー級王者だった川口健次氏と、修斗四天王にして元・修斗世界フェザー級王者の朝日昇氏が格闘技黎明期を15000字で語りつくします!




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――
今回は修斗の歴史を知り尽くしたシューター対談ということで!

朝日 2018年にもなってシューター対談なんてバカにされますよ。カネやん(金田正一)の「ワシは170キロ投げたぞ!!」の世界ですよ(笑)。

川口 ハハハハハハ。

――
よろしくお願いします(笑)。今日はシューティングジム横浜での収録ですが、このジムはオープンして20年近く経つんですよね。

川口 今年でちょうど20年目ですね。佐山先生がやられていたスーパータイガージム横浜は東神奈川にあったんですけど。

朝日 ここからチャリンコで5分くらいの場所だよね。瀬田から始まり、続いて三軒茶屋に移ったわけですが、この横浜ジムがその流れを組む修斗の本家なんですよね。テストで「修斗のジムで、本家を継ぐのはどこのジム?」という問いがあったなら「シューティングジム横浜」が正解で、それ以外を書いたなら不正解。いまの子たちにはサッパリ分からないでしょうが「ロボコン、0点︎!!」です(笑)。

――
ハハハハハハ! 2人が初めて会われたときのことは、おぼえてますか?

朝日 あまりに昔のことでサッパリおぼえてないです(笑)。川やんはボクの1歳下ですけど、三茶のジムに入ったのは2〜3年ぐらい早いんです。だから、川やんはシューティングの生き字引というか、過去に何が起きていたか誰よりも知ってる1人だよね!!

川口 『真説・佐山サトル』に書いてあることは、たいてい知ってますね(笑)。

朝日 ボクが三茶に通い始めた頃、川やんは上のレベルのクラスで練習してたもんね。北原(光騎)さんや勝山(恭次)さんがインストラクターで。

川口 その前の山崎一夫さんや宮戸(優光)さんがインストラクターだった時代のことも知ってますね。宮戸さんにマンツーマンで教わっていたので。

朝日 化石ですよ、真の化石!!(笑)。

川口 スーパータイガージムがオープンして1週間ぐらいで入門して。タイガーマスクブームがあったから、入門者が1週間で200人ぐらいいたんですよ。最終的に1000人は超えてるはずなんですね。

――
入会者1000人!!

朝日 あの当時タイガーマスクは誰でも知ってたもんね。

川口 新日本プロレスは夜8時に放送されて視聴率20パーセント以上も獲ってたわけですからね。タイガーマスクってイチローとかそれ以上の存在だったんですよ。

朝日 ホント凄かったもんね。いまの子たちには時代背景がいまとはまったく違うから、あまり想像できないかもしれないけど、俺らの小さい頃はプロレスもプロ野球なんかと同じような競技スポーツとして見てたもんね。 

川口 だから入会者の9割ぐらいがプロレスラーになりたい人ばっかなんですよ。中には関節技やキックを習いたいっていう人もいたんですけど、大部分はプロレスラー志望者。ボクの場合は、プロの世界でやっていくのは無理だと思ってたんです。総合格闘技という競技なんてなかったし。

朝日 俺は高校の野球部の延長のような感じでジムに入ったよ。

川口 プロを云々じゃなくて、とにかく強くなりたい感じですよね。80年代は金八先生とか荒れた学園ドラマが流行っていて、裏を返せば不良の世界。ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画を見て強さに憧れてたから、通販でトレーニング器具を買ったり。

朝日 『少年ジャンプ』の裏表紙の広告だ(笑)。

――
ジムの指導は厳しかったんですよね?

川口 うーん、「やめたい」と思ったことは数え切れないほどありましたよ(苦笑)。でも「強くなりたい!」という欲のほうが上回っていたんで。

――
月謝を払ってキツイ思いをするって、いまの格闘技ジムでは考えられないですよね(笑)。

朝日 当時のスーパータイガージムは上のクラスの人達はもちろんしっかりやってましたが、下のクラスの人たちはあまり緊張感がないように見えたよ。

川口 プロレスラーになりたい人の集まりだったからね。

朝日 下のクラスの人たちの練習は野球部と比べたら遊びと言ってもいいような感じだったし。かと言って、いきなり上のクラスでは練習はやらせてもらえない。だから、だったら自分でやろうと考えて、入会して3ヶ月を過ぎたら、下のクラスから抜け出し自分で考えて好きなように練習をやりだして。佐山先生はそれを許してくれましたけど、こんなアタマがおかしい人間をよく放っておいてもらえたよ(笑)。

