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自民党元幹部たちが「晋三総理に物申したい」 と安保法制反対を訴えた
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* 堀潤のテレビでは言えない話 vol.42 *
~自民党からも聞こえ始めた安保法制反対~
発行:8bitNews 2015.6.14
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みなさん、こんにちは。
堀です。
先日あわせて3日間、沖縄に取材に行ってきました。今月23日の「慰霊の日」にあわせて、僕がナビゲーターを務めるJ-WAVE JAM THE WORLDで2時間の特番を組むための取材でした。
「慰霊の日」を皆さんはご存知ですか?太平洋戦争末期、あの凄惨な沖縄戦が終結した日として定められており、沖縄ではかつてこの日を島民の祝日にして皆で死者を悼んだといいます。およそ20万人が犠牲になった沖縄戦。一般市民が数多く命を落としました。なぜ、沖縄では市民がこれほどまで多く死ななくてはならなかったのか。
今回の取材では1925年生まれ、今年90歳を迎える元沖縄県知事の大田昌秀さんをはじめ、白梅学徒隊に参加していた女性など様々な立場の方々にお話を伺っていました。大田さんの証言は貴重でした。
「皇民化教育がある意味最も成功したのが沖縄で、本土に比べると純粋培養される土壌があったんです」と沖縄の特異性を語ります。日米開戦前、東京をはじめ本土の都市部では欧米からの本や映画などに触れる機会が日常生活の中であったといいます。学生たちなどは日本以外の国々の多様な文化を知っていたのです。
以前、海軍兵学校から特攻隊員として部隊に配置された男性にお話を伺ったことがあります。慶應大学からの学徒兵です。その方は学生時代に第一次世界大戦のドイツ志願兵士を描いた「西部戦線異常なし」を読んで、戦争の不条理さを知ったと言います。それだけに、大本営発表をはじめ軍部の言うことには距離感をもって接していたと言います。「天皇のために、御国のために命を捧げるのではない」心の中でそう思っていたと打ち明けてくださいました。
ところが、大田元知事の話によると沖縄では県議会の議決により、そうした書物や映画などは本土から運ばれてきたとしても港で全て廃棄させられたと証言しています。
他にも様々なお話を伺っていますので、23日の放送はぜひお聞きいただけますと幸いです。
その他、沖縄取材中に地元の方々から「安保マフィア」という言葉もききました。所謂基地利権です。このあたりのお話も追い追いしてまいりますのでお待ちください。
さて、今回は今月12日に、日本記者クラブで行われた「自民党元幹部たち」による記者会見の模様をお伝えします。
J-WAVE JAM THE WORLD金曜日の放送に堀がゲスト出演した際のやりとりをベースにご覧ください。
*******************************************************《SS》 為末 J-WAVE JAM THE WORLD。 金曜日は為末大がお送りしています。 つづいてはCUTTING EDGEのコーナーです。
きょう、『日本記者クラブ』で注目の記者会見が行われました。 山﨑拓(やまざき・たく)さん、亀井静香(かめい・しずか)さ ん、 藤井裕久(ふじい・ひろひさ)さん、武村正義(たけむら・まさよし)さんなど、 かつて、自民党の幹部を務めたり閣僚だった方々が顔を揃え・・・ 『安保関連法案』に反対する記者会見を行いました。
そこでは何が語られたのでしょうか? この記者会見を取材されていた・・・
JAM THE WORLD火曜日担当のナビゲーターでジャーナリストの 堀潤さんにお話を伺います。 もしもし、堀さん。こんばんは、よろしくお願いします!Q:事前のプレスリリースでは・・・古賀誠さんの名前も挙っていました が・・・。記者会見には現れなかったのですか?
