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やれやれです。
こういうのを正しく「馬脚を顕した」というのでしょう。
というわけでみなさんあけましておめでとうございます、兵頭新児です。
ちょっとボケてるヒマがないので、早速本文に参ります。
表題にある通りのテキストが、久米泰介師匠によって発表されました。
「男性に対する性の商品化の学問上の批判」
これですね。↑
実のところ久米師匠については近年、かなり見直しておりました。
「俺の子分」くらいの位置づけにしてやってもよかろう、とまで思っていたのですが、しかし上のテキストを見ていっぺんで評価が変わりました。こりゃあ、アカンとしか。
師匠の主張についてはまとめているヒマがないので略しますが、ぼくは「表現の自由クラスタ」やその姫であるネオリブに対して、「これなら彼ら彼女らがラディフェミだと思い込んでいる一般フェミの方がマシだ」と言ってきました。
ネオリブは「ポルノを認める(フリをする)フェミ」としてリベラル君たちの支持を取りつけてきましたが、それに比べればまだしもアンチポルノのスタンスを謳っている方がフェアだし、理論に破綻も一つだけ少ないからです。
しかし、それはあくまで-10000と-9999の差でしかありません。別に後者を選ばなければならないという法はなく、両方ダメだとジャッジすればいいだけのハナシです(「表現の自由クラスタ」がどうして、ああまで、半狂乱で、血眼で、「ボクの味方をしてくれるフェミニスト様」を探しているのかさっぱりわからないのですが、きっとフェミと結婚しないと死ぬ呪いを魔女にかけられたのでしょう)。
さて、そんで、久米師匠の筆致を見ていると「男性の性被害」についてそれなりの個人的な執念があるご様子で、それそのものは尊重されるべきだろうと思います。
男性の性被害が放置されている現状については、いくら強調しても強調し切れません。何よりフェミニストたちはむしろそれを推奨し、隠蔽を続けて来たのですから、この点についてはぼくも素直に賛意を示してきたはずです。
しかし、「二次元のポルノすらも許せない、アイドルすらも許せない」となるとまず、一挙にハナシが怪しくなってきます。ここで重要なのは久米師匠がマッキノンなどの「ポルノは性差別」とのロジックに首肯し、二次元もまかりならんと主張している点でしょう。AKBやジャニーズなどについては考えるべき点もあろうが(少なくとも後者にセクハラ問題があることは事実でしょう)、しかし師匠の主張はその存在自体を否定しているのですから、もう、こりゃアカンやろとしか言いようがありません。
何よりも残念なのは、彼の頭の中には「ポルノのせいで性犯罪が生まれるのだ」というとっ散らかった、粗雑極まりない人間観しか存在しないということが露呈してしまったことです。
(ここまでBLが普及しているのに「女性の男性への性犯罪」が激増しているように見えないことが、即、マッキノンのロジックが間違っていることの証明になるような気がするのですが、師匠は気にする様子がありません)
ここで論理的整合性についてはあきらめ、「戦略」としてどうか……と考えてみると、更に暗澹たる気分にならざるを得ません。
想像ですが、久米師匠が「二次元も」と言い出した裏には「BL文化」があるのではないでしょうか。記事中に(レディコミ、ジャニーズについては饒舌に語られている割に)BLの文字はないので、あくまで想像ではあるのですが、しかし師匠が「アンフェアだ、男女平等に反する!」と憤るそのテンションは、BLを持ち出さないと説明がつかない気がするのです。
ぼくもBLに対してムカつく部分はあり、腐女子にマナーを弁えろとは言いたい時もあります。が、仮にそれらを勘定に入れても、「ポルノ禁止」で不利になるのは男性の方であるのは、自明でしょう。男の裸も、女の裸もNG、という世界が仮に来たとして、ダメージがでかいのは男の方に決まっているのです。
ぼくが以前、「女性週刊誌やワイドショーの不倫記事の類こそ、女性向けポルノ」と言ったように、男女のセクシュアリティには質的な差違が歴然とあり、そもそも「ポルノ」という切り取り方ではそこに切り込む力を持ち得ないのです。
そもそもがフェミニズムとは「女性が性的であるが故に被るデメリット」という、本当に稀少な、レアメタルみたいなモノを輸出してカネを稼ぐ、斜陽産業でした。
「女災」とは「女性が性的であるが故に男性が被るデメリット」であり、ぼくの主張はフェミのロジックが既に「斜陽産業」であるとの指摘であり、この「女災」という概念が人口に膾炙しないために男性が苦境に置かれているのだという指摘でした。
大変残念なことですが、この非対称性を、久米師匠は全く理解していません。
よりにもよって「男の武器にならないモノしか出ない、掘り尽くした炭鉱」に行って何がしたいんだお前は、という感じです。
彼は「ポルノはこの数十年で絶滅する」というトンデモない予言をしています。
そう、残念なことですが、師匠には世の中が全く見えていないのです。
しかし、彼のやってきたことは要するに「表現の自由クラスタ」と変わりありません。
正直、「表現の自由クラスタ」が何を考えているか、今一見えてこないのですが、例えば(久米師匠が「男性差別解消」のツールとして多大な期待を寄せている)ジェンダーフリーに対しては、恐らく彼らも賛成でしょう。その意味で、両者はぼくの目からは同じ穴のムジナにしか見えません。
彼らはいずれも理路も解せずフェミ炭鉱にむしゃぶりつき、フェミニストの靴をペロペロ舐めながら、彼女らの掘り起こした石炭のカケラを血走った目で拾い集めようとして、しかし無惨にも5gくらいしか掻き集められたなった哀れな存在、という点で「完全に一致」を見ているのです。
恐らく本件で、久米師匠は急速に支持を失うことでしょう。
本件は「どうでもいい人物の、どうでもいい死」にすぎませんが、それでも「まだしも、死ななくていい側の人間」の哀れな死であったとは言えましょう。
「男性が搾取されている事態」という一点だけを取れば、彼は貴重な認識を成し得ていた人物ではあったのですから。
――急なことで、こちらの文章もとっ散らかり気味で、当初はツイートしたモノを推敲してこちらにうp、と思っていたのですが、分量があまりに大きく、ひとまず思うままに書いてみました。
近いうちに、改稿なり加筆なりをするかも知れません。
ひとまずは、そういうことで。