ハックルベリーに会いに行く
ぼくから読者のみなさんに質問したいこと(1,806字)
先日、「教養論」という連載が終わりました。
「教養論」とは何か?
それは文字通り、教養についてぼくが論じるということでした。
「教養論」に限らず、ぼくがこのメルマガで連載しているものは、どれもこれといった計画があって書いているわけではありません。それについて深く考えたいから書いている、という場合が多いです。
そのため、ほとんどが書きながら何を書くか考えています。書きながら考え、その回の最後になって、次に何を考えたいかということが思い浮かびます。そこで次の回には、それについて書きながら考え、やっぱり最後で次に考えたいことが思い浮かぶ、ということの連続でした。もう考えたいことがなくなったらそこで連載も終了するという感じです。
こういう書き方をしていると、思わぬ気づきが得られます。思わぬアイデアが浮かんでくるのです。例えば「教養論」の中では、「直感」ということについて深く考えられたのが良かった。
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コメント
コメントを書く質問1について 申し訳ありませんが、まだ読んでおりません。連載小説ということですべてそろってから読もうと思っております。ハックルさんは度々、海外連続ドラマの話を良くなさっていますが、私は海外ドラマの面白さは都合のいい時にまとめて数十話観れることに意味があると思います。毎週、半年かけて観るドラマだったら恐らく間延びして途中で観なくなってしまう可能性が高いです。ですから、内容以前にこの毎週連載という方法が今の現状ではとっつきづらい方法なので私の選択は連載終了後に読むということにしています。
質問2について ハックルさんは常々「仕事がなくなる」という話をなさっています。コンピューターに脅かされるという内容ですが、これだと世界規模の話です。日本人限定となるとハックルさんの著書「競争考」から見るように日本人の競争力の低下が主な視点と考えます。昨今のあらゆる偽装工作が報道され、日本の組織の脆弱さが露呈してきました。その巨大化した組織のフットワークの鈍さが国際競争の中で勝ち残れない要因になると思います。そこで、国や組織に所属しないでフットワークの軽い個人が如何にして国際競争力を身に付けるかというテーマになるのではないかと想像します。
[質問1]
「台獣物語」についてどう思いますか?
面白いと感じます。台獣が動くところや、エミ子と度会との戦い、あとは学校の風景中での光と影などを映像として見たいと思います。
読者は、自分が癒す側の人間としてとして読み進めるのか、癒される側の人間として読み進めるのか、はたまた両方の立場で読み進めるのか、それにも興味があります。
[質問2]
「ニッポンの終わり」というタイトルを聞いて、みなさん、どんな内容を想像されますか?
日本をニッポンと表記することに意味があるのではないでしょうか。
つまり世界の中で、今、日本が持っている役割がなくなることを暗示しているのです。
そうなると現在のような経済活動は成り立たなくなり、普通に生活することが困難になる人の数が大幅に増える、ということでしょう。競争することすらままならない、という内容を想像します。
>[質問1]
>「台獣物語」についてどう思いますか?
私は仕事柄、流行りのライトノベルを読むことが多々あります。
「台獣物語」はそれらと比べると、知的で上品な印象を受けます。
しかし、表面上の味付けが薄くジャンクさが足りないと感じています。
個人的は楽しく拝読させて頂いていますし、今後の展開も気になりますが、
ライトノベルのメインターゲットの中高生が読むと、
少し刺激が足りないと感じる気がします。
>[質問2]
>「ニッポンの終わり」というタイトルを聞いて、みなさん、どんな内容を想像されますか?
「インターネットの台頭により、国境の概念が弱くなる。
競争力が低く、愛国心のない日本人は、他国の優秀な企業により蹂躙される。」
このような内容を想像します。
1の質問
あまりまだ楽しんではいないですね
前半だし、これからコンを2人がどうやってほぐしていくのか?天の岩戸どうなるのか?楽しみではありますが、小説の文体というかリズムはあまり好みではないです。
というか、小説は基本的に読まないです。
岩崎さんのブロマガくらいしか文章読んでない気がする
少年ジャンプを欠かさず読んでいた時以来の習慣です。
2の質問
武田信玄とかがいた戦国時代でも、領主は代わる代わる滅んだり再興したりしましたが土地の農民は絶えることはなかった的な話ですかね?
当時の日本は世界で藩は国というふうに今とは規模は違いますが。
「台獣物語」
ストーリーも楽しみですが、絵に興味を持っています。特に生徒会室でエミ子たち3人が長テーブルに座っている絵がいいですね。
高い窓から見下ろすアングル、光と影、生徒会室の中の細かい描写は、学生時代の昼下がりを、楽しく懐かしい気持ちで思い起こさせてくれます。
「ニッポンの終わり」
「まずいラーメン屋はどこへ消えた」の続編が読みたいと常々思っていました。
現状についてのまとまった分析、将来の予測、提言、特にネガティブな内容を、フラットな視点で、しかも分かり易い文章で書いた本は有りそうで無いものです。
「ニッポンの終わり」は、終わることを前提に淡々と当然のことのように準備をしている人達のネットワーク内では周知の事実なのでしょうが、私はやはり認めたくなくてスルーをしていました。
すぐに「ニッポンの終わり」を読みたいです。
ていうか、
小説はたしかに
村上りゅうのブルーと村上はるきね
初期のピンボールとダンスダンスしか
つか、ロビンソンクルーソーは読んだが
てか、
いま、
言いたいことを言わないと
ネットは時差がまだ微妙だから
金曜土曜を読んだから
興味沸いてる自分が
いるのは事実
私は事実が好きです
てか、若輩だから気負いはご愛嬌で
では、おやすみなさい
好きですよ
僭越ながらコメントをさせていただきます。
・『台獣物語』を拝読して。
アニメ化を前提とされていらっしゃるだけあって、映像のスピード感や、場面が変わる時の清潔感といいますか潔さのような物が文章からも感じることができて、とても想像力を刺激されます。これから主要人物も増えてきそうな感じなので、楽しみです。
お話の部分では、「物語」や「シャーマン」を題材とされてるようですので、それらを扱うこの『台獣物語』自体がどういった「物語」性や「シャーマニック」性を読み手である私自身にもたらすのか、その入れ子構造を楽しみながら読んでいます。
大変個人的な感想ですが、普段小説は本を右上から縦に読む習慣がついているのでその先入観のせいか、または、連載形式の小説を読んだことがないせいか、もしくは改行する場所がメールサービス依存のせいなのか、ほんの少しだけつっかかるなにかを感じます。本やアニメになると、『台獣物語』に対する印象や距離感が変わるかもしれません。
・『ニッポンの終わり』の内容を想像して。
岩崎先生の他のビジネス書のような作品の形式でも、もちろん面白そうなのですが、個人的には『ニッポンの終わり』という「小説」を読みたいなと思います。
『エースの系譜』のようなリアリティと哀愁のあるSFがあれば是非読んでみたいです。しかし、小説化するとなるとハッピーエンドの需要とかで先生の予測されている「ニッポンのエンディング」とは違うものになるのも本末転倒でしょうから、簡単にできるお話ではないのでしょうね。
「誰も意識してないけれども実際に起こること」をSFと呼ぶのかどうか恥ずかしながら存じあげませんが、私としては是非『ニッポンの終わり』を岩崎先生の「物語」として読んでみたいなと思います。
長文失礼いたしました。これからもメルマガでたくさんのご教授よろしくお願いいたします。