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Dropkick名物90年代インディ地獄! 戸井克成インタビュー13000字
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Dropkick名物90年代インディ地獄! 戸井克成インタビュー13000字

2019-09-13 21:38
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狂乱の90年代インディを振り返るロングインタビュー! 今回は戸井克成インタビュー13000字をお届けします!(聞き手/小野仁)


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――
新日本と旧UWFのリングスタッフに始まり、カルガリー修業を経て、世界格闘技連合W★INGでデビューに至った戸井さんの数奇なプロレス人生を振り返りつつ、その中で出会った奇抜な人々のエピソードをうかががいたく思います。

戸井 いろいろなことがあったよ。本来なら刑事事件なんて話も……。

――刑事事件ですか!?

戸井 PWCってあったでしょ。

――ジョージ高野さんと高野俊二(後に高野拳磁)さんがSWS解散後に旗揚げした団体ですね。

戸井 オレもいろいろあって参加したんだけど……これはもうね、旗揚げ戦の東海市民体育館がね、凄く入ってたの。2週間ぐらい前に全日本が同じ会場でやって、オレも営業の手伝いで現地に入ってたから観に行ったんだよね。「ああ~、さすが全日本だな」って入りだったんだけど、それよりもPWCの旗揚げ戦が入ったんだよね!

――な、なんと!

戸井 「おお~!」って思ったら、営業の担当者が売り上げを持って逃げたっていうんだよね。

――ええええええ!?  旗揚げ戦から持ち逃げって!

戸井 その人間が本当に持ち逃げしたのか、罪を着せられたのかはわからないけど。いまから思うと、それは誰かの指図だったんだろうけど……。ていうのはさ、のちにジョージさんのFSRに参戦したら、そのスタッフがいたからね! とにかく、超満員だったのに、その売り上げ全額が消えたんだよね。

――……旗揚げ戦の売り上げに続いて道場のリングも持ち去られましたね。

戸井 う~ん、あれもねぇ……レフェリーとコーチ役を兼ねていた安達(勝治=ミスター・ヒト)さんが東大和市の道場に住んでて。このへんの話はあとで説明するとけど、オレは個人的にカルガリー時代、安達さんに世話になっていたから恩を返したいと思ってたんだけど、「これじゃやってられない」って安達さんは飲んで荒れてたね。93年8月に後楽園ホールがあって、リング持ち去りが発覚したのはその日だったんだよね。まぁ、持ち去られたリングはね、折りたたみ式で後楽園のエレベーターに乗せられるサイズじゃなくて、どのみち後楽園に搬入するリングは別に手配していたため大会は開催できたんだけどね。

――リングが道場から盗まれたって凄い話ですね。

戸井 いろいろとあったんだよ。

――そもそも戸井さんのプロレス業界への入り口となったリングスタッフを志願したのはどんな経緯があったんですか?

戸井 高校生の頃に帰宅部でバイトばっかりやっててさ、何かプロレスに関わることをやってみたいなって。

――帰宅部で特にスポーツもしていなくて、よくリングスタッフを志望しまたね。

戸井 会場のイス並べとか、チケットのもぎりをやらせてもらえるかと、凄く気軽に考えて電話したんだよね。「高校生でもできる仕事はないですか?」って、新日本プロレス本社に。そうしたら「専門の業者がいるから、そこに当たってください」って、YMエンタープライズ(リング設営業者)の連絡先を教えられて。高校2年生の夏休みですよ。リング屋デビューは昭和54年(1979年)8月、品川プリンスホテル・ゴールドホールだったかな。人生ちょっと変わったよね。えらいキツくてさ(苦笑)。ついていけなくて、こんなことじゃいけないなって。そこから毎日毎日、スクワットに腕立て、階段の昇り降りをね……。

――プロレスラーになるためではなく、リング作りをするために鍛え始めたと(笑)。珍しいケースですね。

戸井 かもしれない(苦笑)。あわよくばプロレスラーに……ってことがないわけじゃなかっただろうけど、狭き門だったしさ、その世界に触れてみたいって単純にそういう気持ちだよねぇ。

――問い合わせたのが新日本だったのは、特にファンだったとかですか?

戸井 いや、新日本、全日本、国際の3団体全部、観てたよ。たまたまだったかな。それまでは入場料を払って観てたのが、会場を作ってリングを運んで売店に立って、タイガー・ジェット・シンが入場のときに大暴れしてるのを目の当たりに見て……何かスイッチが入ったね。

――旧UWFの旗揚げがその5年後ですから、リングスタッフ歴はそれなりに長かったんですね。

戸井 UWFの旗揚げが昭和59年(84年)4月だから……大学4年になったときか。あのオープニングシリーズは全部巡業に付いたね。

――大学4年生というと、就職はもう内定していたんですか?

戸井 全然決まってなかった、これが。

――すると、なんならこのままリング業者に入ってしまおうかというような…。

戸井 リングの仕事は好きだったよ。このまま仕事にと考えないこともなかったけどね。
まぁ、結局は1年留年しちゃってさ。そこで初めて、まっとうにってわけじゃないけど、ちょっと考えようかなって。

――となると、旧UWFには活動停止まで関わったわけですか?

戸井 うん。旗揚げから全部、ずっと関わったね。オレが本当なら大学を卒業するはずだった年(旗揚げ2年目)の春には浅子さん(文晴=のちのサンボ浅子)が営業で入ってきたんだよね。神(真慈)さんや鈴木(浩允)さんともよく喋ったよ。凄い頑張ってたよね。

――当時の若手では、中野龍雄選手が戸井さんがW★INGでデビュー後、会場に激励に来たことがありましたよね。

戸井 ああ~。来てくれたね。だけど、それっきりで交流は途絶えて。「どんなものかな?」と観に来て、「一緒にされたくない!」と思って帰ったんじゃないのかな?(苦笑)。UWF連合と(大仁田邪道軍の)抗争が勃発したとき、乱入してきた中野選手にバシッとやられたけどね。懐かしかったよ。旧UWF時代、神田(秀宣)選手や広松(智)選手(とは後楽園に格闘技の試合を観に行ったりしたね。中野選手は若手の間でちょっと浮いてたかな(笑)。

  それでね、リングの仕事を始めて自分なりに身体も鍛えてたもんだから、ちょっと勘違いしてたんだろうね。巡業先の地元のバイトの子たちと組み上げたリングでプロレスごっこをするじゃない。それを一番で会場入りしてきた藤原組長が見とがめて怒り狂って。また、浦田社長が逮捕されて雰囲気がギスギスしてた時期だったんだよね。もう30分ぐらい関節技の実験台にされたね、「ギャー」って悲鳴を上げて(苦笑)。いい思い出だね。
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https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1817475

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めっちゃいい話やん
4ヶ月前
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