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ハックル先生が、以下についてご意見あれば、教えてください。
特になければスルーしていただいてかまいません。
個人対法人は、ご指摘の方法でいいんですが
法人対法人で、ブラック企業との取引を無くしたら、
競争に負けるとか、採算が大幅に悪化すると思いますが
どうしたらいいでしょうか?
また、
たとえばトラック業界は、すべての会社に違法がある状態ですが、
そもそも、法律が、妙に厳しすぎる面が多々あります。
それでも法ですから、違反したら違法行為になり、処分されます。
「違法行為があった」と表現され、業界知識の無い第三者は
さぞかし悪いことをしていたんだろうと解釈します。
法律をゆるくするわけにもいかないと思うんですが、
無人島で完全に自給自足でもしない限り、
トラック輸送に間接的にも無縁な個人・法人はいないと思うので
違法=ブラック企業とするならば
日本に住んでいる人は全員、
ブラック企業の違法行為によって得た違法な利益の恩恵を
間接的に受けているんですが、
どうしたら、違法を無くせるでしょうか?
自分に原因があるって大衆思考が考えなくなったかなーとかちょっと思います。
いじめの問題も似てるんですよね。
教師の力がもっと強かったら、いじめをしている生徒にもっとばしっとできると思うんですよね。
でも今、なにかあると、すぐに指導ではない、暴力だと、保護者に言われる訳です。
大人が必要以上に子どもを守ろうとした結果、
子どもが大人をなめきるようになり、教育者が子どもの問題に介入できなくなった。
熱血教師を排除したのは他ならぬ保護者です。
保護者の思いが極端に反映されすぎた。
でも保護者は教育者のせいにし、教育者は保護者に悩まされているとあてこすりをするのです。
昔も今も反目し合うのではなく、二人三脚で進もうとしなければ、きっとバランスのとれた教育は実現されないでしょう。
僕はお店での接客業に関わっていますが、やはり価格では通販にはかないません。
ですからお客さんが店にくること自体に安さ以上の価値を感じさせなければいけないと思ってます。
一言で言うと、『付加価値』ですね。
ひとつはおきゃくさんに「発見」を提供すること。
知ってる知らないでこんなに違いますよ!と、家でただ商品をポチってたらきづけなかったことの提供。
これはわかりやすくネットで買う以上の価値を実感してもらえます。あなたの案内をうけてよかった、これからの生活がより快適になると。
もうひとつは接客そのものの受け答えに価値を見いだしてもらうことです。
これは非常に難しいことなんですが、しかし、ハックルさんの言ってる『消費者の責任』はここにあると僕も思います。
「あなたの接客はよかった、丁寧に対応してくれた」ということに1万以上かけてよかったと思ってもらえるか。
つまりは『心意気』です
この心意気はいま、消費者の意識からはまったくもって遠ざかっています。
僕は一つに、これは情報化社会がもたらした
『比較』の意識のしすぎ、のせいじゃないかと思います。
なにが言いたいかというと「商品そのものの価値を自分で判断していない」んです。
比較の中、相場で決めている。
ずっと前に家電量販店で世界的に有名なスマートフォンが乗り換え0円で売られてて僕は驚愕しました。
発売から3、4ヶ月たったころだったと思います。
なぜなら僕にとってそのスマートフォンは4万以上の価値がある商品だと思っていたからです。
他の場所で買って満足した人もいるでしょう。
でも、これを知ったとき、定価で買った人はみんな「ああ、損した」と思う訳です。
「心意気?そんなものはくそくらえ」というわけです。
買った時に満足したことは一瞬で忘れます。どんな丁寧な案内を受けてても金額面では損は損なわけです。
「自分にとってその商品価格は対価であったか」と(販売時のサービスも含めて)考えられないのです。
だから付加価値を求めない人が増えていってるので、
単純に最安値の通販が流行っていくのは時代の必然なのだと思います。
さっき述べた僕の教育持論の繰り返しになりますけど、
自分の行いが自分に返ってくる意識を持ってる人ってほとんどいないんじゃないでしょうか。
『ハックルさんの言う通りブラック企業は消費者が生んでいる』
指摘が端的すぎておもわずこんなにも長文で反応してしまいました(笑
まとめると、このブロマガのシステムはすごいって言いたかったってことです。
>>1
法人対法人の場合も、結局それにアジャストできるビジネスモデルを構築していくしかないと思います。ブラックな企業との取引をやめた場合、価格面における競争力は落ちるでしょう。しかし、その代わりに他の面の競争力は上がるということもあると思います。例えば社会の信用が増すということがあるでしょう。
