プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は西村修さん、グラン浜田さん、永島勝司さんを語ります!(3月に配信されたものを編集した記事です)
――今回は、先日お亡くなりました西村修さん、グラン浜田さん、永島勝司さんのことの思い出を振り返っていただきます。まず西村さんは闘病中でしたが、退院したばかりだったので急でした。
小佐野 まだ53歳、若すぎるよねぇ。
――西村さんとは古いお付き合いですよね。
小佐野 そうですね。いつ西村くんと知り合いになったのかをたどってたんですが、思い出せない。たぶん新日本プロレス時代なんだけど、もしかしたら海外修行から帰ってきたぐらいなのかなあ。去年の今頃、癌がステージ4だということがわかって、8月にドリー・ファンク・ジュニアとタッグを組んで大仁田厚との電流爆破デスマッチをやりましたよね。
――84歳のドリーさんと癌ステージ4の西村さんの電流爆破……。
小佐野 ドリーのトークショーや試合後のインタビューなんかは西村くんがセッティングしてくれて。「体調はどうなの?」って聞いたら「ドリーさんが帰国したらまた入院します」なんて言っててね。
――いろんな意味で身体を張ってたわけですねぇ。
小佐野 ここ何年間かはドリーが来日するとGスピリッツでインタビューを毎回してたんだけども、毎回西村くんがセッティングしてくれたんです。
――それはドリーさんから信頼されていたってことですか?
小佐野 そういうことだよね。ドリーさんの奥さんであるマーティ夫人は、まあ一部のファンに知られているけどもけっこう強烈な御方で(笑)。2人の面倒を見られる日本人は西村修だったわけですよ。
――弟のテリー・ファンクとドリーの仲がこじれたのはマーティ夫人の存在も理由のひとつと言われてますね(笑)。西村さんはマーティ夫人もコントロールできると。
小佐野 ドリーさんがやってるフロルダのローカル団体で西村くんがチャンピオンだったんだけど、知らないあいだにベルトを落としたんだよ。「あれ、いつベルトを取られちゃったの?」って聞いたら「いや、マーティさんとケンカして剥奪されました(笑)」って。
――ハハハハハ!世界最強のコミッショナーですね(笑)。
小佐野 で、また仲直りするとまたチャンピオンに返り咲くと(笑)。西村さんのお通夜には出させてもらったんですが、びっくりしたのがジョー・マレンコに会いました。
――わざわざフロリダから!
小佐野 マスコミの人もあんまり気づかなかったんじゃないかな。
――そこはカール・ゴッチさん繋がりなんですかね? 晩年のゴッチさんをお世話してたのは西村さんですよね。
小佐野 そうそう。ほら、ゴッチさんのお墓を南千住の回向院に作るときもジョー・マレンコがゴッチさんのお骨を持ってきたでしょ。ちなみに回向院の住職は私が高校生時代にやっていた新日本ファンクラブ『炎のファイター』の会員だったんです(笑)。
――すごい繋がりです(笑)。
小佐野 あの電流爆破のあとの10月に、映画『いかレスラー』20周年記念と西村修を応援しようという上映会イベントが池袋であったんですよ。
――西村さんは伝説のカルト映画『いかレスラー』の主演でしたねぇ。
小佐野 そのときの西村くんはかなり具合が悪くてね。いつもはすごく理路整然と喋れるんだけど、質問されて答えてるうちに質問を忘れてしまう状態だったんですね。本人もあらかじめ「受け答えがおかしくなっちゃうけど、勘弁してください」と言っていて。でも、今年の新日本イッテンヨン東京ドームを家族で観戦に来てたときは脳の手術も終わってて。一時期むくんでいた顔もシュッとしていたし、普通に会話ができていたから。その矢先のことだったんで……。
・西村修の藤波辰爾への思い
・前代未聞だった無我離脱
・グラン浜田がいなかったら日本のルチャはない
・永島勝司の重要な役割
・東スポ流は永島さんから始まった?……10000字の記事はまだまだ続く
この続きとRIZIN男祭り、佐藤将光、水野新太、木村響子、ウナギ・サヤカvs前田日明…などの「記事15本14万字詰め合わせ」が800円(税込み)が読める詰め合わせセットはコチラ
この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事200円から購入できます!
コメント
コメントを書く新間氏追悼もお願いします
小佐野さんの安定感はピカイチ
楽しみにしてます
またお願いします