*今日午後1時からの会見で始まる15分程前に、「古賀誠さんは欠席です」 というアナウンスがありましたが、昨日問い合わせた段階で既に欠席が決まっ ていました。欠席の理由についてまず山崎さんが「よんどころのない事情によ り出席が難しいということだった。」と説明して始まりました。よんどころの ない事情が何かはわかりません。ただ、自民党で幹事長を務めた古賀さんは宏池会名誉会長でもあります。自民党内でもハト派で知られています。最近では テレビ番組や会合の場で公然と安倍総理大臣を批判してきました。「自分が最高責任者だから自分で決めるというのは、愚かな坊ちゃん総理だ」「自民党の先生方、なぜ黙っているんだ」と安倍総理の政権運営や自民党内から異論があ がらない様子に奮起を促していました。私も実は昨年秋に宏池会系の議員が多数集まる会合に参加したのですが、そこに主賓として招かれた古賀さんがこうスピーチをしました。聴衆を前に安倍政権の当時の閣僚の顔ぶれなどに触れて 「信用してはいけない」などとやや冗談めかして発言し会場から拍手を受けていました。
実は、
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《権力とメディアについて考える》圧力と闘ったNHKプロデューサーと語る
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* 堀潤のテレビでは言えない話 vol.41 *
~権力とメディアについて考える~
発行:8bitNews 2015.5.23
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みなさん、こんにちは。
堀です。
今、名古屋にいます。テレビ愛知の討論番組「激論!コロシアム」の収録の合間です。
今夜のテーマは「大阪都構想論争」について、東京都の石原慎太郎元知事、大阪府の太田房江元知事などをスタジオにお呼びし議論しました。
石原氏といえば、橋下氏とは共に日本維新の会で共同代表をつとめた仲。
住民投票終了後、引退を表明した橋下氏とは、その直後に電話で1時間話をしたそうです。
その中で何を語ったのか。今夜のテレビ愛知「激論コロシアム」でお伝えします。
また、太田房江さんは橋下氏に反対して共産党との共闘を選んだ自民党大阪市議団を支持。自民党党本部の方針とはねじれもありました。
ご本人いわく、党本部からのプレッシャーもあったとか。何故なら、自民党本部にとっては、国政の場で「憲法改正」手続きを進めるのに自民党と維新の党との関係を良好に保っておくことが非常に重要。舞台裏を太田房江参議院議員が言及しています。その辺りは、今夜のニコ生「みんなのクロス」でも紹介しますのでテレビ愛知「激論!コロシアム」とあわせてぜひごらんください。
さて、今回のブロマガでは「権力とメディアを考える」と題して、NHKの元プロデューサー永田浩三さんとのJ-WAVE JAM THE WORLDでの対談をお伝えします。
2001年に制作し放送した「ETV2001戦争をどう裁くか?問われる戦時暴力」が政治家によって番組内容を改変させられたという疑惑が持ち上がった際の当事者です。
永田さんはどうこの問題と向き合ったのか。真相を語っています。ぜひお読みください。****************************************************************************
堀)
先月31日、自民党はNHKとテレビ朝日の幹部を呼び出し報道番組の内容について
事情聴取をしたことをきっかけに「政治圧力ではないか」との批判が出ています。
そこで今夜は2001年、慰安婦問題を取り上げ、「政治圧力を受けたのではないか」と
物議をかもしたNHKの番組、ETV特集のプロデューサーをされていた元NHK職員で
武蔵大学社会学部教授、永田浩三さんをお迎いしてお話を伺います。
永田さん、こんばんは。
永田)
こんばんは、よろしくお願いします。
堀)
永田さん、僕は感慨深いですよ。僕は入局したのが2001年。
まさにこの問題が始まった頃、当時、局内にいて若手、新人の職員としては研修を受ける度に
この問題を引き起こしのはあくまでも、問題があったのはNHKの内部のプロデューサー達。
そういうような印象の話をよく受けて。
でも、僕らは介入があった。これは本当じゃないのか?果たしてここで屈していいのか?とかですね、いろいろな葛藤を持ちながら永田さん達の動向を、ある種内側から観察する側にいたんですね。
でも、そういった永田さん、先輩達の姿を見ていたので。
ある種、放送は常に権力からそういう弱い立場にあるんじゃないか、という視点で向き合うようになったんですね。
永田さんが、NHK時代にどう対峙してきたのかはこのあと、詳しくお話を伺っていきます。
まずは政治圧力騒動の発端とされている3月27日に放送されたテレビ朝日の「報道ステーション」について永田さんはあの日の放送をご覧になっていますしたか?
