スーパーFMWのサイトより
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は頑固一徹! 追悼・ターザン後藤さんです。
――今年の5月29日にお亡くなりになったターザン後藤さんについてお聞きします。
小佐野 突然のことだったので、ちょっとビックリしました。去年の12月に電話でしゃべってるんですよ。私が書いた三沢光晴の本に協力してもらった関係で、謝礼の振り込み先を聞いたときが最後かな。そのときは全然元気で。その取材のときも直接は会ってなくて電話取材だったんです。
――小佐野さんが後藤さんと知り合ったのは全日本プロレスの時代ですよね。
小佐野 彼が九重部屋をやめて、全日本へ入ってきたのは80年の4月。私が『ゴング』でアルバイトを始めたのが80年の3月なんですよ。その頃の『ゴング』は週刊誌じゃなくて、現場に毎日出ていたわけじゃないから選手と密だったわけではないけれども。いつも「お疲れさまでございます」とすごく丁寧に挨拶してくれる新弟子の印象がありましたね。親しくなったのは、日本テレビ系列の『底ぬけ脱線ゲーム』の特番があったからです。全日本の選手も参加していて、私が取材に行ったら、現場で後藤から声を掛けられて「すいません、誰かアイドルと写真を撮ってもらえませんか」と(笑)。番組に出演していた石川秀美に声を掛けて、ツーショット写真を撮ってあげたんです。
――取材の体でプライベートショットを(笑)。
小佐野 それをパネルにしてあげたら、彼は実家に送ったみたいです(笑)。で、彼は相撲出身で気が利くから、まだ未成年なのにウイスキーの瓶を持ってきて「この前はありがとうございました」と。
――大人の世界がわかってるんですね(笑)。
小佐野 あと全日本プロレスのグアム合宿で一緒に酒を飲んだりしてね。週刊になる前に親しくなった初めての全日本の選手かもしれない。当時の全日本に若い選手っていなかったから。三沢(光晴)が入ってきたのはその1年後。週刊の時点で若い選手は1個上の冬木(弘道)さん、1個下の三沢、2個下の川田(利明)と後藤。新日本には若い選手がいっぱいいたけど、全日本はみんなおじさんばっかりだから。
――そういう世界で若手が新弟子からやっていくのは大変だったんでしょうね。
小佐野 彼の入った頃の若手は越中詩郎さんぐらいしかいなかった。そのあと何人か入ってきてんだけど、みんなやめちゃうんだよねぇ。私は『ゴング』に入る前は新日本のファンクラブをやっていて、新日本の選手は知ってたけども全日本の選手って知らない。それに年上の人ってなんとなく近づきにくいから、自然と若い子たちとまず仲良くなっていきますよね。
――後藤さんというとコワモテのイメージがありますけど、当時はどういう方だったんですか?
小佐野 コワモテといっても、結局はターザン後藤にリングネームを変えて、ヒゲを生やして、コスチュームもワンショルダーのアニマル柄になってからだから。もともと童顔だから以前は子供っぽく見えたんです。性格は真面目で細かい。彼が寮長になったときは厳しかったよ。「夜遊びしちゃダメ」とか(笑)。きっちりした人だった。
――川田さんとは同い歳だけど先輩だったり、年下の後輩に三沢さんが売り出されたり、けっこう複雑な立場ですよね。
小佐野 後藤いわく「自分のほうが年下だから、ことさら三沢に対して先輩風を吹かせてたと思うけど、三沢のほうが大人だったから、そのへんは許してくれてた」と。三沢がタイガーマスクになってスターになっても、ずっと「後藤さん」って変わらず接してくれたと。後藤はずっと三沢のことは意識してたみたい。彼は三沢みたいな華麗なファイターではなくパワーファイター。当時のコーチ役だった佐藤昭雄さんに「彼らと同じ動きしたって誰も喜ばないよ。おまえは動くな。荒々しくやれ」と。初めの頃は「自分も三沢と同じ動きができる」とハイスパートなプロレスやってたら、昭雄さんから「おまえがやるプロレスはそれじゃないよ」と注意されて。馬場さんからは「やれることは何でもやれ」って言われてたんだけどね。昭雄さんの指示でヒゲを伸ばして、タイツも変えて“ターザン後藤”にしてもらった。
――後藤さんの腕組みイメージは佐藤昭雄さんのプロデュースからきてるんですね。
小佐野 試合にしてもバタバタ動かず重厚にやりながらも飽きさせない。昭雄さんがいなかったら、なかなか芽が出なかったと思う。いつまでたっても小僧みたいな感じだったし、やっぱり三沢や川田のほうが顔つきは精悍だから。後藤は目がクリクリっとしてて、ヒゲがなかったらかわいい顔立ち。昭雄さんにしてみれば、若手をそれぞれに個性を持たせて、ちゃんと育ててあげたいっていう思いがあったんだろうね。
――あのキャラクターは“ターザン後藤”以外の何者でもないですもんねぇ。
小佐野 海外遠征に行く前にロード・ウォリアーズとテレビマッチで抜擢されて。秒殺で負けたとはいえテレビに出してもらったからね。それは彼が頑丈だからウォリアーズ相手でも大丈夫ってこともあった。
――相撲出身の頑丈さですね。
小佐野 彼は八角理事長と同期だからね。
――つまり安田(忠夫)さんとも同じってことですよね。すごいメンツです(笑)。
小佐野 彼がようやく海外修行に出れるようになったとき、いずれ三沢の敵役みたいな感じで戻れたらいいなって気持ちはあったみたいだね。
コメント
コメントを書くいい記事でした。小佐野さんの最後の発言も心に染みた。