川口 最初の頃はマウスピースも付けず、掌底で実戦スパーをやってたりしたんですよ。プロレスラー志望の子たちが血だらけになって、それでみんなやめちゃうんですよね(苦笑)。

朝日 ハハハハハハ。言い方は難しいけど、スポーツの実体を知らず、ただ憧れだけで来るようなファン気質の人には大変だよね、そりゃ。

――
佐山さんが怒ると100人単位で会員が消えた……なんて話もありますよね。

朝日 そういう話は誇大されて話されることが多いし、申し訳ないですが、そういった人たちは得てして中途半端な人たちが多いんじゃないかな?とも思うんですよ。

川口 そうですね。佐山先生の指導って「引き出す力」なんですね。技術だけ教えても精神がついてこれない人間はいるから、そこは怒って引き出すっていうことはありました。そこは勘違いされやすいんですけど(笑)。

――
地獄のシューティング合宿の動画もメチャクチャ怖いですけど、当時の関係者は「佐山先生は本気では怒ってない」と口を揃えてますね。

川口 まあ9割ぐらいは本気なんですけど(笑)。佐山先生は憎くて怒ってるわけじゃないんで。

朝日 まず時代背景がいまとはまるで違うし、昔の運動部はあんな感じが日常的なんだよね。ボクは中学、高校と野球部でしたけど、いまで当てはめるならばいわゆるパワハラの毎日で、怒られる人が悪いと思ってたし、まああとは運次第と(笑)。

――
要は気合いを入れるってことですね。

川口 佐山先生の指導ってじつは凄くテクニカルなんですよ。最初は直接佐山先生に教わることはなく、宮戸さん、その次は平さんの指導を受けてたんですけど。高校生のボクは平さんとガッチガチのスパーリングをやっていて。もう殴られに行ってたようなもんですよ(笑)。

――
高校生相手にガチスパーって(笑)。

川口 ボクの他にも高校生は何人かいたんですが、みんな顔はボコボコで「これは練習じゃなくて殴られに行ってるだけだ」って(笑)。当時は「こう殴られたから今度はこうしよう!」ってプラス思考に考えてたんですけど。

――
それは掌底ルールのスパーなんですか?

川口 そうですね。マウスピースは付けてないから歯が頬に突き刺さったこともありましたねぇ。平さんが教えていたときはスパーリングオンリー。平さんがやめて北原さんや頼永さんの時代になってから、佐山先生もジムに来るようになってマンツーマンで教わったんです。佐山先生は技術にこだわる人なので蹴りやパンチもただできるだけじゃ納得しないんです。

朝日 佐山先生は職人だと思います。精度に徹底的に拘りますから。

川口 最高の技術を求める。たとえ形だけできても怒られるんですよね。佐山先生から教わるようになってから、だいぶ変わりましたよ。

朝日 俺は2年目から木口道場に移って、三茶には行かなくなったアウトローだから、こんななっちゃった(笑)。

川口 木口道場には神奈川県の人間を集めるということで、朝日さんや(田代義治、後の港太郎)とかが集まって。ボクは川崎に住んでいたんですけど、交通の便では三茶のほうが都合がよかったし、まだまだ佐山先生に教わりたかったんですよね。

朝日 俺は家に近いほうが嬉しかった(笑)。自分で考えてコツコツやるのも好きだったし。

川口 当時は三軒茶屋、木口道場、あと千葉ですよね。 

朝日 当時はまだあまり怖くなかった田中(健一)のところだね(笑)。佐山先生が言い出したんですよね、お相撲の部屋みたいにどんどんと分けていくって。

川口 プロ化されて1年目2年目が一番格闘技に打ち込めたかなあって思いますね。まだ夢が膨らんでたじゃないですか。

朝日 だんだんやるにつれ、いろいろと大変なことがあったけどね(笑)。

川口 総合格闘技というものがなかった時代なので、失敗から学んでいくしかなかったんですよね。アマチュアのプリシューティング大会のときなんて、最初は寝技30秒って限られてたんですよ。30秒たったらスタンドに戻される。でも、意向によっては寝技を続けられるというルールに変わって。

――
そこは選手の意向ですか?

川口 いや、佐山先生の意向ですね。試合の流れを見て、その場その場で「これは続行」「いまのはスタンドに戻す」って判断していく。あとマスクをつけるようになったのは、掌底だと指に目が入るからなんですけど、試合中に打撃をもらうとマスクがズレることもあって。

朝日 あとマスクって自分の息で曇っちゃうんです。何も見えない(笑)。僕なんかもとから視力も悪いので、もう完全にアウトで霧の中(笑)。だから何もかも実験というか、自分のことを実験用マウスだと思ってました。が、それも仕方ないことだと思いますけどね。総合格闘技なんてこの世のどこにもなかったわけですから。

――
あのマスクは誰が作ったんですか?