永田)
そうですね。夜、なるべく「報道ステーション」見るようにはしているんですけど。
ドキドキしながらあの夜は見てましたね。
私が前にNHKにいたとき、一番長かったのが「クローズアップ現代」という番組なんですけど。
今年、23年目。その内、8年間プロデューサーをしていて「編責(編集責任者)」も4年やっていたんですけど。
あの放送を見て思ったのは、自分はスタジオを見ている副調整室で腕組んでプロデューサーとして立ち会っていたら、どう振る舞っただろうか?
CMを途中挟むんですけど、立て直すことなんて、たぶん出来ないだろうということで、
ドキドキしてて。
あの古賀さんの発言もいろいろ読み解いてみたんですけど。
あのとき、リアルタイムでは、実は古賀さんと古舘さんはある程打合せが出来ていて、
古舘さんはかなりきつく古賀さんにあたるんですけど。
打合せの結果を見せてるんだろうと最初思って見てたんですよ。
堀)
ある種、折り込み済み。だから番組の方でも古賀さんをあの時点で呼ぶということは
それなりの発言は予想されているわけですし。
永田)
だから、堀さんもNHKにいらっしゃったからお分かりになると思うんですが、
NHKだとスタジオのゲストとそれなりに打合せもするわけですよね。
堀)
それなりどころか、何度もリハーサルも重ね、一言一句違わぬようにという空気があって放送に臨みますから。
永田)
だから、いきなりあのように始まってしまったら…後で、わかるんですけど。
それは凄くびっくりしましたし。
堀)
制作側としては驚くでしょうね。
永田)
あそこで古舘さんに同じ仲間としてつれないじゃないかっていうこととか、
テレ朝の幹部や古舘さんの会社についても文句言ってましたし。
官房長官の菅さんについても言っていて。
あとは、視聴者に向けてガンジーの言葉を引いて、いろいろ仰ったわけですけども、
考えてみればですね、一昨日は憲法記念日で3万人の集会があったわけですけれども、
憲法をこれからどうするのか、原発はどうするのとか、辺野古の基地はどうするのとか
問題山積みの中でメディアはもっとしっかりしようよ、テレビはもっとしっかりしようという
メッセージが古賀さんの根幹にはあったと。
で、そのことは僕は拍手を送りたいって実は思っているんです。
堀)
なかなか、物言えぬ空気が作らてれしまっているところは何とか打破していきたい。
永田)
そうです。だから確かにいきなりスタジオで始まるのはびっくりするし、僕がプロデューサーとしても本当にどうしたかなっていうぐらい驚いたわけですけど。
堀)
古賀さん、やるんだったら一言、言ってよと。
永田)
そうそう(笑)一言、言ってよって感じです。
だけども、アレもひとつの放送の有り様で。
歴史的な番組だったなって思いますね。
堀)
古賀茂明さんは番組コメンテーター降板の背景には、政治的な圧力あったんだという見解を示したわけですよね。
しかし、その後テレビ朝日側は圧力めいたものはなかった。
そして、あくまでも、コメンテーターの人選も通常の春の改変に伴うものだと見解を示した。
さらには、つい最近ですが、社内処分をして不適切だったということで、テレビ朝日局内で処分をするなどして。
放送法に照らし合わせても不適切だったというような対応にでていますね。
この古賀さんの見解とテレビ朝日側の見解の食い違いというのは、永田さんの目から見ると
どのように分析されてますか?
永田)
古賀さんは一人の出演者でいらっしゃるので、古賀さんから見えていた「報道ステーション」の
演出というのは真実だと思うんですね。
ただ、人事移動とか処分というのはいろいろな理由が付けられますから。
つまり、移動なんていうのは左遷であっても形式的には昇格になったりということはよくありますよね?
堀)
そうですね。
永田)
だから、本当の何て言うんですかね?