あるいは、条件が制約されれば、その分他の能力が進捗するということがあります。バランスにもよりますが、ある種の制約が成長のきっかけになるというのはよくあること。昔、ダルビッシュは高校時代に肩を痛めても登板しなければいけないことがあった。仕方なく力を入れずに投げていたら、そこで緩い球で打ち取る投球術を身につけた。そういうふうに、価格面での競争力が落ちたことを、他の能力を進捗するチャンスに転換するケースもあると思います。まあ、大変ではありますが。
あと道交法に関しては、行政のアリバイズ作りという面もあって、ことさら厳しくなっているというのはあります。例えば飲酒運転で問題が起きた時に、「法律が緩すぎるからこういう問題が起きたのでは?」と世間から非難を受けます。しかしそこで「いや我々はちゃんと取り締まってましたよ」と反論できるための証拠がほしいのです。だからあらかじめ厳しくしているのでしょう。
ですから、実際の施行に関しては比較的緩やかにしているということもあるでしょう。ある程度お目こぼしするというか。法律ぎちぎちにやっていると世の中うまく行かなくなるというのは歴史が証明しています。ある程度ケースバイケースで現場の裁量に任せることが社会を円滑に回していくこつだったりします。
こんなことを言ったら問題かもしれませんが、法律については必ずしも四角四面に考える必要はないと思います。またその意味で、法律を遵守していない企業が必ずしもブラックだとは言えないと思います。映画などによくあるシーンで、誰かが瀕死の重体になって車で搬送する際、交通規則を守っていたら間に合わないから飛ばしていたとします。すると、パトカーに止められて切符を切られそうになった。しかしそこで事情を話したら、パトカー自身がサイレンを鳴らして先導してくれ助かった。これだって、立派な道交法違反ではありますが、誰からも責められないと思います。くり返しになりますが、法律は四角四面に考える必要はなく、社会のストレスをなるべく少なく、円滑に回していくことがだいじであると考えます。
>>3
今は価格ばかりがクローズアップされていますが、そのうち揺り戻しが来ると思います。なぜなら、誰もが消費者であると同時に事業者でもあるからです。
例えばぼくちんさんも、スマホを買う消費者でありながら、飲食で働く事業者。だから、消費者の時はつい価格に目がいくけど、でも待てよ、と。おれが事業者の時は価格で争うことの空しさをさんざん味わったはずではないか。であるならば、価格での競争力はないけれども、他の面での優位性、付加価値や心意気のあるお店で買おうじゃないか――そんな意識が芽生えるのではないでしょうか。
金は天下の回りもので、そういう消費がいつか自分の事業にも跳ね返ってくるはずです。だから、多くの人がそこで自分だけ抜け駆けしようとするのではなく、みんなで社会を回していこうと意識するようになったら、流れは変わると思っています。
社会資本を持続的に構築していける社会で消費者に求められている資質は、お金を私有財やサービスと交換する行為を個人の中で完結させることではない。
その交換行為自体が公的な無限性を生み出し、私有財やサービスを評価する文脈が消費者間で共有され、それが新たな供給へ繋がるサンプルになる。
このように、お金の交換とその行為に付加価値をつけるコミットの仕方が消費者に求められ、そのような消費者につけてほしい付加価値の型をアナウンスできる事業者もまた求められているということでしょうか。
>>6
そうですね。これは誰がということではなく事業者も消費者も含めた社会全体で「価値を生み出していく」ということだと思います。そして「価値」というのは、「良い交換」を行った時に生まれるということが経験的に知られています。ですから、「良い交換」を心がけていけば、自然と価値が育まれ、社会が回っていくと思います。
ところで、「良い交換」とは何でしょう?それは、自分にはない能力を相手の中に認めること、あるいは相手にも相手にない能力を自分に認めてもらうことだと思います。一方通行ではなく双方向が理想ですね。1対1が無理なら三角取引、あるいはもっと複雑な取引でも。まあ、結局は社会の在り方そのものに収斂されてしまいますね。
>>5
すっきりしました。
僕はこの記事を読むまで政策でどうこうすべきだと、考えがそっちによってたんですよね。
自分以外に原因を求めてしまう。でも、これ一人一人の問題ですね。
外国のホテルでチップ制度がなぜあるのかがなんとなくわかった気がします。
なるほど、さすが、的確で数段上のご意見です。