朝日 佐山先生です。凄く器用で、いろいろなものを作ってるんです。

川口 あるときゴーグルを改良してマスクを作ったんですけど、やっぱり試合中にズレて金具で鼻を切ちゃったり。

朝日 俺がまだ試合に出てなくて大会のお手伝いをしてる頃だよね。大会中に急遽マスクを外して戦うことになったんだよね。

川口 そのときは掌底じゃなくてオープンフィンガーグローブになってて。いま修斗協会の副会長をやってる横山(忠志)さんが佐山さんに「外していいですか?」って話をして。OKが出て最後の2試合だけマスクなしでやるという流れになって。

――
本当に実験ですね(笑)。

川口 そうしたら次の試合の◯◯が顔面蒼白になって。まあ、急にそんな話になったからかもしれないけど(笑)。

――
当時は顔面ありの格闘技ってなかったですよね。

朝日 そんなん関係なく「やるしかない!」です(笑)。

川口 たしかに他の人たちは「まあマスクなしでも別にいいよ」っていう話だったんですよ。

朝日 この件に限らず、◯◯は常にビビってるんだけどね。

――
あの頃の修斗をやるくらいの人間なのに、腹が座ってないって逆に興味あります!(笑)。

朝日 いや、悪口を言うわけではなく事実として、アイツだけは違うと思いますよ(笑)。練習だって全然しないで遊んでばかりだし、試合をすれば腑抜けの内容で負けてばかりで理解できません(笑)。

川口 ◯◯と試合をしたある選手が言うには「ヒザ十字が完全に極まる前にギブアップした」って言ってましたよ(笑)。

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ハハハハハハ! そんな人が地獄のシューティングをやってるって凄いですよ!(笑)。

朝日 あの当時は選手層が薄いから、そんな人間でも残れちゃったんですよね。

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階級超えの試合もしょっちゅうありましたよね。

川口 ボクは70キロ後半なんですけど、相手が90キロぐらいのときもありましたし。これだけ体重差があると打撃の威力が全然違いましたよ。あたりまえですけど。

朝日  そこは時代だよね。時代で片付けちゃまずいのかもしれないけど、何もかも未知の荒野の世界。

川口 実験と試行錯誤の繰り返しですよね。オープンフィンガーグローブなんかも何回も何回も作り直して。

朝日 アンコの部分がクジラみたいな形で、指なんか全然出ないグローブもあったでよね。モコモコした中くらいのサイズの紙袋に手を入れてるような感じで。皆、同じ条件だからなかなか言えなかったけど、あの掴めないグローブは「なんだ、これは!!」と思ったよ、……(苦笑)。

川口 ハハハハハハ。

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朝日 まるで掴めないから、極める・極めないどころの話ではない(笑)。俺は手がちっちゃいからグローブの中で手が完全に遊んでるし。どうしましょう?って(笑)。

川口 なんであのグローブになったかといえば、その前は指がちゃんと出るオープンフィンガーグローブだったんですよ。でも、自分が指先に蹴りをもらって折れちゃったんですよね。それがじつは2回目のケガで、佐山先生も「指を隠すグローブじゃなきゃダメだ」となって。

朝日 オープンフィンガーグローブは他にもサミングの問題が永遠にあったりするだろうけどね。

川口 それで今度はアンコを厚くしたんだけど、グローブを作る技術がないから相手を掴めないやつになって(笑)。あのグローブだと、相手の身体にひっかける関節技はできるんですよね。ヒザ十字とか。

朝日 けど、発想の転換で「このグローブだったら打撃を上達するしかない!」ってなって、あの頃そうした練習をたくさんしたことが役立ったけどね(笑)。

川口 あのアンコの部分と、指の出るところを作るのが凄い難しいんですよね。

朝日 あとになってある防具メーカーに相談したこともあるんだよね、俺が修斗のプロデューサー時代に。あの頃は、剣道の小手を作ってくれる人が作業に携わってくれたんだけど、まだ技術がないからアンコの部分が大きいものになったりして。当時はオープンフィンガーグローブの需要もなく商品化するわけでもないから、なかなか制作費もかけられなかったし。

川口 いまはちゃんとしたオープンフィンガーグローブがどこの格闘技ジムにも置いてありますけどね。すばらしい時代ですよ(笑)。

朝日 あの時代は練習用なんてシャレたものはなかったしね。オープンフィンガーグローブを着用したイメージでスパーして、あとはぶっつけ本番(笑)。

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