実はよく分からない。
だから、テレ朝はテレ朝なりの弁解が必要だったと思いますけれども、
私は古賀さんの言い分のそれなりに根拠がるようにずっと思っていますね。
堀)
僕はテレビ朝日がですね、社内処分をしたということについて、
必要なかったんじゃないかなと思うんですね。
例えそれがいろいろな世論から批判を浴びたとしても、テレビ局側としてはあの時点で
あのような放送をしたということが、古舘さんもあのような形で反論している訳ですし、
何か極めて不公平だったかと言われるとそうは思えないんですよね。
永田)
そうなんです。一生懸命あの中で古舘さんはバランスを取ろうとしてたと思います。
堀さんも司会とかキャスターをやられた経験としてですね、どうやって、あのリアルタイムでの混乱を終息させながら前に進めていくかということで、できる限りの事はやったと思いますね。
だから、あれが処分にあたるというのはちょっと意外に思うんです。
堀)
実際、政権与党による放送メディアに対する圧力という表現を用いたときに
これらの定義となるような考え方というのは?
永田)
難しいですね。
政治家というのは政治家自身は、つまり国民の代表である、視聴者の代表であると思ってるわけですから、放送がおかしいなと感じたら電話もかけてくるし、乗り込んできたりもしますよ。
それは正当な政治家としての振る舞いだと、政治家の方は思っている。
しかし、それをどこまでやって良いかということが問題だと思うんです。
放送メディアに対しての圧力というのは何を圧力というのか、ということなんですけど、
今言ったような乗り込んでくるとか、今回のように呼びつけるというのは分かりやすいんですけど、もうちょっと分かりにくいのが日常的にあるわけです。
NHKで言えば、年度ごとにその事業計画や予算を国会で承認されるということで、
その政権与党のご機嫌を損ねるわけにはいかないということで、特に3月とかに向けての
1月2月というのはあまり政権が嫌がるような番組は避けようねみたいなことが起きるわけです。これを政治圧力というのか、自粛っていうのはなかなか難しいところだと思います。
堀)
情報をコントロールする側の立場に立つと自分が何か明確な命令を下さなくとも
現場がそんたくして思うように情報が制限されていくこと。
この状況を作り上げることが逆に言うと犠牲者側の腕の見せ所みたいなところがあって、
永田)
そうだと思いますよ。
堀)
メディアと政治の関係って常にその戦いでしたよね?
永田)
本当にそうです。
堀)
なので、まさに、分かりやすく乗り込んで来てなんていうのは下手な政治家のやり方で、
それに対して放送局側がうまくどう切り返していくのかっていうのが、
本来は享受を持ったメディア人のスタンスを問われるところですよね。
永田)
テレ朝の番組の件で見てみても、生放送なんていうのは、もう始まってしまえば
出てる人がどう喋るかなんて実はチェックのしようがない世界だと思うんです。
ラジオも同じだと思います。
で、そういう中で前もって自粛の構えを放送者側が持っているかということが
実は決めてなのであって。
出たものについて文句を言うなんてことはあまり実は効果的ではないわけですから、
自粛してもらうっていうのが一番有効だと思いますよね。
堀)
永田さんはNHK時代に具体的にどのような経験をされてきたのでしょうか?
永田)
先ほど、堀さんが2001年のことに触れましたけど、2001年の1月30日の放送だったんですね「ETV特集」と仰いましたけど、番組は「ETV特集2001」ですね。
ちょうど、20世紀が終わるときにですね、戦争の時代と言われた20世紀を総括するということで、シリーズ4本の中の2本目に「慰安婦問題」を取り上げたんです。
その放送の中身をめぐって、すったもんだあったわけです。
簡単に言えば、今の慰安婦をめぐる論争の先駆けっていいますかね、
証言している方の真実性はどこまであるのか、日本政府にどこまで責任があるのか、
国際的にそれは果たして責任があるなしと、はっきり言えるのかどうか、みたいなこと等を問うてた番組なんですけど。
その放送前日にですね、現総理の安部さんがNHKの幹部と会って。
これを呼びつけたのか自主的に行ったのか分かりません。
でも、会ったその足でプロデューサーである私たちに劇的な番組の変更を命じた。
外形的事実はあると。
政治家に会って、即これまで合意していた番組を変えてしまうということは、
政治圧力ではないかと疑われた事件なんですね。
放送は劇的に変わってしまったわけですけど、この時に、つまり「放送がおかしいのではないか?」とかいろいろ市民の方たちから指摘も受けて、裁判も起きるわけです。
この時に私が思ったのはNHK側の非をなかなか、NHKのプロデューサーとして表に出せなかった後悔があるわけです。
いろいろ恥ずかしいことがあって、黙っていた長い時間があったわけです。
結果的には全部オープンにしてNHKとサヨナラするということになるんですけど、
今回のテレ朝の出来事も同じなんですけれども、どうやって市民と放送局が繋がれるかということが当時は実は出来なかったと思います。
堀)
僕はそういゆのを見ながら局内で育っていったので、絶対に何かあったら表にきちんと言おうと
思ってましたけど。
でも、まぁ大変ですよね?
このあと、後半にもさらに伺っていきます。
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「戦後40年」を考える 平和を語ると「ヘイワ」と揶揄される時代に
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* 堀潤のテレビでは言えない話 vol.40 *
~ベトナム戦争終結から40年を考える~
発行:8bitNews 2015.5.9
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みなさん、こんにちは。
堀です。
今週からニコ生でのニュース解説番組「みんなのクロス」をスタートさせました。
NHK退職後、批評家の宇野常寛さんの計らいですぐにニコ生でのブロマガをはじめ、平日夜は毎晩「ネルマエニュース」の放送を続けてきました。
組織を離れ、孤立しがちな中、ニコ生ユーザーの皆さんとのやりとりにどれだけ支えられたか。本当にありがとうございます。
退職から2年。NPO法人8bitNewsの代表として市民発信の発展に力をいれる一方で、幸いにして、WEB、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌と様々なメディアで発信を続けられています。多くの人たちの理解に支えられここまで過ごすことができました。
とても感謝しています。
一方で、業務が拡大する中ニコ生での発信が極端に少なくなってしまい申し訳無く思っておりました。
そこで、この5月から専属のスタッフを雇い、ニコ生での再出発をはかることを決心。
週二回の生放送とブログの定期発信を再スタートさせることにしました。
専属スタッフは「やまだちゃん」といって、実は僕が平日毎朝7時からTOKYOMXで放送している「モーニングCROSS」のアシスタントプロデューサーとして番組立ち上げから関わってきた人物です。春からフリーランスになりましたので、僕らの仲間になってもらうことにしました。
このブログも時々「やまだちゃん」が登場するかと思いますので、お見知り置きを。みなさん、ぜひこれからも引き続きよろしくお願いいたします!
さて、復帰第一弾は、ジャーナリストの野中章弘さんとの対談です。先日、J-WAVEのスタジオにお招きし、「映画『ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実』から考える戦争の不条理さ」と題して、終結から40年を迎えたベトナム戦争を通じて、戦争と平和についてあらためて考えるお話を伺いました。ぜひみなさんにもシェアできたらと思い、対談の全文を掲載いたします。今夜9日夜7時からの堀のニコ生「みんなのクロス」でもベトナム戦争について取り上げますので、関心のある方はぜひごらんください。
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ベトナム戦争終結から40年を迎えました。
そんな中、皆さんにご紹介したいドキュメンタリー映画があります。実は、1975年にアカデミー賞の最優秀長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した映画「ハーツ&マインズ ベトナム戦争の真実」が今、リバイバル上映されてるんです。日本各地で。
ベトナム戦争を扱った、所謂、事実を基にしたドラマの映画はご覧になった方は多いと思いますが、ドキュメンタリーでの映像ですから、当時の貴重な戦闘の様子、生々しい証言、そして、政権の内側にいるよ
うな人間の証言なども記録されてるんです。今見ても全く色褪せない。
※映画「ハーツ・アンズ・マインズ」予告編
https://youtu.be/aS7QfGR2CHs今夜はジャーナリストとしてベトナムを取材された経験もある、アジアプレスインターナショナル代表で早稲田大学政治経済学術院、ジャーナリズム大学院の教授でいらっしゃいます、野中章弘さんをお迎えして「ハーツ&マインズ ベトナム戦争の真実」から見えてくる戦争の不条理さ、
そして、戦後70年をむかえる今、私たちが考えるべき課題について、お話を伺います。
野中さん、こんばんは。
野中)
こんばんは。
堀)
よろしくお願いします。この映画、改めて僕も見てみまして、テーマとして、色褪せないどころか、今まさに我々が考えなくてはいけない課題を提示している作品だなと思って見ました。
野中さんはいかがですか?
野中)
40年前に作られた映画ですけど、今見ても本当にものすごいインパクトがあるんですよね。
インパクトがあるというのは、単に映像がショッキングだということではなくて、この映画が描いているもの、問題提起していることが今も、きちんと生きているということなんですね。
ですから、単に昔の戦争を振り返るというのではなくて、今、我々の世界がどうなっているのかという事を考える上でも、ものすごい貴重な示唆を与えてくれる映画なんです。
ですから僕も、10何回見ましたけど、本当に素晴らしい、ベトナム戦争のドキュメンタリー映画ですね。最高傑作のひとつです。
堀)
ある種、そこに大義があるかのように旗を立てて、国民を熱狂させ、ベトナム戦争を遂行する。
ところが、そこで見えてきた戦争の不条理さの中でジワジワと声を上げる人たちがいる。
軍隊から逃げ出そう、でも戻ってきて真実を伝えたいと。そういう思いで法廷に立ったり。
ところが、蓋を開けてみると非常に政府の思惑というのが、国民に見ない形で様々なものが渦巻いていて。それをまた内部告発していくような様子。非常にこの様子というのは、ひょっとしたら今、日本も特定秘密保護法が施行されたりだとか。こうして、どんどん、日米ガイドラインの見直しとか、集団的自衛権行使容認とか。僕らの手の離れたところで話が進んでいく中で立ち返って考えるにはいい機会になりそうですよね?
若いリスナーの皆さんの中には、そもそもベトナム戦争のことを知らないという方もいらっしゃると思うです。ベトナム戦争当時、野中さんはおいくつでしたか?
野中)
僕は1969年に高校に入って72年に大学だったんですね。ですから、ちょうど、中学高校大学とその時代はベトナム戦争はずっと続いていた時代でした。
堀)
どのような報道をご覧になっていたんですか?
野中)
その当時は、今の若いリスナーの人たちは全く覚えないと思いますけど。ちょうど、スチューデントパワーと言ってですね、若い学生たちが反権力ということで戦っていた。街頭の出ていた時代なんですよね。
特にベトナム戦争の場合は沖縄から米兵がベトナムへ戦いに行くということとか。それから、たくさんの日本人のジャーナリストがベトナム現地に行って戦場の実態を伝えてきたんですね。
ですから、そういう時代の風をずっと感じてましたのでね、「この戦争、これで本当にいいのか?」っていう思いを高校生の時代から思ってました。
堀)
この映画の中でかなりアメリカの政府に対しても厳しい批判的な声というのを取材して表に出して行く。そしてアカデミー賞という舞台でも評価されていくわけですけど。
今見るとよく、こういう現地をきちんと引き出して記録してパブリックに出していったなという。ある種、報道の自由、言論の自由というのをどこかで担保しなくてはいけないというそうちが働いていたと思うんですが、今の時代と比較してみると野中さんはどうご覧になってますか?
野中)
ちょうどこの映画の中にも出てくるんですけど、40数年前ペンタゴンペーパーズとかですね。
覚えてる方もいるかもしれませんけど、ベトナム戦争の秘密記録を暴露するっていう人もこの映画には登場してくるんです。ですから、ある意味、アメリカのジャーナリズムが最も元気だった時代かもしれません。70年代というは。
ただ、その後、ここ20数年間に起きた戦争、湾岸戦争とかイラク戦争ではですね、国家が情報をコントロールする。ジャーナリストの活動を規制して、自分たちに不利なことはなるべく伝えないという情報コントロールが徹底してきましたのでね。
それから比べるとベトナム戦争、60年代後半~70年代にかけてのジャーナリストの取材というのは今と比べると考えられないくらい程、自由だったのかなと思いますね。
堀)
今は唯一、ウィキリークスのような存在があるから内部情報は外に出てくるという微かな希望と言ったらアレなんでしょうか…
当時のベトナム戦争の状況というのは、太平洋戦争、第二次世界大戦が1945年に終結して、朝鮮戦争もあって。その後の過程というのは改めて教えていただけますか?
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